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ふるさと奈良への便り
 
   18歳まで奈良で過ごした。小学校の頃から学校の遠足、家族の週末というと寺やハイキング。生駒に住んでいたので、初日の出はいつも生駒山上で、暗峠(くらがりとうげ)は何十回も越えた。中学で山岳部に入り、本格的に奈良の山を歩くことになる。世界遺産、大峰山系の奥駆道(おくがけみち)は夏合宿の定番のルートで、重いテントを担いで何度も縦走した。
 その後、高校で日本史を深く勉強するようになって、いろんな寺を歩いたことが大変役に立った。暗記ではなく、近所の犬の顔を覚えるのと同じように、仏像の顔と伽藍(がらん)配置を自然と覚えていた。今でも仏像の顔を見れば、飛鳥・白鳳・天平のどの時期かはほぼ区別がつく。
 高校時代毎朝早く学校に行き、4キロほど走っていたのだが、そのルートたるや、大仏殿を回り、二月堂から若草山の麓を経て、いったん戒壇院まで下りて南大門に戻るというもの。二月堂へと続く不規則な階段の土壁の坂は、「ファイト!」と声を掛けてくれた見知らぬ修学旅行の女子高生と同じくらい印象に残っている(笑)。今思えば、皇居一周のランニングコースなんかより百倍すばらしいルートだ。 
 奈良からもらったもう一つのプレゼントは言葉。各地での男女共同参画の講演はあずまの方言ではなく、日本の標準語である関西弁でやることに決めている。昔取った杵柄(きねづか)で必ず爆笑がとれる。これも標準語さまさまで、こんなおいしい話はない。
 奈良とさんまさんにおおきにですわ。
 
 

 

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