iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2017年6月1日 掲載)
         「このくにのかたち」を考える(その18)




 

 徳川時代の社会組織の中で、現在まで形を変えて影響が及んでいる藩校教育と村落自治について、その内容を見ましたが、現在の地域コミュニティーの形成に関係する「領国と非領国」、それに商人道徳の発展に貢献した「心学」についても考えたいと思います。

1.徳川時代の「領国」と「非領国」

 一つの藩の領地が空間的に広範に連続して存在する場合は、それを「領国」と呼ぶことができたと思います。逆に、小藩や幕領、旗本領などが散在してまだらの支配地になっている領地は「非領国地帯」と呼べると思います。
 そもそも、領主と村の関係と言えば、領主は年貢米の納め先に過ぎず、領主支配は「領地米」管理に及ぶものの、「領地」管理には及ばないのが通例でした。従って、通常〇「坪」所領の領主とは言わず、〇「石」所領の領主と呼ばれていました。一つの村に複数の領主が存在する「相給村落」も多くあり、年貢米の納め方に関する村長の権限が強く、村落自治が発生する要因ともなりました。
 後の行政区画にも通じる領国の境界意識はまだ薄い状態だったと思われます。

2.「領国」における「地域経営」の発展

 徳川時代「領国」と呼ばれた地域は、農地開発のための治水工事の必要性もあり領主の領地管理が厚く行われたように思います。一方、「非領国地帯」の場合は、年貢米の納付が領地管理の最大の目的であるので、領地経営に領主達はさほど関心を集中しなかったものと推察されます。
 結果として、地域経営が十分に行われた地域は、その後現在に至るまで地域の自立的精神と責任意識が強く残り、近代産業化時代においても、地域発展の基礎となったのではないかと思います。
 今でも、わが国教育の基礎調査として、学力、学習意欲、規範意識、体力の地域差評価がなされますが、その中でも、学習意欲、規範意識の高い県は、徳川時代に、藩校教育、領国経営がしっかり行われていた地域のように思われます。

3.徳川時代に発達した商人倫理は、明治時代のわが国資本主義の発達に貢献した

 徳川時代には、平和が長く続き経済が発展しました。身分制の下、侍階級が経済の主役となれない中、商人階級が経済の担い手となり、徳川時代の生産性向上に寄与し、人口も増加しました。
 そのような時代に、現代の商人道徳形成につながる思想家が現れました。
「心学」という学問を広めた石田梅岩(1685年~1744年)であります。石田梅岩は、1685年丹羽の東懸村(京都から約25キロ)で農家の次男として生まれ、11歳の時京都の商家に奉公、帰郷の後33歳で再び上京、番頭になった後、45歳で無料の講座を持ち、広く影響を与えました。
 彼は、商業活動は国家に対する忠誠の一形式であるとし、「売利を得るは、商人の道なり。商人の買利は、士の禄と同じ。買利なくば、士の禄なくして事(つか)ふるか如し」と語ったそうです。
 彼は、商人の職業とそれから生じる利益に対し、道徳的に正当化したと言われます。梅岩の道徳は、明治時代の産業振興のイデオロギーの礎となり、「近代の資本主義の精神」を説いたマックス・ウェーバーにも比せられています。
彼の考え方は、独立した商工業の担い手や経済活動をする人々に大きな影響を与えているものと思います。