iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2016年7月7日 掲載)
         「このくにのかたち」を考える(その15)




1.日本書紀と古事記の漢字

 前回、森博達(もり・ひろみち)氏の説を紹介して、日本書紀の撰述者(せんじゅつしゃ)は在日唐人と韓半島留学経験のある日本人に分かれている旨説明しました。
  どうしてそのようなことが分かるのでしょうか。再び森博達氏の論を追ってみたいと思います。
 
  『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』の漢字はその使われ方が違います。
 
  『古事記』は漢字を使って日本語(大和言葉)で表現。『万葉集』は漢字の音の部分を使った万葉仮名で日本語の歌謡を表現。これらは正式な漢文ではないので、中国の人は読めない。
  一方、『日本書紀』は正式な漢文で表現され、中国の人も読める。
  一般的にはこのように考えられているが、はたしてそうなのか。
  森博達氏は、『日本書紀』の漢文の中にも、中国では使わない漢字の使い方をしているものがあることから、研究を深められた。
 

2.日本書紀の倭習誤用

 日本語の発想である倭訓に基づく漢字読句の誤用は、倭習と呼ばれますが、漢字の誤用の例をひとつだけ挙げると、例えば、「在(ザイ)」と「有(ユウ)」は、日本語読みは共に「アリ」となるが、漢字では意味が明確に異なっている。「在」は特定の事物が存在することを表す「ニ アリ」を意味し、「有」は不特定の事物が存在することを表す「アリ」を意味する。
 
  日本書紀巻6「垂仁紀」に、「是玉今『有』石上神宮」(是の玉は今石上神宮に有り)と書かれているが、ここでは、特定の玉の存在を表現しているため、「在」の使用が正しい。
 
  このような例を拾いつつ、森氏は漢字の誤用の多い巻と少ない巻を分類された。

3.日本書紀の漢字の誤用、奇用から作者を判断

 漢字の誤用の他に奇用と呼ばれるものもあります。漢字の使い方として誤ってはいないが、まれな珍しい用法ということです。例えば、中国語は日本語のような接続助詞がなく、語順で接続の仕方を判断しますが、接続詞「則(すなわち)」を接続助詞のように使用したり、接続詞「因以(よりて)」も漢文ではあまり使用されないのに、多用されている巻があることを発見されました。
 
  その結果、森氏は、「誤用、奇用が多い巻は日本人が書いたのではないか」、「正格漢文で書かれた巻の作者は中国人では」と推察されました。


4.憲法十七条は誰の作

 以上の考察の結果、α群は唐人が作者、β群は日本人が作者と森氏は判断されたわけですが、それでは、聖徳太子の憲法十七条は聖徳太子による真作かそれとも『日本書紀』の作者による潤色のいずれでしょうか。
 
  憲法十七条はβ群(日本人の作者)である巻22「推古紀」の推古12年(604年)4月3日の記事に全文掲載されています。
 
  通説では、文法的にも誤りのない正格漢文で書かれており、聖徳太子の真作とされていました。
 
  森氏は、憲法十七条の漢文には倭習が多いと判断し、同憲法は『日本書紀』特有の潤色と見なし、β群の述作年代、少なくとも天武朝以降に作られたと考えています。
 
  聖徳太子は、オリンピック・パラリンピックイヤーの2年後2022年に没後1400年となります。激動の奈良時代の実相を理解するために、聖徳太子の実像に迫ってみたくなります。