県政スポット


県政スポット
北の地に根付いた
十津川の人・街・こころ
母子(おやこ)の村のなりたち
十津川村(奈良県)~新十津川町(北海道)
それは水害からはじまった
 時は明治22年8月。大日本帝国憲法が発布され、新橋~神戸間をつなぐ東海道線が開通した頃。奈良県吉野郡一帯を、凄まじい豪雨が襲い、十津川村も、かつてない大水害に見舞われました。亡くなった人は168人。生活の基盤を失った人は約3000人にのぼりました。
 新たな生活の地を求めて、2489人が北海道への移住を決断。神戸から船や汽車を乗り継ぎ、最後は徒歩で50キロものぬかるんだ道を進み、トック原野に入植したのが、明治23年6月のこと。水害から10カ月が経過していました。以降も原始林を切り開く開墾作業は困難を極めます。そんな中でも、母村・十津川村に倣い文武両道を尊ぶ人々は、教育施設を建設。水田開発も推し進め、大正期には、人口も1万5千人を超え、道内でも屈指の米作地帯に成長するまでになりました。
 入植から128年が経過した現在。新十津川町の人々は奈良県を母県、十津川村を母村と呼び、平成23年の紀伊半島大水害時には、約5000万円の義援金等を十津川村に寄付。約1500キロもの米も届けられました。

 昨年6月20日に行われた「新十津川町 開町127年・町制施行60周年記念式典」には、荒井知事、奈良県議会議員団と更谷(さらたに)十津川村長も出席し、祝辞を述べました。新十津川町の熊田町長は、「不撓不屈(ふとうふくつ)、質実剛健、一致団結の三つが合わさっての十津川魂を、これからも受け継いで頑張っていきたい」と、その思いを語りました。
 ひとつの災害から生まれた母子を思いあう心は、世代を超えて受け継がれ、その縁を今なお紡ぎ続けています。
大水害により、川がせき止められ湖が出現(明治22年 奈良県北十津川村)
大水害により、川がせき止められ湖が出現
(明治22年 奈良県北十津川村)
原生林を測量し、区画割が行われた(明治23年 北海道新十津川村)
原生林を測量し、区画割が行われた
(明治23年 北海道新十津川村)
新十津川町・十津川村・奈良県の関係を深める連携協定を締結
奈良県と奈良県十津川村及び北海道新十津川町は、昨年8月21日「奈良県、十津川村及び新十津川町による連携協定」を締結し、特産品の販売や情報発信等について協力して取り組んでいます。今後もそれぞれの関係がより深く、力強くなっていくことを目指して活動を深めていきます。
県南部東部振興課
TEL
0744-48-3015
FAX
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※「県民だより奈良」は県内の各家庭にお届けしています。
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