iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2012年12月20日 掲載)

「このくにのかたち」を考える(その9) 


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1.尖閣諸島問題と満州事変

 9月11日、日本の野田佳彦首相が尖閣諸島を国有化したことに対し、中国各地にこれまでにない激しい反日デモが繰り広げられました。その背景には、尖閣諸島の日本への帰属について、日本が「問題は存在しない」としている一方、中国側では、その領有を強く主張していることと、11月初旬から中国の新しい指導者が決まることについての権力闘争や中国国内の格差問題について強い不満が発生していることが指摘されています。

 他方、この時期これほど激しい反日デモが起きたのは、9月18日が日中戦争勃発の日とされ、中国にとっては国恥とされている満州事変発生の日であったからとされています。

 では、満州事変とはどのような出来事だったのか。現在においても日中関係に大きなダメージを与えているこの出来事は、わが国の政治意思決定のあり方を考える際、今日にも大きな教訓を与えている事例だと思われます。

2.満州事変とは?

 81年前の1931年9月18日、奉天(現中国遼寧省藩陽市)郊外の満鉄線を関東軍が爆破し、それを中国軍のした事と偽って、対中国への軍事行動が開始された事件です。

 この事件には、まず、日本の統治構造上、次のような問題が含まれています。

(1)関東軍の軍事行動は、日本の国の政治意思決定をする主体である内閣の決定(閣議等)を経ていないこと。

(2)当時、軍の指揮は天皇の権限(統帥権)とされていたのに、その裁可も受けずに軍を動かしたこと。

 また、この事件では当時の若槻礼次郎首相が「既に出動したる以上致し方なきにあらずや」と述べ、さらに閣議で必要な経費支出をその後認めたことで、政治的に追認されてしまいました。既成事実先行型の意思決定パターンです。また、当時の政党政治が「二大政党制による政権交代」か「連立内閣」かでもめ、政局優先の国会運営であったため、結局、わが国歴史の分岐点ともなったこの事件に対し、有効な手を打てなかったことも、わが国の政治意思決定上の欠陥が現れた重要な点です。

3.満州事変に対するマスコミ報道の大旋回

 満州事変後、当時の新聞は、軍事行動に批判的だった事変前と打って変わって大旋回し、事変報道を拡大し、事変をほめそやすようになってしまいました。戦争報道をすることで販売部数が大きく伸びるという事実が、マスコミの報道姿勢を変えさせたと言われています。戦争をドラマとしてマスコミ劇場で大きく報道することで販売部数が増えたわけです。この傾向は太平洋戦争が終わるまで続きました。

 満州事変をきっかけに、国内のマスコミと世論の後押しを受けた満州での関東軍の軍事行動はさらに拡大し、一方、中国側の抗日活動は、さらに活発化しました。これは、マスコミ(当時は新聞)があおる劇場型政治の原型とも言われています。

4.満州事変が破壊したのは、日本の政党政治と国際協調路線

  政治が軍を抑制できず、軍が行動を拡大すれば、英米仏との国際関係も悪くなっていきます。この事変で、これまでの日本の井上準之助蔵相と米国モルガン商会のトーマス・ラモントの満州鉄道に対する国際協調融資構想が頓挫してしまいました。また、ワシントン体制に基づく軍縮政策を根幹とする緊縮財政政策は推進力を失い、日本の政治と国際金融システムとの提携関係は切断されました。

 満州事変は、このように日本の政党制と国際協調金融システムを破壊したと言われていますが、これこそ軍部が狙っていた本当の目的だとも言われています。結局、太平洋戦争に至る道がここに開かれてしまいました。

 このように、満州事変をめぐる歴史を振り返ってみると、「事実追認型の政治」、「決められない政治」、「マスコミがあおる劇場型政治」、「中国関係がうまくいかないことによる国際関係へのはね返り」など、今日まで続くわが国の政治の原型がよく分かり、今日の政治状況を見る際に、大いに参考になります。中国における今日の反日デモが、81年前の9月18日の今日的意味に思いを至らせてくれました。(了)