優良賞3

 あきらめない

                              智辯学園中学校 3年 大野 新

 皆さんは「あきらめが肝心だ」と思いますか。それとも「あきらめたら終わりだ」と思いますか。僕はどちらかと言えば後者です。
 今年の春、隣りの国、大韓民国で大型客船が転覆し沈没したことをニュース番組で知りました。この大惨事は、僕の通っている智辯学園高校の二年生が、韓国へ修学旅行に出発する、わずか五日前の出来事でした。
 もはや他人事ではありません。僕も二年後には、韓国への修学旅行を控えているからです。(大きな事故だし、今回の出発はあきらめて延期になるだろうな)と思っていました。ところが、変更は無く予定通り出発しました。そして、旅行中の様子が、ニュース番組で放送されました。中川校長先生が、
「韓国の機関が、安全を保障してくれる。」
と話されていました。僕は、日韓関係が危うい中、韓国の機関が日本の高校生の命を守ってくださるということに対してとても嬉しく思いました。智辯学園の修学旅行の歴史の重みが、そのチャンスを与えているのだとも感じました。先輩方が、フェリーターミナルで黙祷を捧げ、交流会では、漢陽工業高校の生徒と共に、無事を願う黄色の紙にメッセージを書いて、壁に貼っていました。テレビに映ったその姿は、凜としていました。
 セウォル号の転覆直後、船長がわれ先に救助されたそうです。その事を知らず、船内放送の指示を守り、船室に閉ざされた人達は、きっと誰かが助けに来てくれると信じ、最後まであきらめないで頑張ったに違いありません。しかし現実は、未来のある大勢の人が、恐怖と絶望の中で、もがき苦しみながら死んでいきました。もしあの時、船長があきらめることなく、船長としての役割を果たしていたなら、生存者数は増えていたのではないかと思うと残念でなりません。沈みゆく船の映像に、ふと三年前のことを思い出し、涙があふれました。
 僕の故郷十津川村は、三年前の九月、紀伊半島大水害に見舞われました。激しく降り続く雨、荒れ狂った様に流れる川、山は深層崩壊し、僕達は迫り来る恐怖におびえながら台風が過ぎるのを待ちました。台風が去った後は、川に土砂が蓄積し、道は寸断され、美しかった風景が無惨な姿となっていました。元の生活ができるのかと不安になりました。当時小学校六年生だった僕は、避難先での人の優しさや温かさに触れ、心の底から感謝することを学びました。家族の絆も深まりました。何より命の尊さ、大切さを身をもって知りました。同級生のK君は、土石流の犠牲者となり、行方不明のままです。今でもK君の笑顔が忘れられません。あれから三年、国道は台風の前より改良されています。復興住宅が完成し、観光客も増えました。あきらめない村民の魂がそこにはありました。十津川村は全国の方々の支援を受けながら、徐々に元通りの村に戻っています。
 一方で今も尚、K君を含め水害で行方不明になった六名の捜索が行われています。セウォル号の行方不明者の捜索も同じです。決してあきらめることなく、家族の元へ帰るその日まで・・・。犠牲者やその家族の事を考えると心が痛みます。心の傷に貼る絆創膏があれば良いのにとさえ思います。
 「あきらめが肝心」確かにその考えは悪くないと思います。あきらめないで、ピンチを抜けるために、何か別の事をするのであれば、あきらめた事にはならないと思うからです。しかし僕は、行方不明者全員が家族の元へ帰るまでは、絶対にあきらめたくないのです。今の僕には、行方不明者の捜索はできません。だからといってあきらめるのではなく、これらの出来事を心に深く刻み忘れない事も『あきらめない』ということの一つだと思います。いつも忘れず、いつも向き合っていたいです。