2年続けて、大和郡山市内の植槻八幡神社のお田植行事を実見した。1月7日、昨年は綿雪が舞っていたが、今年は朝から冷たい雨が降っていた。近鉄郡山駅を東に降りて、線路沿いに北へ進むと、城廻り線の踏切りあたりから、青地に白抜きのお田植行事と染めた幟が見えてくる。10時過ぎ門を入り、石段を登るとテントが張られ寒い中婦人達がぜんざいの接待をしている。立ちながら食べている人の椀から湯気が立ち上っている。

 奥には唐破風の付いた割拝殿があり、福引きが行われている。景品は主婦が普段使う家庭用品ばかりだった。拝殿と本殿に続いた舞台との間では、祝詞奏上のあと、神戸から来た青年二人が修心流居合術を披露し始める。真剣な面持ちの青年が、刀を執ってさまざまな型を見せると、参集した人々は息を殺してじっと見つめている。居合い切りでは、畳表を細く巻いて立てたものが、切れ跡鋭く切り刻まれて、ころころと地面に転がり落ちる。昨年は和太鼓の奉納だった。

 このあとお田植行事、いわゆるオンダがいよいよ始まる。神主を先頭に、氏子総代、牛の鼻持ち、牛役、牛追いと行列を作って、本殿と舞台の周囲を右回りに回る。鼻持ちは翁の面をかぶり、牛追いは滑稽な表情の面を被っている。牛役は藤の紋の付いた黒い胴幕の中に男が二人中に入り、前の者が牛面を被り、後ろの者は上手に尻尾を動かす。まずカラスキ(唐鋤)を付けて一周、その次にはマンガ(馬鍬)に代えて、そのあとは牛追いが鍬(天保10年〈1839〉の墨書銘がある)を執って「今日はやっかいな雨じゃなあ。これも温暖化現象かのう。」などと即興の台詞をしゃべりながら、田を耕す真似をする。その次は籾蒔きだ。「苗代の籾蒔きせにゃなあ。ええ苗できよ。」今度は「よう苗も育ってくれた。ええ苗じゃ。田植えをせになあ」といって、松葉を苗に見立てて、地面に並べてゆく。「今年もええ雨に恵まれますように。豊年になりますように。ええ年間違いなしや!」この役は翁の面を付けた鼻持ちがするとのことであるが、腰が痛く屈むのが大変なので、牛追いがしているのだという。拝殿と舞台の間の狭い場所が、苗代になったり、水をたたえた田圃になったりしているうちに、なんだか今年もいい年になりそうな気がしてきた。

 田植行事が済むと、氏子総代が玉串を捧げ、一同拝んでから、御神酒が振る舞われ、舞台から御供撒きのかわりに蜜柑が撒かれ、松苗も分けられる。この松苗は五月初めの苗代に籾を蒔く時に、榊や季節の花とともにナエドコのへりの水の出入り口に挿す。籾を蒔いて35日以内に田植えをするのがよいとされ、遅くとも夏至までにといわれていた。行事が終わっても、境内には人の賑わいが続いていた。

(2007・2008年1月7日調査)
「郡山・矢田民俗誌のために(1)」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第23号(鹿谷勲執筆)より

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