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奈良のむかしばなし

 「今は昔」の書き出しで始まる『今昔物語集』。わが国最大の説話集で、平安時代後期の成立とされる。全31巻。千を超える説話を収録。仏教説話が中心だが、世俗の説話も3分の1以上を占める。その『今昔物語集』の中にあるお話。
 今は昔、吉野の竜門山腹にある竜門寺(りゅうもんじ)に、久米(くめ)という男が籠(こ)もって仙人の術を修行していた。めでたく仙人となった久米が、空を飛行していると、吉野川のほとりで若い女が着物の裾をたくし上げ、洗濯しているのが見えた。その真っ白いふくらはぎに目を奪われ、あろうことか、久米は神通力を失って、女の前に落下してしまった。
 久米は、やがてその女と夫婦になった。そのころ、天皇は、都を造ろうと人夫を集めていた。久米もその人夫として働いていたが、仲間が彼のことを「仙人」と呼ぶのを聞いた役人は、「では、多量の材木を空を飛ばせて運んでみよ」といった。
 そこで、久米は、ある静かな修行道場で、心身を清め、断食(だんじき)し、七日七夜、祈り続けた。八日目の朝、ついに久米の術は成功した。
 一天にわかにかき曇り、雷が鳴り、雨が降り、が、しばらくすると、空は晴れた。と、その時、夥(おびただ)しい数の材木が南の山から空を飛び、こちらに向かってくるではないか。
 それを見た役人たちは、久米を敬った。この噂は天皇に届き、免田(税を免除される田)三十町(約30ヘクタール)が久米に与えられた。彼は喜び、寺を建てた。それが久米寺であるという。
 畝傍山(うねびやま)の東南麓、近鉄橿原神宮前駅近くにある久米寺は、緑の多い落ち着いた雰囲気だ。境内に京都の仁和寺(にんなじ)から移築された多宝塔(国重文)をはじめ、本堂、観音堂(かんのんどう)、御影堂(みえどう)、地蔵堂、鐘楼などが建つ。ほとんどが江戸時代の建物。一説には、飛鳥時代、聖徳太子の弟、来目皇子(くめのみこ)が建立したともいうが、古瓦や塔の礎石などから奈良時代前期の創立と考えられている。初夏はつつじ、あじさいの花が境内を美しく彩る。
久米寺 二十五菩薩練供養会式
久米寺 二十五菩薩練供養会式
橿原市広報広聴課提供

5月3日に行われる二十五菩薩練供養会式(ねりくようえしき)。可憐な稚児(ちご)行列に続き、お面と衣裳をつけ菩薩に扮(ふん)した信徒らが、本堂と合掌道場を結んで架けられた橋を練り歩く。

久米寺本堂
久米寺本堂
江戸時代建立の本堂。寺伝では、両眼を失明した聖徳太子の弟、来目皇子は薬師如来に祈願し、平癒(へいゆ)したという。
本尊の薬師如来像はそれに因む後世の作。左は石造の久米仙人像。


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