東大寺を再建した重源(ちょうげん)

あなたは「奈良」と聞いたら何が浮かびますか??


大仏、鹿、奈良公園、東大寺、法隆寺や石舞台など、いろいろ浮かぶかと思いますが、その中でも奈良公園のシンボルのひとつ、大仏殿がある「東大寺」!

実は歴史上、2度焼失していることをご存じでしょうか??

しかし、その度に再建され現在に至っています。


今回は、鎌倉時代に東大寺再建に力を尽くした『奈良をつくった偉人~重源(ちょうげん)』をご紹介します。




重源は平安時代後期の1121年生まれ。13歳で出家し各地で修行。
47歳で中国の宋に渡り、最新の技術や文化を学んだ後、東大寺の再建を果たした僧侶です。





重源について東大寺史研究所の研究員で京都府立大学准教授の横内裕人(よこうちひろと)さんに話を伺いました。



東大寺の大仏殿を再建した重源はどんな人だったんですか?
横内:藤原氏の時代が終わり、上皇(じょうこう)や源平の武士が政治の中心となった時代を生きた僧侶です。

重源が60歳の時に、平氏によって東大寺大仏が焼かれたことに衝撃を受け、その後の人生を東大寺再建に捧げました。






平安時代末期、平氏は東大寺と対立。1180年、平氏の武将・平重衡(たいらのしげひら)は奈良に侵攻し、東大寺に火をつけ、大仏殿を焼失させました。



東大寺が焼き討ちされた当時、人々はどのような様子だったんでしょうか?
横内:人々は日本の仏教の土台がなくなり、国が大混乱すると考えました。
そこで重源は朝廷に東大寺再建を進言したんです。








1181年、重源は後白河法皇(ごしらかわほうおう)から東大寺再建を図る勧進(かんじん)の役職に指名されます。

勧進

寺の修復で寄付を募る職


なぜ重源に再建を託(たく)されたんですか?
横内:重源は、かつて後白河法皇の命を受けて、中国の宋に渡り、東大寺の大仏殿に匹敵する大伽藍(だいがらん)を再建した経験があったんです。

東大寺再建は、3度宋へ渡り、造寺造仏(ぞうじぞうぶつ)の経験があった重源にしかなし得ない事業だったからです。








しかし巨大な大仏殿の再建と大仏修復には数々の困難がありました。

再建にあたって、かなり苦労があったのではないですか?
横内:はい、再建には多額の資金が必要でした。

戦乱で人々が苦しむ中、重源は自ら全国をまわり勧進に努めました。

また、大仏殿のたくさんの柱も周防(山口県)から切り出して瀬戸内海を船で運びました。








 

すごく大きい大仏ですが、この大仏像の修復も大変だったのでは?



横内:重源は人脈を生かして宋から来ていた技術者の陳和卿(ちんなけい)を鋳造(ちゅうぞう)の責任者にスカウトしました。

右手、頭部、左手の順に1年半かけて鋳造し、5年で完成させました。

体に塗られていた金は、鎌倉の源頼朝、東北の大豪族の藤原氏から寄進されたものです。





また、重源は東大寺の南大門の再建も行いました。そこには重源が東大寺再建を果たした大陸の最新技術が残っています。

 
 

この南大門も南都焼き討ちの被害にあったんですか?

横内:焼き討ちで焼失したかはっきりしていません。

ただ、重源が鎌倉時代に再建した東大寺の中で唯一残ったのがこの建物です。



柱が大きくて壮大ですね。

横内:これも宋の最新の様式を取り入れたものです。

「大仏様(だいぶつよう)」と呼ばれる柱と水平方向の貫(ぬき)を組み合わせて強度を高めた建築です。

巨大な建物にふさわしい当時の最新の技術を用いられました。







もうひとつ、南大門の左右で睨みを利かせている金剛力士像は優れた技術者が大陸の様式を取り入れて完成させたといわれています。


 

この金剛力士像も重源の時代のものですか?
横内:重源は運慶(うんけい)・快慶(かいけい)などの名だたる仏師(ぶっし)を集めました。

約3000個の部材を組み合わせてつくる『寄木造(よせきづくり)』という工法を用いて、約69日間という短期間で仏像を完成させました。

そして、この容姿は宋で流行っていた様式を取り入れたものです。





重源は、なぜ東大寺再建に中国の様式を取り入れたのですか?

横内:重源はお寺の正面玄関を「西大門(せいだいもん)」から「南大門(なんだいもん)」に
移しました。それは、仏教本来の姿に戻そうとしたと考えられます。



仏教の根源であるインドに少しでも近づくことで、 仏教再生につながると重源は考えたからです。





大仏や大仏殿などの完成を見届けた重源は、1206年、86歳でその生涯を終えました。
大仏殿の東側にある『俊乗堂(しゅんじょうどう)』は、江戸時代に重源の功績を称えて建立されたお堂で、中には重源像が安置されています。

重源は東大寺、そして、奈良に何をもたらしたといえますか?
横内:重源は昔この場所に浄土堂を建て、救済の仏像「阿弥陀如来(あみだにょらい)」を安置しました。

この場所で、源平の合戦で亡くなった人々を、敵味方関係なく供養したんです。

このように東大寺を再建することで日本の仏教をよみがえらせ、平和な世の中を実現しようとしたといえます。




平和な世の中を願った、偉大なお坊さんだったんですね。
横内:はい、そのとおりです。








今ある東大寺は、重源が思いを込めて再建に尽くした深い関わりがありました

重源の像は国宝で普段は基本的に非公開ですが、重源の命日である7月5日と、東大寺初代別当の法要がある12月16日の1年に2日だけ一般に公開とされます。

貴重な機会ですので、一度のぞいてみてはいかがでしょうか。




(記事投稿者)
奈良県庁広報広聴課
放送制作係 辻本
電話番号 0742-27-8056

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