iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2010年11月29日 掲載) 

「このくにのかたち」を考える(その1)

 

1.「くにのかたち」の基本形荒井知事顔写真

  「くにのかたち」を決定する最大の要素は、中央集権的な国か、地方分権的な国かという点にあると思われます。これまで、地方分権が必要と言われてから長い年月が過ぎていますが、どうして進まないのでしょうか。

 中央政府の抵抗、地方政府の能力についての心配等の理由があると言われていますが、何のためにという議論が十分行われてこなかったことも、大きな理由になると思います。

 地方分権を国家の目標とするための理由を確認しないまま、中央の政府組織と地方の政府組織が、権限と予算をより多く取るための押し合いをしてきただけのようにも見えます。中央政府組織も、地方政府組織も国家組織の一部です。両者の性格の違い、役割の違いを十分認識しないまま、「仕事の量」を移すことに大きな精力を使ってきたのではないでしょうか。

 

2.内向きの時代は地方分権、外向きの時代は中央集権

 わが国の国と地方の行政の役割について歴史的変遷を見ると、奈良時代と明治時代に中央集権的国家が成立していました。その他の時代は差がありますが、概ね、地方分権的な国家体制でした。どうしてこの二つの時代に中央集権的国家が成立したのでしょうか。

 それは、当時の国際情勢の緊迫性にあったと思われます。

 これらの時代における国際情勢の緊迫とは、近隣に強国が成立した、あるいは強国が近隣に近寄ってきたということであり、「国の力」を強める必要が生じたということです。

 663年には韓半島西側の白村江で、唐、新羅の連合軍と戦った倭(大和政権)と百済遺民の連合軍は大敗しました。また、1840年に勃発した阿片戦争で清が英国に惨敗した情報は、鎖国中のわが国幕府と各藩を驚かせました。

 わが国は島国で、ユーラシア大陸の東の端に位置していますので、国際情勢が緊迫していなければ、どうしても内向指向になってきたような気がします。

 奈良時代には大唐帝国が当時の世界の最強国でグローバルセンターでしたが、わが国は外交政策の妙を得て、大唐帝国の文明を大いに吸収するとともに、韓半島からの上質の亡命者を大量に受け入れ、中央集権制の下、国家の基礎を築くことができました。しかしながら、唐の勢力が衰え、国際情勢の緊迫性がやわらぐ平安時代になると、わが国は急速に内向きの国柄になっていき、遣唐使も廃止されました。

 

3.現在の国際情勢は、わが国の内向指向を許してくれるか

 現在、わが国はどんどん内向き指向になっているように思われます。理由は色々あるのでしょうが、冷戦が終結して大きな戦争の恐怖が近隣から遠のいたと思ってきたことも、その一因かもしれません。しかしながら、中国が経済的、軍事的に大国化する中で、尖閣諸島や北方領土の問題、北朝鮮の動向など東アジアの安全保障の問題は、以前より解決の困難性が増しています。また、グローバルな市場経済を前提とする国際社会では、経済的生存競争が激烈になっています。

 今われわれは、グローバル、ナショナル、ローカルの3つの領域に生きていますが、グローバル化された今日の社会では、外国で起こった多種多彩な事象が地域住民の生活にすばやく影響します。内向き思考では、わが国の将来が心配です。

 

4.グローバル社会の中での地方政府の役割

 それでは、グローバルな社会における地方政府の役割、地方分権の意味はどのようなものになるのでしょうか。

 まず中央政府の役割は、グローバル化された国際社会の中で、日本の生存領域を確立、保全することにあります。

 また、地方政府がどのような役割を有するべきかは、中央政府の権限と責任の所在と大いに関係します。

 「このくにのかたち」、とりわけ中央と地方の役割分担について考える際には、われわれが今どのような国際環境の中に生きているのかの認識を基本とすべきではないでしょうか。

 今後この場をお借りして、「このくにのかたち」について、少し検討を深めていきたいと考えています。