県政だより奈良

 
ありどおしみょうじん
(ありどおしみょうじん)

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朱色の鳥居の向こうに見える、檜皮葺(ひわだぶき)の壮大な社殿。背後は小牟漏岳(おむろだけ)のうっそうたる原始林で、歴史の重みが漂う。周辺の紅葉はとくに鮮やかだ。 丹生川上神社中社の秋祭り。小川8カ村から8台の太鼓台が拝殿右手の広場に繰り出す。豪華絢爛(けんらん)、また、荒々しい祭りとしても知られる。今年の祭りは10月14日。


 「蟻通(ありどおし)明神」、「蟻通神社」という、ちょっと変わった名で知られる丹生川上神社中社(にうかわかみじんじゃなかしゃ)。吉野郡東吉野村小(おむら)の、四郷(しごう)、高見(たかみ)、日裏(ひうら)の三つの川が合流するあたりにある。静寂の中、深い杉木立(すぎこだち)に囲まれて古式な社殿が建つ。
 この「蟻通」にまつわるお話。
 昔、ある天皇が、都から老人を追放した。ところが、ある中将だけは、老父母をひそかに家に住まわせていた。
 その頃、唐(とう)の皇帝が日本征服を狙い、知恵試しの難題をふっかけてきた。困った天皇は、中将にその難題を解かせた。
 曲がりくねって、中に細い穴のあいた玉に紐(ひも)を通せというもの。中将は考えあぐね、こっそり老父母に相談した。「穴の一方に甘い蜜(みつ)をつけ、他方から糸を結びつけた蟻を入れるといい」。蟻は蜜の甘い香りに誘われて玉の中を見事に通り抜け、紐を通した。唐の皇帝はほかにも難題を出したが、どれも老人の知恵で解決。唐はついに日本の征服を諦(あきらめ)めたという。そして、老人の大切さが分かり、都にはまた老人が戻った。中将は死後、蟻通明神として祀(まつ)られた。
 「蟻通明神」は和泉国(いずみのくに
)(大阪府泉佐野市)にもあり、こちらは紀貫之(きのつらゆき)の和歌や『枕草子(まくらのそうし)』、世阿弥(ぜあみ)の能『蟻通』にも登場する。東吉野村の蟻通神社は、平安時代末、ここから勧請(かんじょう)されたという。
 ところで、丹生川上神社は、もともと平安時代の記録にある古い神社で、祭神は、水を司る神の「罔象女神(みづはのめのかみ)」。農耕の守護神として尊ばれ、降雨、止雨の祈願が、天皇やその使いによってたびたび行われた。だが、戦国時代の争乱で神社も衰退し、所在も不明となっていた。やがて、大正11年、ここが丹生川上神社中社に比定され、官幣大社(かんぺいたいしゃ)に昇格した。
 一方で、蟻通神社は、小川郷(おがわごう)八カ村の土地神として敬われ、今も地元の人々から「蟻通さん」と親しまれている。10月中旬には、境内で、豊作を祝う村をあげての「秋祭り」が賑(にぎ)やかに行われる。


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  問い 丹生川上神社中社  
  tel 0746・42・0032  



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