iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2015年11月19日 掲載)
         「このくにのかたち」を考える(その13)
 



1.明治時代に自然村から行政村へ移行(町村合併の進行)

 「村」は食料生産と納税の拠点でありましたが、明治期になりますと江戸時代の領主はなくなりました。幕府領、旗本領はまず明治政府の領地になり、つぎに藩の領地は明治政府の管轄する県の領地になりました(廃藩置県)。その結果、行政区域という境界を持つ町や村が登場し、さらに、行政遂行効率化の要請のもと、市町村合併が進められることになりました。

 これまでの「明治の大合併」、「昭和の大合併」、「平成の大合併」により、明治21(1888)年に全国で7万1314あった市町村が平成23(2011)年には1724(明治21年の2.4%)まで減少しております。

2.村落自治の崩壊

 明治6(1873)年に行われた地租改正では、土地片一つ一つの所有者とその納税額が確定されることになり、村単位で賦課されていた年貢に代わり、土地所有者一人一人が納税に責任を負うことになりました。それまでの村落自治の柱であった村請制が解体され、租税の納入が個人の責任とされたため、納税をはじめとする村落経営に関する村としての義務が縮小し、村落自治の必要性が低下し、結果的に合併の制約要因が除かれ、町村合併が進むこととなりました。


3.明治期の地方自治の考え方

 明治期における明治政府の内政上の課題は、中央政府の財政困難、幕藩制に替わる統治機構確立の必要性、地方行政の効率化の要請等でありました。鳥取藩出身の内務官僚松田道之と熊本藩出身の司法省官吏井上毅の対立と妥協の末、町村合併を含む地方制度構築が進められることになりましたが、それは江戸時代にあった「身分制の下の村落自治」を解体することになりました。一方、「四民平等」の下で立憲政治体制が築かれようとしている中、新しい地方自治を模索しようとした人達もいました。ドイツ人のアルベルト・モッセと山縣有朋はそのような人でした。しかし、両人の夢が実現することはありませんでした。


4.これからの住民自治の推進エンジンは

 食料生産活動のために発展した集落共同体「村」は、特に山間部では「字」という呼称で現存し、そこに住む地縁的なつながりの深い人々の間でいまなお強い「助け合い」の精神が息づいています。

 また、現在、「字」という呼称が使われていない場合でも、都市部を含め地縁的な人のつながりから共助組織として成り立っているものに自治会等地縁団体があります。

 これからの地方自治では、「地域のことは地域の住民で決める」という「住民自治」の原則を重視し、地方政治を民主的に行う必要があります。

 その観点から、こういった地縁的集落共同体や自治会等地縁団体と行政が協働することが、これからの住民自治の推進エンジンになるのではないかと考えております。