5月28日、矢田寺の裏山の地蔵山に作られたミニ遍路道「矢田山四国」を踏査した。 当日9時半頃、汗を拭きつつ本堂前の石段を登る。案内役は矢田寺へんろみち保存会の山下正樹さん達だ。山下さんは退職を契機に四国八十八カ所を廻り、住んでいる大和郡山市矢田地区にあった八十八カ所が荒れているのを見て保存会を作り、地元の地蔵講の人たちや大和郡山市役所の協力も得ながら、倒れていた石仏を起こし、標識をつけ、休憩用の小屋を修復した。この日は「矢田寺八十八カ所市民ハイキング」として、一般参加を募って実施した整備後のお披露目として企画されたものであった。

 10時すぎ、120人ほどが本堂内に集まり、まず矢田寺念仏院の大浦覚翁住職と上田清大和郡山市長のお話を聞いたあと、3班に分かれて、本堂左手奥から登り始める。大師堂と舎利堂の左手に、大正15年の「弘法大師八十八ケ所霊場参詣道」と彫り込んだ標柱と石造修業大師立像が立つ。ここが入り口で、一同般若心経をあげてから歩き始める。きれいに下草を刈り取られた山道の左右に、舟形の光背に札所の本尊を浮き彫りにしたものと、その左に弘法大師座像の浮き彫りをしたものが、一揃いになって点々と建ち並んでいる。光背にはともに「矢田山四国」と刻んである。ここは矢田山の四国なのだ。所々に道案内の標識だけでなく、「おつかれさま、がんばって」などと励ましの言葉も書いて吊り下げてある。第36番からは一端御影堂のある山中の平地へ下り、再び登って第45番岩屋寺は露出した自然の岩を背景に不動明王が祀られる。その右手奥には役行者も祀られてある。第51番石手寺の向いには、修復が終わった休憩小屋がある。新たに紅葉の若木も植えられている。2300本ほどが植樹されたという。第54番と第55番の間には、満米上人像や経塚が祀られる。矢田寺の裏山を大きく時計回りに廻るこの遍路道は、60番目頃から寺の北側の道を下ることになり、これまでの雑木林から檜林となり景観は一変する。間伐された檜林の中を風が通り抜け、周囲は赤茶色い落ち葉一色となる。第75番を過ぎるとまるでトンネルを抜けたように、眩しく光に溢れる雑木林に戻った。

 この矢田山四国のミニ遍路道は、矢田地蔵を信仰する地蔵講、特に大阪の新町延命講や道修町で製薬業を営んでいた小西氏が中心となって、大正末から昭和にかけて作られたものという。念仏院住職によると、昭和7年には高野山の管長を招いて、一体づつ性根入れをしたという。奈良や郡山や矢田の人々も施主となり、神戸・京都の人の名も見られる。先祖代々の供養のための造立もあり、女性が施主となっているものもある。一周4.5キロメートルほどで、1時間半から2時間ほどのコースであるが、変化に富んだ道で、刻まれた銘文などをゆっくりと見ながら廻ると3時間ほどかかった。札所の本尊は総て揃っているが、弘法大師像は、確認できたのもののみで半数以下の34体ほどだった。「矢田山四国」開設の経緯も含めて、更に詳細に調べる必要がある。

(2006年5月28日調査)
「郡山・矢田民俗誌のために(1)」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第23号(鹿谷勲執筆)より

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