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奈良むかしばなし

 奈良県の中央西、五條市の西吉野町。緑の山並みがどこまでも続き、鳥のさえずりも清々しい静かな山里だ。村を南北に流れる丹生川(にうがわ)は、今は二メートルほどの川幅ながら、蛇行しているため、川に沿って昔は「淵は四十八淵」といわれたくらい淵が多かった。
 その一つ、黒淵。流れの底が深く、水量豊かで淵が黒々としていたことからこの地名がついたという。かつてはここに大蛇が棲み、弘法大師の力を借りて退治したとの伝えも残る。その黒淵にある乙姫淵のお話。


 昔、大日川(おびかわ)という所に住んでいた音右衛門(おとえもん)が、どうした弾みか、鉈(なた)を淵に落としてしまった。拾おうとすぐに飛び込んだが、それっきりとうとう浮かんでこなかった。
 家ではもはや死んだものと諦めていた。が、一年がたった一周忌の日、ひょっこりと無事に帰ってきた。そして彼が話したことは「浦島太郎」の物語とよく似ていた。
 淵の底には竜宮があり、落とした鉈は床の間に飾ってあった。そして、彼が竜宮を去る時、乙姫は、「旱(ひでり)の時はこの淵をかき干(ほ)すとよい」と教えてくれた。
 それ以来、雨乞いの時は、淵をかき干してからっぽにすると、大雨になったといい伝えられている。現に、明治のころにも淵をかき干したところ、三日目に大雨が降ったという。


 黒淵のその乙姫淵。実は、昭和三十四年に完成した道路建設の影響で土砂が堆積(たいせき)し、淵が浅くなって景観は大きく変わった。地元の古老の話では、「かつては擂鉢状(すりばちじょう)の深くて大きな淵だった。子供の頃は泳いではいけないといわれていた」そうだ。
 とはいえ、古老が細い道を通って案内してくれた今も残る乙姫淵は、緑がかった青色の水面が五月の陽光にきらきらと輝き、その底に不思議な世界を秘めているような美しさであった。旱魃(かんばつ)に悩まされた当時の人々が、そこに竜宮や乙姫の話をふと夢見たのも、なるほどとうなずける。

 
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