家々の屋根まで霜が降りてうっすらと雪化粧を施したような1月8日。大和郡山市の北西、矢田地区の鎮守矢田坐久志玉比古神社で綱掛け行事が行われた。同社は「矢落大明神」、「矢田大宮」とも呼ばれ、矢田の他外川・城・山田・新を氏子圏としている。近世には、矢田寺と東明寺の一老二老四人が、神役を勤めていた。祭神は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと、天忍穂耳命の子)と御炊屋姫(みかしきやひめのみこと、長髄彦の妹)、またクシタマヒコとクシタマヒメといわれる男女一対の神である。櫛玉饒速日命はニニギノ命の天孫降臨に先立って、天磐船に乗ってこの地に降臨し、その時三本の矢を射たという。天孫降臨に先行する神話を有する独自の世界観をこの地は持っていたことになる。饒速日命が天磐船に乗って降臨した際に、三本の矢を射て、一の矢が落ちたところとされ「矢落大明神」とも、また単に「矢田大宮」とも呼ばれる。境内には二本目の矢が落ちたという「二の矢塚」もある。空を飛んだ天磐船の伝説から飛行の神としても崇敬され、飛行機の木製のプロペラが奉納されて楼門にかかげられている。このプロペラは昭和18年に大日本飛行協会大阪支部から奉納されたもので、同社宮司加藤善孝氏によれば陸軍九一式戦闘機I型のものとのことである。昭和15年に9月20日が「航空の日」に制定されてから、同社の恒例祭として毎年9月20日に航空祭が執り行われている。

 同社には、祭祀組織として宮座として北座(左座11戸、右座11戸)、敬神座(南矢田他)、南座(岡・丸尾)が営まれ、1月8日にはこれら宮座によって綱掛けが行われる。

  八日朝、神社を訪れるとすでに楼門の入り口には、直径10センチほどの綱を大きく二回ほど巻いて、その中央部をグルグル巻きにして、はみ出た部分を張り出して、据えられている。横山の人々が正月2日に神社境内で作ったものという。ただの綱とも思えない存在感のある形姿をしている。龍の姿という人もあれば、エビだという所もあるという。

 宮座のうち、左座は末社の主人(ぬしと)神社の綱を、敬神座は神社境内の注連縄をつくり、神社正面の綱掛けは北座の人々が行うことになっている。北座は矢田地区のうち、東村・北村・中村・榁の木・横山の集落のうち現在22軒で組織されており、東村・北村・中村・横山の各集落が1本づつ、合計4本の綱を作ることになっている。
 午後1時頃から北座の人々が集まり始め、まず神社の正面に掛けられた昨年の綱を外して、トンドで燃やし始める。そのうちにトーヤの家で作られた中村・北村・東村の綱が軽トラックで次々と運び込まれる。巻き方は少しずつ違うようだ。しばらくトンドの周りで、正月の挨拶や雑談が続くうちに雪が激しく舞い出し、2時の予定を早めて拝殿で祭典が始まる。

 20人ほどが参列して祭典が終わると、宮司が切幣で四つの綱を祓い清める。それを待つようにして、人々は早速巻いた綱をほどいて長く境内にのばし、1本の綱の中央部分に別の綱を「チョウサジャ、チョウサジャ」の掛け声とともに二重に撚り合わせる。四本の綱には雌雄があり、撚り合わせることは、男女の交合にもつながるという意識が持たれている。この撚り合わせた部分が神社入り口にくる。さらに1本の綱を繋いで、都合3本の綱で長い綱が完成する。何人もの人が樹や柱に登り、長い綱を引っ張り上げる。西の端から東の柿の大木までおよそ40メートル余り、中央には真新しい幣と房が垂れ下がる。見学している私まにで清新の空気が伝わってくる。
 
 残り1本の綱は半切されて、片方はフナドサン(二の矢塚)の石に巻き付ける。残りの半分は、主人神社へ運ぶ。大宮の南、矢田参詣道沿いの同社は小祠ながら精巧な作りの社殿だ。ここには左座の人々八人が集まっていた。先ほどの綱の半分と3日に左座のトーヤで作った綱を繋いで1本にし、社前に吊り下げる。終わると小さなトンドを囲んで立ったままでなごやかな直会となった。

(2006年1月8日調査)
「郡山・矢田民俗誌のために(1)」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第23号(鹿谷勲執筆)より
 
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