ぶらり日本書紀

県民だより奈良 2019年10月号

ぶらり日本書紀
景行天皇陵(渋谷向山古墳)
景行天皇陵(渋谷向山古墳)
(県立橿原考古学研究所提供)

地図
地図
巻第七「景行天皇」 日本武尊(やまとたけるのみこと)
 第十二代景行天皇は熊襲(くまそ)の反乱を平定するため、自ら九州へ赴き転戦しました。しかし、数年後、再び熊襲が反乱を起こしたため、息子である十六歳の小碓尊(おうすのみこと)を西国に派遣することにしました。熊襲国(くまそのくに)に着いた小碓尊は、童女の姿に変装し、熊襲の首長の川上梟帥(かわかみたける)の酒宴に紛れ込むことに成功。酔いがまわったところで、川上梟帥の胸を刺しました。川上梟帥はまだ息が絶えないうちに「私はあなたのような強いお方にはお会いしたことはありません。これより、皇子を日本武尊(やまとたけるのみこと)と名付け、称えましょう。」と言いました。これが日本武尊の名前の由来です。無事に熊襲の反乱を平定した日本武尊は天皇に報告し、天皇はその功績を褒めたたえ、日本武尊を非常に愛したといいます。
 それから数年後、今度は東国の鄙(ひな)の国が反乱を起こし、日本武尊は東国に討伐に行くことになりました。数々の戦いを経て、都への帰路についた日本武尊でしたが、伊勢国の能褒野(のぼの)で力尽き、三十歳で亡くなりました。知らせを受け、ひどく悲しんだ天皇は日本武尊を能褒野陵(のぼののみささぎ)に葬りました。すると、日本武尊は、白鳥となって陵から出て、倭国に向かって飛んで行きました。天皇が使者に白鳥を追わせたところ、倭の琴弾原(ことひきはら)、河内の古市邑(ふるいちのむら)に留まったので、それぞれに陵を造りました。当時の人は、この三つの陵を白鳥陵と呼びました。
 そして、日本武尊の子は、のちに、第十四代仲哀(ちゅうあい)天皇として即位します。
景行天皇纒向日代宮跡(まきむくのひしろのみやあと)伝承地碑
纒向遺跡などの周辺の発掘調査の結果は桜井市立埋蔵文化財センターで展示されています。日本武尊や景行天皇の食卓に並んだ器もあるかもしれません。
琴弾原白鳥陵
白鳥となった日本武尊の魂が降りた地に造られたといわれ、白鳥三陵の一つとされています。
琴弾原白鳥陵
琴弾原白鳥陵(御所市観光協会提供)
聖徳太子シンポジウムを開催!
令和元年12月7日(土曜日)
サンケイホールブリーゼ(大阪府大阪市北区)
聖徳太子と政治をテーマに講演、パネルディスカッション、アトラクションを実施予定。
詳細が決まり次第、下記HPで公開。
URL www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/
世界遺産フォーラムを開催!
令和元年11月17日(日曜日)
県立橿原考古学研究所(橿原市)
世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の課題と今後の展開について、専門家を招き、講演、パネルディスカッションを実施予定。詳しくは下記HPへ。
URL asuka-fujiwara.jp/
県文化資源活用課
電話 0742-27-8975
FAX 0742-27-0213
詳しくはhttp://www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/ 
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