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奈良の散歩

謎の多い実像

 役小角は、7〜8世紀の山岳修行者・呪術的宗教家で、修験道(しゅげんどう)の開祖として今もあつく信仰されている人物。だが、朝廷の正史である『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、699年条に「葛城山(現在の金剛山系)に住む優れた呪術者である役小角は、鬼神をも使役できると噂(うわさ)されていたが、弟子の讒言(ざんげん)にあい伊豆島に流された」という短い記事があるのみで、その生涯は不明な点が多い。

 

伝説に彩られた生涯

 一方、日本最古の説話集『日本霊異記(にほんりょういき)』は、捕らえられた母を救うために自首し、流罪になった小角が、夜ごと伊豆島から富士山に通って修行を続け、3年後の701年に許されて帰った後、ついに仙人となって空に飛び去ったと記す。さらに後代の史料でも、さまざまな超人的逸話が加わり、小角はしだいに伝説的存在になっていく。

 

葛城山・大峯山にのこる足跡

 伝承によれば、小角は634年に、現在の御所市茅原(ちはら)の吉祥草寺(きっしょうそうじ)付近に生まれ、幼少より非凡な才能を発揮したという。山中での修行により威力を得た彼は、ある時、鬼神たちに葛城山と金峯山(きんぷせん)(大峯山)との間に橋を架けるよう命じた。また、金峯山に祀(まつ)られる蔵王権現(ざおうごんげん)は、彼が祈って出現させたといわれている。金峯山は後に修験道の中心となり、今も信仰を集めている。

 

修験道の開祖に

 修験道とは、日本古来の山岳信仰が、外来の仏教や道教の影響のもとに平安時代に体系化されたもので、厳しい山岳修行を行う実践的な宗教であり、修行者(修験者)を山伏(やまぶし)という。小角は「役行者(えんのぎょうじゃ)」として山伏の祖とみなされ、彼の伝承は全国各地の霊山におよぶ。江戸時代には「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の尊称を朝廷より贈られた。彼は今も、信仰と伝説によって人々の心に息づいている。
吉祥草寺

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