iJAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2013年5月23日 掲載)

「このくにのかたち」を考える(その10)

                                             

1.「グローバル化」の本質とは何か?

 今の時代の特徴は、自由主義、民主主義、資本主義、そして「グローバル化」といわれる。一般に「グローバル化」の特徴は、「人、もの、金、情報が国境を越えて往来すること」とされている。しかし、これは「グローバル化」の現象面、結果にすぎない。グローバル化の原因、本質は何だろうか。

 自由主義、民主主義、人権主義、科学的思考、資本主義も、すべてキリスト教の考え方が大きく関わっている。「グローバル化」は、「キリスト教起源の普遍化志向の諸システム」=キリスト教文明が、地球規模で拡大していることと考えてよいのではないか。

2.「グローバル化」はどうして、キリスト教と関係が深いのか?

 キリスト教(ユダヤ教も)の大前提は、「絶対神」の存在。この世に存在するものは全て神が創られた。例えば、自然はGodがつくったそのまま。自然は規則性(神の計画)を秘めている。これは、理性による自然の規則性の探究(科学的思考)につながっている。

 また、神の下では、国王も人民も同じ立場(法の下の平等)。人民には法に従って国王の権利を制約する権利がある(ジョン・ロックの民主主義)などの考え方を発達させた。

 とりわけ、現在のグローバル化の主役、資本主義は、キリスト教との関係が深い。

Godは、個々人に(聖霊を通じて)生きる権利、ものを所有する権利を与えた。各個人に与えられた所有物を自由に交換する権利は、市場経済の前提となった。さらに、アダム・スミスが「私的利益を追求することによって、見えざる手に導かれ、意図していない目的=公共的利益を促進する」という考え方を主張し、資本主義の普遍化への道を開いた。

3.われわれ日本人は、このような「グローバル化世界」に生き残っていけるのか?

 一方、キリスト教起源の普遍化志向のシステムである資本主義は、日本人としてどこか押しつけがましいところがあるのではないかと感じるのも事実である。さて、どう対処すればよいのか。16世紀にキリスト教が日本に到来して以降日本人が採ってきた姿勢は、まず「事実上、日本にだけは適用されないようにする(禁教、鎖国)」といったものだった。その後、19世紀になって、西欧文明に扉を開いた後は、「文明の役立つ部分のみを採用する(和魂洋才)」、「日本には特殊な条件がある(日本は例外的存在)」という主張をするようになった。この対応姿勢は、奈良時代以来、今も続いている日本人の基本的なスタイルとなっている。しかし、このような自らを辺境扱いするスタイルは今後とも採りうるものなのか?

 これからは、「我こそが普遍」という態度を基本にし、「普遍性を持つ日本型システム」の形成に心掛け、国際的な体制の中で、多様性のあるグローバル化世界を志向すべきではないかと考える。

4.「グローバル化時代における日本の生き方」をどのように考えればよいのか

 過去、わが国がグローバル社会と大きく直面した経験は2度しかない。

 第1は、7~8世紀唐を中心としたグローバル世界の時代に、漢字・仏教・律令(りつりょう)制度といった普遍的文明を受け入れる一方、天皇制を確立し、日本という国家を唐に認めさせ、独立を保った経験。

 第2は、19世紀、西欧の勢力が東アジアに到来した時、いち早く西洋の文明に習熟し、独立を守るとともに、アジアの中で抜きんでた存在となった経験。

 この、二つの時代に共通する特徴は、(1)緊迫した国際情勢であった(2)中央集権国家の形成を指向した(3)外国の文明を積極的に受容した(4)外国人教師の国内配置に積極的であった-ことなどであるが、結果として、(5)国家の政治体制の抜本的改革に成功した(6)国家の独立性が維持できた-ことが挙げられる。

 往事を彰らかにし、来し方を考える(彰往考来)ためには、今後、(1)キリスト教文明の構造をよく理解する(2)国際的枠組みに影響を与える度合いの大きいアメリカ・中国の動向をよく注視、分析する(3)日本の伝統的価値の本質を理解し、日本独自の立ち位置を探求し確立する-ことが必要ではないかと考える。(了)