大和郡山の繁栄の基礎を築いたとされる大和郡山藩主、柳沢吉里


大和郡山市といえば、あなたはまず何を思い浮かべますか??


「歴史ある城下町

「郡山城内の

「市のシンボルである、金魚」など…



いろいろイメージされると思いますが、このうちの大和郡山市の特産品の1つ、金魚



市では年間およそ6000万匹が生産されています。

そんな金魚と深い関わりがある、柳沢吉里(やなぎさわよしさと)に迫ります。

吉里は、5代将軍、徳川綱吉(つなよし)の側近、柳沢吉保(よしやす)の子で大和郡山藩の藩主として知られる江戸中期の大名です。 









今回、吉里についてお話しをお聞きするのは、大和郡山市の観光ボランティア、井渓靖子(いたにやすこ)さんです。



水槽の中に金魚がいますね。 郡山の特産品の金魚と吉里とは、どのような関わりがあるんですか?
井渓:諸説あるんですけども、吉里公が1724年(享保9年)に甲府(現在の山梨県)から郡山へ国替えできた時に、家臣の横田又兵衛が金魚を観賞用に持ち込んだのが始まりとされています。




この辺りは古い町並みが残っていますよね?



井渓:この場所は『紺屋町(こんやまち)』といいます。豊臣秀長(ひでなが)公が郡山に『箱本十三町(はこもとじゅうさんちょう)』という自治制度の町をつくりました。その制度が江戸時代も続き、最初13町だったのが吉里の時代には27町に発展したといわれています。



吉里が来てからこの郡山の町は繁栄したんですね。
井渓:そうですね。町もどんどん増えていったそうですよ。







もう一つ、郡山で有名なのが大和郡山城の桜です。毎年、大勢の見物客がお城の桜を見に訪れます。



 

この表門跡(おもてもんあと)と書かれた石碑はなんですか?



井渓:元々は二の丸御殿と言いまして、ここが城の中心になっていました。
この二の丸御殿の中や、その周辺に桜がいっぱいあったことから「御殿桜(ごてんざくら)」と呼ばれるようになったそうです。








御殿桜と吉里とは、どのようなつながりがあるんですか?

井渓:吉里公が甲府から郡山城に入って来たときに桜をたくさん補植してくださったそうです。
それ以来、藩士や町民などみんなが城の桜を楽しんだと言われています。








金魚、桜という2つの郡山のシンボルと関わりがあったとされる吉里。どんな人物だったのか、柳沢家の資料を多数所蔵している柳沢文庫(やなぎさわぶんこ)を訪ね、郡山城史跡・柳沢文庫保存会の学芸員、佐竹朋子さんにお話をお聞きしました。




 

吉里は甲府から奈良の郡山に移ってきて、郡山城主になったんですよね。

佐竹:はい、吉里の家臣、その家族5300人弱をつれて郡山に引っ越してきています。




5300人も?? 人数としてはそれは多い方なんですか?

佐竹:前の郡山城主だった本多家は5万石まで減らされていました。
5万石まで減らされたということは、本多家の家臣も縮小、つまりリストラされてしまって城下の武家屋敷地も空き地が多くなっていたと言われています。

柳沢家は大多数の家臣を連れてきたので、あっという間に武家屋敷の土地が足りなくなったんですね。あとたくさんの家族が住み、城下町はにぎわいを取り戻したのでそれくらいの数ということになります。




吉里はどんな大名だったんですか?



佐竹:生涯にわたり、1万数千点の和歌を詠み、「積玉(せきぎょく)和歌集」などの歌集をつくりました。



では、この和歌集の中にはすばらしい歌が??

佐竹:はい、柳沢由里は父の吉保から「古今伝授(こきんでんじゅ)」を受けています。





※古今伝授とは
古今和歌集の理解の仕方を優れた歌人にのみ秘伝として師匠から弟子へと伝えていた



では、ここの中に名前があるというのはすごいことなんですね。

佐竹:はい、和歌に非常に優れていた証明になります。







吉里は画家としても優れていたそうですね?

佐竹:この大和絵(やまとえ)は、柿本人麻呂(かきのものとのひとまろ)を描いた吉里の作品になります。
こちらは「絹本(けんぽん)」といいまして、絹の上に描かれているんです。

絹の上に顔料を使って絵を描くというのは難しいことでした。でも、それがきちんとできているということと、このような人物画を描くというのは、非常に難しかったので、こういった点からも画家として優れていたと評価されています。





名君であり優れた文人であった吉里は、郡山藩主として、郡山の繁栄の礎(いしずえ)を築いたといわれています。


 

吉里は郡山に、どんな影響をもたらしましたか?

佐竹:そうですね、例えば、他藩に先駆けて『総稽古所(そうけいこしょ)』という藩校をつくるなど、吉里は教育にも非常に力を入れました。

また、柳沢家が郡山城主となるまでは、城主が頻繁に替わっていましたが、吉里が城主となってから安定し、6代にわたり郡山藩を治めていきました。

天明の大飢饉(ききん)があった時も、郡山城下では一揆が一度起きただけでしたので、領民を安定的に治めた良い大名だったと言えます。

柳沢家が郡山に来てくれて、郡山の町が発展しました。





吉里に関する特別展が開催中です。このイベントは終了しました

「柳沢吉里と郡山城ー甲府から郡山へのお引っ越しー」と題して、9月10日(土曜日)から12月11日(日曜日)まで、柳沢文庫で開かれています。

今回の記事で吉里について興味をもったあなたは、特別展を訪れてみてはいかがでしょうか。


問い合わせ先

郡山城史跡・柳沢文庫保存会
電話番号 0743-58-2171






(記事投稿者)
奈良県庁広報広聴課
放送制作係 辻本
電話番号 0742-27-8056

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