iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2014年2月10日 掲載)

「このくにのかたち」を考える(その11)


tizi


1.「くにのかたち」としてはハードウェアとソフトウェアがある

 「くにのかたち」と言えば、自由主義か、民主主義か、資本主義か、そして、中央集権か地方分権か、といった事柄、つまりくにのかたちのハードウェアが議論の中心になることが多い。ところが、そのようなハードウェアを動かす人々の考え方の操作マニュアルなどハードウェアに随伴するソフトウェアのあり方も「くにのかたち」を規定する大きな要素になっているのではないだろうかと最近はよく思います。

 今、くにのかたちの基本形は民主主義とされますが、同じ民主主義の国々を比べても、政治に対する民意の反映される流儀が随分と異なるように思われます。政治意思決定過程における参加者の「くせ」が、「くにのかたち」の働き方に実質的な影響を与えているのではないかと思われます。くにのかたちのソフトウェア部分をよく見るべしということだと思います。

2.わが国は民主主義をわが国流儀でこなしている

民主主義は、一国の最高政治意思を誰が決めればよいのかという点(政治の正統性)と、どのように決めればよいのか(政治の正当性)について形を与える仕組みです。政策の内容の妥当性についての保証はありません。政治の正統性と正当性についての民主主義の基本ルールは、「一人一票」と「多数決」です。これは、神の決めたルールで政権の変更によるルールの変更はない、というのが民主主義の元祖達の考えです。わが国は、この神の決めたルールに充分心底からなじんでいなくて、「少数意見を無視する」とか、「君側の奸が政道をゆがめる」とか、元祖でないゆえの意見も時々出てしまいますが、そこは、外来の流儀を自分流儀に着こなす技術は、わが国始まって以来の伝統技術ですので、外来の流儀民主主義も日本流にこなしていると思います。

3.「わが国の流儀」のこれからは

 しかも最近では、そもそも元祖の流儀も大胆に変更される中、民主主義にも多用の流儀があるように理解され、ローカルな流儀もある範囲で許容されるようになってきました。

「くにのかたち」の基本、民主主義のわが国のローカリズムはどのように進展していけばよいのでしょうか。従来からわが国は、外来思想を折衷して受け入れてきたため、ものの決め方において、白黒をはっきりせず、あいまいにする傾向がありました。これは変化の激しいグローバル化された世界では、政治運営だけでなく、企業経営大戦略策定上も大きなマイナス要素です。国家でも企業でも危機の認識が共有されれば、決断をうながされます。これまでわが国には、危機がこの国を救う結果となった例が幾つもあります。

4.くにのかたちのソフトウェア強靭化には情報が大事

 しかし、決断を下すのに危機を待ってばかりはいられません。眼に見えない将来の危機に備えて、今痛みを伴う決断をするのは、大衆的にますますなってきた近時の民主主義の運営においては大変難しいことです。まず、今どのような決断が必要かを判断する、つまり喫緊のアジェンダを確立するには、そのための情報の共有化が大切です。大事なことから眼をそらさせてもいけないし、森を見ないで木ばかり見る情報も困ります。先を客観的に見る眼を養うことがこのくにのかたちを強靱にするために最も必要なことと思います。どうすれば養えるのか。先を見通すには、過去の歴史をよく吟味して判断のもとにするしかないように思うところです。