iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2011年7月14日 掲載)




        「このくにのかたち」を考える(その4)


.わが国はいつも二つ以上の思想が併存

荒井知事
 わが国は、神の国か、仏の国か。儒教の位置付けは。聖を大事にするのか、俗が中心か。答はいつもあいまいです。政治思想上の対立軸が見いだし難く、世論は状況判断に流れがちです。政治に対する世論が身近な損得による傾向が強く、損得の評価は状況によって変わるため、政治家の評価も定まりません。政治家の評価も芸能人並みに人気度に負うことが多いのは、いまや洋の東西を問わずかも知れませんが、わが国では政治家の頭の中の「基軸」を見つけることが難しいのです。

 このような構造になっている根本的な原因は、私たちの心の中にいつも二つ以上の考え方を併存させているせいだと思います。

2.思想の併存性は平城京の昔から

 われわれは、矛盾する考え方を心の中に、または、社会的に併存させることは意外と平気です。論理的に共存し得ない考え方を一緒に主張してしまったりします。トレードオフの考え方がないのです。

 論理的であることを理非の判断の前提条件とする(だいたいの国でそうですが)近代の考え方からすれば、わが国の状況は、奇妙に見えます。

 ところがこれは、わが国で、初めて国家の形ができた奈良時代からそうで、その後ずっと変わっていません。

 原理主義より状況主義、聖重視より俗重視、国際主義より国内主義などが、国家原理の基本的特徴となってきたわが国ですが、時の政権によって重心は移動します。ところがどの政治思想に国家の重心を置くべきかについては、世論は格闘しません。政治家の好き嫌いで政権を判断しがちです。また、思想のいいとこどりをしがちな面もあります。


3.わが国では理念のための戦いがない

 現代社会で最も大事な基本理念は、自由主義、民主主義、人道主義の三つですが、これらの基本原理はすべて、わが国固有のものではありません。すべて輸入された考え方です。これらの基本原理が育った国々では、思想的格闘、政治的闘争、そして戦争まで起こって、確立してきたものです。ところが、わが国では、何らかの政治原理のために、政治闘争が行われることはあまりありませんでした。

 これら現代の三つの大事な基本理念をわれわれ日本人は、心底から信じているのでしょうか。大事な考え方だとは思っているのでしょうが、これらの理念を墨守し、理念に歯向かう敵と闘うといった気迫は、わが国にはありません。

 また、わが国は従来、これらの原理がもたらす実利的恩恵を追求してきました。グローバル化の実利ばかりを追求して、国内市場は閉鎖的にしているという外国の厳しい評価は続いています。


4.現代の平城京モデルの確立

 三つの基本理念は、今日のグローバル化社会の中で中心に位置する存在となり、その存在にチャレンジする国はあまりありません。しかし、それらの理念を、それぞれの国家主権の行使の中で、どう適用するか、つまり、普遍的、国際的原理をどう国内化、地域化するかということは、現代社会で最も大きな課題のひとつとなっています。

 わが国は、平城京の時代に外国から到来した仏教、法に基づく国家の仕組み、漢字などをわが国独自の流儀で、国家、社会の基本としてきました。グローバリズムとローカリズムの相克という現代の課題を、わが国では、平城京の昔から、わが国独自の流儀でこなしてきたわけです。このような流儀を平城京モデルと呼びたいと思います。

 現代グローバル化社会の基本理念を、いまわが国の政治、経済、社会でどう適用するかについて、わが国独自の知恵と流儀があってもおかしいことではありません。グローバルな理念をローカルの条件にどう調和させるかについて悩む国が多い今日、わが国独自の流儀でもって、わが国独自の基軸を確立する、現代の平城京モデルをつくり、現代社会の課題解決に貢献してはいかがでしょうか。