翌年の1月7日、年が明けて急激に冷え込み、寒風が吹き荒れた朝、大和郡山市矢田地区の古刹東明寺へ急いだ。寺へ通じる中村の集落が目の前に現れた頃には、小雪が舞い始め、残った鈴なりの渋柿も梢で揺れている。

 10時頃、庫裡の前の侘びたたたずまいの石段を登りかけると、にぎやかな声が上から洩れてくる。東明寺の集落10軒の男が集まって、本堂左手に隣接する八坂神社の広場で、綱掛けの綱を綯っているのだ。境内の木に太い丸竹のオーコを横に張り渡し、二手に分かれて、威勢よく競うように次々と綱を綯う。できた綱は竹越しに後ろへ引く。竹の下では、2人が息を合わせて藁を捻りながら撚り合わせている。その2人に見計らいながら別の2人が藁を補充する。合わせて最低5人が一組となって、1本の綱を綯う。調子を合わせるために、「チョウサジャ、チョウサジャ」と掛け声をかける。雨交じりの雪の降りしきるなか、綱は少しづつできあがり、神社南側の細い坂道に延びていく。こうして本堂の端から隣接する神社前を過ぎて坂の下辺りまでおよそ30メートルほど、直径が5センチぐらいの綱を7本作る。うち1本はネヅナ(根綱)と呼ぶ。傍らでは長老達が、綱に吊す垂れを7組作り終わった。縄に松の枝を横に二段、その下に幣を付け、先に松葉を付けたものだ。

 朝8時頃に集合し、午前中に綱作りの半ばを終えて、一旦家に戻る。晴れ間も見えるようになった午後1時。今度は女性も含めて再び集まり、ネヅナの先に二本の綱を少しずらしながら、さらに撚りあわせていく。一人が撚り合わせる部分をしっかりと抱きかかえ、数人ずつが二手に分かれて、互いに綱を放り投げるようにして、さらに太い縄にする。「チョウサジャ、チョウサジャ、チョウサジャ、チョ!」と掛け声を掛けながら撚りあわせていく男達の息が合うと、ペースはだんだんと早くなる。共同作業に歌や掛け声が必要なことがよく判る。見ている者まで心楽しくなる。後ろでは、女性達が二本の縄の先をよじれないようにさばくが、早すぎて追いつかない。2時過ぎに綱ができあがると、一年間神社の世話をするトーヤがその場に立ち、周囲を綱でぐるぐる巻きにする。一旦倒してトーヤを出し、ここに綱を作るときに使った竹のオーコを差し込んで神前に据える。

 広場中央では、鍬で線を引いて、苗代を描く。中を四つに区切って、早稲・中稲・晩稲・糯とし、さらに水口と出口も描く。このなかに足を踏み入れるとカワズ(蛙)になると昔は言ったという。準備が終わると矢田大宮の加藤宮司により、綱掛け祭とオンダ祭の祭典が執り行われる。オンダ祭では、宮司が四つの苗代に籾を撒き、さらに松葉に籾を括り付けた松苗が撒かれる。祭典が終わると綱を担いで車に乗せ、下方の谷まで運ぶ。新池の少し上手の谷に、まずネヅナを北東に引き上げてから、もう一方を山に運び上げる。もとは両方に松の大木があったが、枯れてからは石柱を立ててこれに巻き付けている。4時前には広い谷に百メートル以上の綱が張り渡され、今年の綱掛けは無事終わった。東明寺の集落は10軒あるが、寺のそばに残るのは2軒のみで、あとは下方の中村へ下っている。集落全体でおこなう綱掛けは、それだけになお一層大事な行事に違いない。夕刻には今年のトーヤ宅で、慰労の宴が催され赤御飯が振る舞われるとのことであった。

(2007年1月7日調査)
「郡山・矢田民俗誌のために(1)」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第23号(鹿谷勲執筆)より

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