優良賞2

 本当の優しさ

                              智辯学園奈良カレッジ中学部 3年 大浦 かおる
 
 いつ頃からか私の母への反抗は始まっていました。今から思えば、小学五年生。それは父が札幌へ単身赴任になったあたりからでした。
 「宿題したの?」とか「部屋片付けなさい。」などと毎日のように母の声が飛んでいました。小さい頃は「はーい。」と素直に言えたことも「分かってる。」とか「今やろうと思ってた。」と口ごたえをしてしまいます。それもどんどんエスカレートしてくると最後には無視してしまうようになってしまっていたのです。父がいなくなってしまって大変な母の気持ちを私はよけい荒だたせていたように思います。私の反抗的な態度と母のガミガミのやりとりは小学時代が終わるまで続きました。
 中学校に入って気持ちを切り替えようと思いましたがそう簡単にはいきませんでした。反抗的な態度をとって、家でも勉強しなかったから、まるで坂道を転がるように成績は落ちてしまいました。普通ならガミガミがもっとガミガミになると思っていた母がピタッと怒らなくなりました。見離されてるわけでもなく、またじっくり見られてる感じでもなくとても複雑な気持ちでした。母は何も怒らない。だから私も何も言い返せない。家の中に変な空気が流れている時期でした。たまに聞かれる事は「学校生活どう?」という感じで全く怒るような気配ではありませんでした。「どうして?なんで?今からこんな成績だったら怒られても当然だと思うんだけどな。」私の中でこんな疑問がだんだん大きくなってきました。
 ある時ちょっとした事件が起きました。事件というのもオーバーですが、帰宅後お弁当箱を流しの中に出しているとき偶然母が二階から下りてきて、間の悪いことに私が残してきたおかずを捨てているところを見られてしまったのです。その時素直にごめんなさいと言い謝れずに「何で見てんの?捨てたら悪い?」と今から思えばとんでもないことを口ばしってしまっていました。一瞬母の顔色が変わってしまいました。しかしすぐに普通の表情に戻った・・・というか、そういうふりをしたように見えました。でも母からは「美味しくなかった?体調悪かった?」と予想外の言葉が返ってきました。私はいつもならきっと続いて出てくるはずの言葉の数々をぐっとこらえた母の気持ちに気付きました。中学校に入って全くといっていいくらい私の言動を怒らなくなった母。それは本当は大声で爆発的に怒りたいのをグッとがまんして私自身に気付かせようとしてくれていたのだと思います。怒ることは簡単かもしれないけど、がまんすることは怒ること以上にとても大変なことだし、辛いことなんだとつくづくそう思いました。
 今までは怒ってもらえるうちが花だという意識に甘えていましたが、母の立場に立てば怒るのをこらえて私をじっと見守るという母としての優しさであり、また子育ての大変さではないのかなとやっと私もそんなことに気付きました。これからはなるべく怒らせないようにしよう・・・いや、怒りを抑えてストレスをため込まないようにしようと思いました。そのためには、言われる前に気付く。そして行動する。素直な気持ちを忘れずに持ち続けようと思いました。