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ふるさと奈良への便り
 
   私が生まれた奈良市元林院町(がんりんいんちょう)の家からは猿沢池を隔て、興福寺南円堂や五重塔が手に取るほどの近さに見ることができた。幼くひ弱だった私はしばしば2階の大広間の廊下からこの風景を写生し、遠近法がいかなるものか、描くごとに自然に理解していったように思う。当初「箱」のようであった興福寺の五重塔は次第に奥行きを持つようになり、屋根の軒合(のきあい)・傾斜角度など次々と進化していったのを今もしっかりと思い出すことができる。
 世界遺産である奈良に生まれたことの幸せは、文化財や手つかずの春日原始林の自然を遊び場にして、そのひとつひとつが脳裏にゆっくりと刻まれ、身体の隅々にまで染まっていったことだ。
 小学生の頃、猿沢池52段を登り、現在の県庁にあった学芸大付属小学校に通学する行き帰り、顔パスで五重塔の中の急階段をまるでジャングルジムを行く猿のように御仏の体内を駆け登っていた。最上階の回廊を回っては、真綿雲に顔出す大和三山や、夕日に染まる生駒山、美しい奈良を天空より一望できる快感に酔っていた。
 私はまさに幸福者であったと思う。古代から連綿と続く精進の慈愛や数々の重要なエッセンスが詰まった神仏の住まう地で精神のあり方や歴史、地政学などあらゆる大切な学問を意識下で学んでいったのだから。
 
 

 

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