奈良をつくった偉人 役行者(えんのぎょうじゃ)
今回訪れたのは役行者誕生の地とされる、御所市の吉祥草寺(きっしょうそうじ)。
毎年1月14日には、県指定の無形文化財「茅原(ちはら)大(おお)とんど」を行うことで知られています。
そんな吉祥草寺の境内には、役行者の産湯(うぶゆ)を汲(く)んだ井戸が今も残り、西側には若き日の役行者が修行を積んだ葛城山がそびえます。
(上の画像は、葛城公園から見た葛城山の風景です)
そんな歴史ある古刹(こさつ) 吉祥草寺には、顎鬚(あごひげ)のない若き日の役行者を写した珍しい像が祀(まつ)られています。
吉祥草寺の住職 山田 哲寛(てっかん)さんにお話をお聴きしました

見れば見るほど凛々しい顔をしていますね。
山田:男前な方ですし、「これから修行に行くぞ!」という意気込みが感じられますね。
役行者とはどんな人物だったのでしょうか?
山田:600年代半ばから、700年にかけて修行し、多くの方々に手をさしのべ、助けていったと言われています。
具体的にはどういったことをされていたんですか?
山田:山の中を歩き、駆け巡るというのが修験道(しゅげんどう)の基本的な修行になるのですが、その自然の中で自分がどういうふうにして生きていくのかを自然に覚えていくんです。

山田:厳しい修行をされているということで、「怖い」というイメージが強いんですが、私は決してそんなことを思っていません。

山田:ここの役行者のお像は、役行者のお母さんのために自ら作ってこのお寺に残したと言われています。「お母さんをここに一人にしてはいけない」と、このお像を残されたんです。
千三百年の歴史を持つ 「陀羅尼助(だらにすけ)」

ここで住職が、古来の民間薬で自然の生薬として今も親しまれている「陀羅尼助」を 見せてくれました。
山田:陀羅尼を唱えるものを助けるということで「陀羅尼助」という名前がつけられたと言われています。
約1,300年前に疫病が流行ったと伝えられているんですが、役行者は修行で培った知識で多くの人を助けるためにこの薬を作ったと言われています。
こういった薬を作ることができるということは、すごい知識をもった人だったんですね。
山田:そうですね。山の中での生活で「これは口にできる」「これは口にできない」というような知識を身に付けていかれたんじゃないかなと思います。
もう1つ役行者にまつわるものが、この「一本歯の下駄」です

山田:実際、役行者が履いていたという事実はないのですが、山の中を歩いているときに、一本歯の下駄が意外と岩場でも、歩きやすいんですね。
今では、足腰の健康を祈る人が祈祷(きとう)しに来られます。
美脚などにもご利益があるんですか?
山田:そうですね。「そうありたい」と強く念じることが大切です。

山田:役行者は、決して自分が修行するだけのために山をひらかれたのではないと思うんです。
後々の人たちに自然を忘れずに感じてほしいと思いながら、山をひらいていったのではないかと思います。
御所市 吉祥草寺(きっしょうそうじ)
修験道の開祖役行者の生誕地で、寺も役行者によって開創されたと伝えられる。
行者堂には、役行者の自作とされる32歳像や母親像が安置されている。
本堂は応永3年(1396)の再建によるもの。本尊は不動明王を中心とする五大力尊。
毎年1月14日には高さが5mある雌雄2本の松明に火をつけ、その年の豊凶を占うことで知られる「茅原の大とんど」が行われている。
(奈良の観光情報サイト「あをによし なら旅ネット」より引用)
吉祥草寺へのアクセス情報などは
「あをによし なら旅ネット」をご覧ください。
(記事投稿者)
奈良県庁広報広聴課
放送制作係 辻本
電話番号 0742-27-8056