ぶらり日本書紀

県民だより奈良
2020年8月号

ぶらり日本書記
【vol.14】
信貴山朝護孫子寺(平群町信貴山)
聖徳太子も祈願した毘沙門天をご本尊とする信貴山朝護孫子寺(平群町信貴山)
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巻第二十二
「推古天皇」
聖徳太子(しょうとくたいし)(厩戸皇子(うまやどのみこ))の政治
 崇峻天皇(すしゅんてんのう)が蘇我馬子に暗殺されたのちに、臣下から強く推挙された豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)(のちの推古天皇)が天皇の位を継ぎました。推古天皇は厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として立て、政務を任せたといわれています。太子は、能力に応じ個人に対して位を与え、冠の色で位を表す「冠位十二階」という制度や、臣下としての道徳的な心構えをまとめた「憲法十七条」を定めるなど、天皇に従い仏教を尊ぶ国づくりを進めていったとされています。また、607年、推古天皇は小野妹子(おののいもこ)を隋(ずい)へ遣わしました。中国側の歴史書『隋書(ずいしょ)』によると、日本が献上した国書の内容について「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや…」と書かれており、隋の皇帝であった煬帝(ようだい)はこれを見て「無礼な蕃夷(ばんい)の書は今後自分に見せるな」と言ったとあります。
 『日本書紀』には、ほかにも聖徳太子にまつわる不思議な話があります。太子が片岡(現在の王寺町〜香芝市のあたり)にでかけたところ、飢えた人が道端に倒れていました。話しかけても返事がなかったため、太子は衣服をかけ、食物を与えて帰りました。翌日、太子が飢えた人の様子を見るため使いをやると、飢えた人は死んでいました。太子は悲しみ、飢えた人の亡骸を片岡に埋葬させました。後日、不思議なことにその亡骸は消え、太子が与えた服が棺の上に畳んであったといいます。後に人々はあの飢えた人は達磨大師の生まれ変わりであろうと噂しました。
土舞台(桜井市谷)
612年、百済から帰化した味摩之(みまし)は、桜井の地に住み、中国南部の呉で習得した伎楽(ぎがく)を少年たちへ教えたと『日本書紀』に書かれています。
この土舞台は、聖徳太子が初めて国立演劇研究所と国立劇場を設けた場所として伝わり、日本芸能発祥の地として顕彰されています。
土舞台(桜井市谷)
館蔵品展「万葉コレクション展 -見る・知る 絵画の様々な表現技法-」開催中!
館蔵品展
内藤定昭《博物館の午後》2002年
絵画作品の「表現技法」に注目した展覧会です。さまざまな発想で描かれた作品を鑑賞し、制作者たちの工夫や表現の奥深さを感じてみませんか。詳しくは下記HPへ。
9月22日(祝)まで
県立万葉文化館(明日香村)
URL www.manyo.jp/
県文化資源活用課
電話 0742-27-8975
FAX 0742-27-0213
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