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>万葉集で読む平城京
奈良
(
なら
)
時代につくられた全20
巻
(
かん
)
、4536首からなる日本最古の歌集。
恋人
(
こいびと
)
に対する思いをよんだ「相聞」、死んだ人に対する悲しい思いをよんだ「挽歌」(ばんか)、
宮廷
(
きゅうてい
)
祭式など晴れの機会に
詠
(
うた
)
われた公的な「
雑
(
ぞう
)
歌」(ぞうか)の3部類に主に分類されています。
歌の形式には長歌・短歌などがあり、作者は
天皇
(
てんのう
)
・
貴族
(
きぞく
)
から東歌・
防人
(
さきもり
)
の歌をよんだ農民まで、あらゆる身分の人々におよびます。
万葉集の中で「
奈良
(
なら
)
の都
平城京
(
へいじょうきょう
)
」をよんだものをいくつか
紹介
(
しょうかい
)
します。
あおによし
奈良
(
なら
)
の都は
咲
(
さ
)
く花の にほふがごとく今
盛
(
ざか
)
りなり
作者 小野老(おゆ)は
平城京
(
へいじょうきょう
)
の役人でした。花の都
奈良
(
なら
)
から地方九州への
転勤
(
てんきん
)
は、やはり相当ショックだったようで「
太宰府
(
だざいふ
)
だといっても、
所詮
(
しょせん
)
は九州の
田舎
(
いなか
)
だ。やはり
奈良
(
なら
)
の都でないと。
奈良
(
なら
)
はよかったなあ…都は大きいし…」ということを
平城京
(
へいじょうきょう
)
の都を、美しく
咲
(
さ
)
く
桜
(
さくら
)
の花に見立てた歌です。
呼んだ
あをによし、
奈良
(
なら
)
の都に、たなびける、天の白雲(しらくも)、見れど
飽
(
あ
)
かぬかも
天平8年(726)、
新羅
(
しらぎ
)
(今の
韓国
(
かんこく
)
)へ
派遣
(
はけん
)
された人たちがいました。これを遣新羅使(けんしらぎし)と言いますが、この一行のひとりが
詠
(
よ
)
んだ歌です。「
奈良
(
なら
)
の都にたなびく白い雲は、ずっと見ていても
見飽
(
みあ
)
きないものですよ」という意味です。
雪(あわゆき)の、ほどろほどろに、
降
(
ふ
)
りしけば、
奈良
(
なら
)
の都し、思ほゆるかも
奈良
(
なら
)
時代の歌人で長く九州の
太宰府
(
だざいふ
)
で国の長官として働いていた大伴旅人(おおとものたびと)が、雪が
降
(
ふ
)
るのを見て
詠
(
よ
)
んだ歌で、「
淡雪
(
あわゆき
)
が、うっすらと
降
(
ふ
)
り
積
(
つ
)
もったので、
奈良
(
なら
)
の都のことを思い出します。」という意味が
込
(
こ
)
められています。
藤波
(
ふじなみ
)
の花は、
盛
(
さか
)
りになりにけり、平城(なら)の京(みやこ)を、思ほすや君
防人
(
さきもり
)
として
太宰府
(
だざいふ
)
で働いていた
大伴
(
おおとも
)
四
綱
(
つな
)
が、
奈良
(
なら
)
の都を想いなつかしんだもの。「君」はこの作者の長官
大伴
(
おおとも
)
旅人で、上司に問いかけるようなかたちになっています。「
藤
(
ふじ
)
の花がいっぱい
咲
(
さ
)
きましたね。これを見ていると
奈良
(
なら
)
の都のことを思ってしまうでしょ」という意味が
込
(
こ
)
められています。
たち変り、古き都となりぬれば、道の
芝草
(
しばくさ
)
、長く生ひにけり
天平十二年(740)、都が恭仁京に移った後、歌人としての活動をしていた田辺福
麻呂
(
まろ
)
が、都が
奈良
(
なら
)
から恭仁京に
移
(
うつ
)
ったので、
奈良
(
なら
)
の都には人が少なくなり、宮人たちが行き来していた道もすっかり
荒
(
あ
)
れ
果
(
は
)
ててしまったことを歌ったもので「都が
移
(
うつ
)
っていってしまったので、
道端
(
みちばた
)
の
芝草
(
しばくさ
)
が
生
(
お
)
い
茂
(
しげ
)
ってしまいましたね。 」という意味が
込
(
こ
)
められています。
©平城遷都1300年記念事業協会