ぶらり日本書紀

県民だより奈良 2020年6月号

ぶらり日本書記
向原寺(明日香村豊浦)
向原寺(こうげんじ)(明日香村豊浦)
巻第二十「敏達天皇」
日本初の出家善信尼(ぜんしんに)
 552年、欽明(きんめい)天皇は百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)から釈迦仏の金銅像や経論(きょうろん)などをもらいました。欽明天皇は「これほど素晴らしい教えは聞いたことがない」と喜び、臣下たちに礼拝すべきかどうか尋ねました。蘇我大臣稲目(そがのおおおみいなめ)(蘇我馬子(そがのうまこ)の父)は「諸外国はみな、こぞって礼拝しています。日本だけが背くわけにはいきません」と言いました。一方で物部大連尾輿(もののべおおむらじおこし)と中臣連鎌子(なかとみのむらじかまこ)は「日本では八百万(やおよろず)の神々を祀ってきました。それを改めて外国の新しい神を拝んでしまっては、国神の怒りに触れるでしょう」と言い、真っ向から対立しました。この対立は、子の蘇我馬子、物部守屋(もののべのもりや)の代にもそのまま引き継がれました。
 584年、百済から二体の仏像を請い受けた蘇我馬子大臣は、国内のさまざまな場所に使者を遣わし、仏教の修行者を探させました。僧から還俗(げんぞく)していた高麗(こま)の恵便(えべん)という者を播磨国(はりまのくに)(現在の兵庫県)で見つけ出しました。蘇我馬子大臣は、この高麗の恵便を師として、司馬達等(しまのたちと)の娘を出家させました。名前を善信尼といいます。その善信尼の弟子として、禅蔵尼(ぜんぞうに)、恵善尼(えぜんに)という2人の女性も出家させました。この3人の女性が、日本で初めて出家したのでした。蘇我馬子大臣はひとり仏門に帰依(きえ)し、3人の尼を崇め尊びました。
釈迦仏の金銅像
坂田寺跡
『日本書紀』では司馬達等の子である、鞍作多須奈(くらつくりのたすな)が用明天皇の病気治癒を願って建てられたと伝えられています。持統天皇の時代には大官大寺、飛鳥寺、川原寺、豊浦寺と並んで飛鳥五大寺の一つと呼ばれました。
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