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森が放出するフィトンチッドのパワー

 高校生のときだったでしょうか、森の中のサナトリウムで、主人公が療養するところから始まる小説を読んだ記憶があります。当時はなぜ、森に囲まれたところに建てられることが多かったのか、あまり疑問も抱かなかったものです。

 1930年頃、旧ソビエトのレニングラード大学B・Pトーキン博士は、「マツ、モミ、トドマツ、ネズなどの樹木の葉やニンニク、ネギなどにおいの強い野菜の葉を切り刻み、少しはなれたところに赤痢、チフスなどの病原菌、あるいはアメーバーなどの原生動物を置いておくと、これらの微生物は短時間のうちに死んでしまう」。このような現象を見て「植物は傷つけられると、その周辺にいる他の生物を殺す何かの物質を出す」という研究成果を発表し、ロシア語のフィトン(植物)がチッド(殺す)という意味で、この物質を”フィトンチッド”と名付けました。

 森にはその森特有のにおいがあります。森の良い香りを形づくっている主成分はテルペン類です。傾斜のある森林では、テルペンの濃度の総計が最も高くなるのは山腹で、頂上に行くに従い、また山腹より下に行くにつれて低くなります。1日では昼に近い午前に最も高く、季節的には初夏から夏にかけ高く冬には低くなります。
 においの物質には血圧低下や沈静効果があります。アトピー体質の子供が桧のフローリングに接し始めて一週間後、炎症が消えた事例も認められています。また、製材室のテルペン濃度は森林内の50倍ほどで、製材所にぜんそくの子供を連れて行くと、その症状が和らぐといわれています。

 ところで、私達の暮らしの中で、知らず知らずのうちに”フィトンチッド”の効用を取り入れていることが数多くあります。
 例えば、5月の節句の菖蒲湯は、疲労回復・リラックス効果を、柏餅・桜餅・柿の葉寿司などは抗菌(靜菌)作用、日本酒を造るスギの樽は防腐効果に加えまろやかな味を引き出しています。杉は木材として優秀で、調湿・殺菌作用に優れているため、酒・味噌・醤油の樽、木造船の材料、果実を梱包する為の木箱などに幅広く使用され、また赤身材は耐水・腐朽性に富み外装材に重宝されます。桧は材質が硬く芳香に優れ、腐朽・シロアリ・水湿に強く彫刻・生活用品に使われてきました。

 当初、博士が考えたフィトンチッドの概念は、揮発性物質のみならず不揮発性物質も含んでいたようですが、最近ではフィトンチッドの概念のうち、森林が作り出す揮発性活性物質の研究が進み、心身に良い影響を与えることがわかってきました。さらに近年の森林浴ブームとともに、森林のにおいの生理作用に関心が高まり、裏づけデータも蓄積されるようになりました。都会と森林で運動後の疲労回復速度を調べると、森林のほうが早いことが心拍数等の計測からわかっています。また樹木の切りくずの床敷の上に直接接触しない形でマウスを飼育し、睡眠薬を注射すると、樹木のにおいによって肝臓の解毒作用が活発になり、マウスの目覚めが早くなることが知られています。

 森林の澄んだ空気、閑静な雰囲気は、疲れた体に活力をよみがえらせてくれます。サナトリウムが森に囲まれたところに多く建てられたのは、先人たちが知らず知らずのうちに、心身にとって最適な環境を探し当てた結果なのでしょう。
 これであなたも森林浴のプロフェッショナル。心身のリフレッシュ、リラックスのために、さあ、あなたも出かけてみませんか。

2002年3月
奈良県農業技術センター
普及技術課 専門技術員 川岡信吾