県政だより奈良

 
つちぐもづか
(たんだのつばき)

イラスト

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「たんだの椿」。高さ約6メートル。祠には白い菊と水が供えられていた。「平野千軒」はここから少し西にあったとされる。今は果樹園が広がる。椿の見頃は3月から4月上旬。
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香芝市平野にある「平野塚穴山古墳(ひらのづかあなやまこふん)」(7世紀後半、国指定史跡)。横口式石槨には、二上山の凝灰岩が使われている。江戸時代、顕宗天皇陵と考えられていたが、今は、茅渟(ちぬ)王の墓との説も。


 奈良と大阪の境に、雄岳(おだけ)と雌岳(めだけ)の2つの峰が秀麗な姿を見せる二上山(にじょうざん)。その東北の麓(ふもと)に香芝(かしば)市がある。旧石器時代からすでに人が住み、二上山から産出されるサヌカイトを使った石器が作られていた。古墳時代には二上山の凝灰岩(ぎょうかいがん)で古墳の石槨(せっかく)や石棺(せっかん)が造られるなど、古代文化と深いかかわりをもつ。
 そんな香芝市の北、平野(ひらの)に「たんだの椿」がある。たんだは谷田。田畑の畦(あぜ)に一本、大きく枝を広げ、すぐにそれとわかる見事さだ。

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 昔、ここ平野に「平野千軒(ひらのせんげん)」といわれるほどのたくさんの家があった。庄屋の豪勢な屋敷は土塀に囲まれ、門から大きな椿の木が見えた。椿は、毎年いっぱいの花を咲かせた。落花は地面を紅色に覆い、村人らが見物に来たという。
 ところで、屋敷には若い娘さんが一人いたが、誰も顔を見たことがない。さぞかし美しかろうと村人は噂した。ある日、娘さんが重い病気を患い、医者や薬屋を呼ぶなど八方手を尽くしたが、良くならない。椿の木もなぜか枯れ始めた。庄屋の主人は下男にその木を切らせた。
 娘さんの病気がその後どうなったか誰も知らない。栄えていた「平野千軒」もやがてさびれたという。
 それから、どれほどの歳月が過ぎたか。谷田に一本の椿が大きく育った。「昔、切り倒した庄屋屋敷の椿のひこばえや。粗末にしたらあかん」と、根元に小さな祠(ほこら)が建てられ、今も大切に守られている。椿の枝を折ると、腹痛をおこすとか。

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 この「たんだの椿」をはじめ、香芝に伝わる民話を約十年の歳月をかけて古老から聞き書きしたのが、香芝市在住の鈴木知英子さん。昭和63年、23話をまとめ『香芝の民話たんだの椿』と題して出版した。鈴木さんも幼い頃、落ちた椿の花を首飾りにして遊んだという。
 鳥の声だけが聞こえる、静かでのどかな山間(やまあい)。「たんだの椿」が満開となる春が待たれる。

 


地図

問
香芝市ふたかみ文化センター
TEL
0745・77・1000





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