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奈良むかしばなし

 昔、国じゅうを旅している六部(ろくぶ)というお坊さんがいた。ある日、六部さんが犬のサンを連れて外川(とがわ)の村(今の大和郡山市外川町)にやってくると、なぜか、村の中は静まり返っていた。
 と、ある農家の庭に大ぜいの村人が集まり、しくしくと泣いていた。六部さんがたずねると、一人のおじいさんが「今日は孫娘を人身御供(ひとみごくう)に差し上げる日で、それがかわいそうで」といった。
 実は、外川の西に深い山があり、そこに昔から、山の主の土ぐもがすんでいた。その山の主に毎年若い娘を人身御供に差し出す習わしがあり、それに背(そむ)くと、村に恐ろしい祟(たた)りがある、というのだ。
 六部さんは、大そう気の毒に思い、「その山の主、私が退治してやろう」といい、犬のサンを連れ、娘の手を引いて山の奥へ入っていった。
 やがて夕方になり、どこからか、一匹の大きな土ぐもがのそりと出てきた。毒をもった牙(きば)をガチガチと鳴らし、真っ赤な舌をペロペロと出してこちらに向かってくる。
 土ぐもは銀色の太い糸を何筋もパッと吐きかけ、ぐるぐると巻こうとした。「サン、今や、足に咬(か)みつけ」
 しばらくは、六部さんと犬のサン、土ぐもの激しい戦いが続き、やがて、サンは土ぐもを咬み殺した。だが、サンも土ぐもの毒で死んでしまった。村人たちは、娘の無事を喜び合い、サンを手厚く葬(ほうむ)った。


 大和郡山市に生まれ育ち、『郷土の民話』の著者である駒井保夫さんによると、矢田の主人(ぬしと)神社では、明治初年まで、少女を境内の仮小屋に住まわせるという、人身御供とも解される習わしがあったそうだ。
 それを破った年は、矢田一帯が深刻な旱(ひでり)に見舞われたとか。神社のある辺りは、昔は大変寂しいところで、ぬすっと(盗人)や追剥(おいはぎ)が頻繁に出没したという。そのため、地元では「主人(ぬすと)神社」ともよばれているらしい。
 今は、開発が進んで住宅や店も建ち、西に矢田丘陵の濃い緑を間近に望む明るい地域となっている。

 
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