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奈良のむかしばなし

 お里と沢市の物語で知られる浄瑠璃(じょうるり)『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』。明治のはじめ、作者未詳の原作に三味線の名手、豊沢団平夫妻が補筆作曲したもので、舞台は大評判をとった。のち、歌舞伎や浪花節でも人気となった。
 高取山の麓(ふもと)、高取の土佐にお里・沢市夫妻が住んでいた。沢市は、天然痘のために失明。お里は夫の目を何とか治したいと、眼病に霊験あらたかといわれる壷阪寺の観音様に願をかけた。ところが沢市は、お里が夜家を出るのを「男に会いに行くのでは」と疑い、こっそりと後をつけた。
 お里は険しい山道を壷阪寺へ急ぐ。そして観音様の前に跪(ひざまず)き、「沢市さんの目が治りますように」と一心に祈っていた。沢市は自分の心を恥じ、もうこれ以上はお里に苦労はかけられないと、谷間に身を投げた。これを知ったお里も、後を追った。
 ところが、不思議なことに、観音様の霊験か、二人は助かり、沢市の目も開いた。それから二人はいたわり合い、幸せに暮らしたという。

 壷阪寺(南法華寺)は、高取山の中腹にある。壺阪山駅からバスで山腹を七曲がりして縫うこと十分。広い境内に、本堂、三重塔、礼堂、また大観音石像などが建つ。寺の創建は、寺伝では、大宝三年(703)。平安時代は栄えたが、その後、火災、戦乱などで衰退した。
 昭和30年代から、寺は社会福祉事業に取り組み、盲人のための施設などを建設。また、仏教発祥の地、インドでハンセン病患者の救済に尽力した縁で、インドから招来された石像などが次々と建立された。
 秋近いある日、寺を訪れた。大涅槃(だいねはん)石像の近くまで来るや、激しい雨が降り、売店で雨宿り。やがて、雨が上がり、外へ出ると、なんとそれまで雨雲に覆われていた眼下に広々とした大和国原が開け、大和三山の畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山、さらには二上山、生駒山までが鮮やかに一望できた。
 周囲を囲む緑豊かな樹林の間からは、幾筋もの白いもやが、濃く薄く立ちこめ、微かな風に流れていた。このような大自然の美しさと不思議な霊気も、その有難い霊験を実感させ、観音を拝する人々を、いっそう深い信仰へと導いたことであろう。

壺阪寺


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