2 月1 日、午前4 時半、奈良市石木町の登弥神社に着く。小雨降る参道を登ると石灯籠には火が入り、奥には焚き火もちらちらと光る。境内は掃き清められ、雨天時の天幕も立ち、筒粥祭の準備はすでに整っている。

 登弥神社はかつて「木嶋明神」と呼ばれ、大和田町・石木町(奈良市)と城町(大和郡山市)の氏神である。それぞれの地区には三年任期の氏子総代が一名ずついる。この氏子総代のもとにさらに5、6人がその補佐役として選ばれ、年番として一年交代で宮司とともに年間の祭祀を担当する。城町が今年の年番だという。

 宮司は、拝殿で三人の氏子総代と城町の補佐役を祓ってから、境内にしつらえたカマドに点火する。焚き付けは昨年の秋祭りで用いた残りの豆木を使う。釜に小豆一升と洗米二升を入れ、さらに長さ20センチほどの竹を37本スダレ状に編んで、巻き固めた竹筒の束を入れて炊く。午前5時頃から炊き始め、途中何度も水を入れ足して、1時間半ほどして釜から竹筒の束を取り出して、神前に供える。供えた竹筒からは盛んに湯気が立ちのぼる。

 夜が明け始めると次第に参拝の人々が増えて、7時から祭典が始まる。30分ほどで終わると拝殿中央に机を置いて、3人の氏子総代が中心となり、竹筒の束をほどきながら、一本づつ小刀で割り、竹の中の小豆と米の入り具合を見ながら、米・野菜・果物など作物37種の出来不出来を占っていく。米も小豆もたっぷり入っているのが一番ランクが上の「上上」で、もっとも不出来な場合は「下下」となる。付近は苺の栽培が盛んで、超促成苺など苺だけで4種類もある。早速結果が拝殿に張り出されると、人々はこれを書き写して持ち帰る。終わるとその場にいたものが、釜に残った小豆粥をご馳走になる。割木で炊いた粥は、粘り気があり美味しかった。

 賑わいの続く同社をあとにして、矢田坐久志玉比古神社へ向かう。ここでも粥占いが行われる。8時半頃、雨の中神社に着くと、竹筒を作り終えた人々が、社務所から出てきた。筒粥祭は、責任役員3人と9大字から1人ずつ選ばれる氏子総代に神主が加わって行う。楼門の下で、釜に米と小豆ともに一合余りを入れてプロパンガスで炊く。竹筒は12本一括りと26本一括りと二種類ある。12本一組の方で、一年間の天候を占う。雨が多いか少ないか、降るのは上旬か中旬かなどを占う。次に残りの竹で26品目の作柄を大中小で占う。竹を割りながら、順番に作柄を占うさまは、淡々としてはいるが、そのたびに小さなどよめきがあがる。二つの粥占いを比べると同じ品種でありながら、豊作であったり凶作であったりする。それほど離れていないとはいうものの、土地柄が異なるから当然といえば当然であろう。この年、付近で作られるヒノヒカリは、登弥神社では「上上」、久志玉比古神社では「中」と出た。

(2006年2月1日調査)
「郡山・矢田民俗誌のために(1)」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第23号(鹿谷勲執筆)より
 
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