717年、吉備真備(きびのまきび)らとともに遣唐使船で唐に渡り、長安で学びました。科挙(中国の難関国家試験)に合格して、玄宗皇帝に師事し、官僚として重責を果たしました。 日本への帰国を夢みましたが叶わず、中国で生涯を終えました。故郷の奈良を懐かしんで詠んだ「天の原ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という歌は有名です。 仲麻呂は、中国の教科書にも登場し、中国では日本の歴史上の人物で、最も知名度が高い1人と言えます。