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記紀に親しむ

〈古事記の成立1300年〉
 古事記序文は、天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に誦習(しょうしゅう)させた勅語の帝紀(ていき)・旧辞(きゅうじ)が、失われるのを惜しまれた元明(げんめい)天皇の命で、和銅5(712)年1月28日に太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)が編んで奉ったという。
 以来、平成24(2012)年1月27日で1300年。そこで、撰録1300年を記念し、記紀と万葉集などを題材としたプロジェクトが動き出している。
 
〈古事記と奈良とのつながり〉
 古事記と奈良県とのかかわりは深い。関連する話を取り上げるに先立ち、まず両者のかかわりをおおまかにみておこう。天武天皇の宮は飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)(明日香村の川原板葺宮(かわはらのいたぶきのみや)伝承地)、陵(みささぎ)は明日香村野口、元明天皇の陵は奈良市奈良阪(ならざか)町、太安万侶の墓は奈良市此瀬(このせ)町にある。太氏ゆかりの多(おお)神社は田原本町多、稗田阿礼にゆかりの地は郡山市稗田になる。
 
〈古事記上巻と奈良〉
 古事記は三巻で、ふれられる地域は飛鳥・奈良時代の日本のほぼ全体に及ぶ。上巻は神話の巻で、世界の始まりから神武(神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと))天皇の誕生までを歴史的に語る。よく知られた「稲羽(いなば)の素菟(しろうさぎ)」や「山幸彦(やまさちびこ)・海幸彦(うみさちびこ)」なども収められている。神々の物語には奈良県を舞台とする話はないが、海の彼方から出現し、大国主神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)として倭(やまと)の青垣の東の山の上に祭るよう求めた三輪山(みわやま)の大物主神(おおものぬしのかみ)、国譲り(くにゆずり)にかかわった迦毛大御神(かものおおみかみ)・阿遅★高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)(御所市高鴨(ごせしたかかも)神社)や八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)(御所市鴨都波(かもつば)神社)など大和の神の名がみえる。
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〈古事記中巻・下巻と奈良〉
 中巻は神武(じんむ)から応神(おうじん)天皇まで、下巻は仁徳から推古(すいこ)天皇までを語る。中巻の仲哀(ちゅうあい)天皇と応神天皇、下巻の反正(はんぜい)天皇には奈良県との接点はないか、少ない。第2代綏靖(すいぜい)天皇から第9代開化(かいか)天皇までは系譜だけであるが、天皇の宮と陵の多くは葛城地域にあったと語る。下巻の仁賢(にんけん)天皇から推古天皇の間も系譜を示すだけである。歴代天皇には宮・陵ともに河内に営んだ天皇もあるが、多くの天皇はいずれかを奈良県内に設けている。
 
 豊かな伝承をもつ神武・崇神(すじん)・垂仁(すいにん)・履中(りちゅう)・允恭(いんぎょう)・雄略(ゆうりやく)・清寧(せいねい)記には奈良県を舞台とする興味深い物語が多いので、今後これらに順次ふれていく。機会があれば、古事記や万葉集ゆかりの地を訪ねてみられるのもよいと思う。

 

古事記の舞台へ
太安万侶の墓
稗田阿礼が読み上げた内容を編集して古事記を完成させた太安万侶の墓。平城宮跡の東約10kmの辺り。昭和54年に、茶畑から墓誌や遺骨が発見された。
 
(行き方)
近鉄・JR奈良駅から、奈良交通バスで「下水間/北野/奈良市都祁交流センターゆき」に乗車、「田原横田」で下車、約1km

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