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万葉集を訪ねて

 都市のシンボルといえば、タワーであろう。その都市のシンボルになるエッフェル塔や東京タワー。
 古代の大和では、三輪山を自分たちの住む大和を代表する神がいる山として祀(まつ)っていた。邪馬台国の中心部ではないかといわれるようになってきた巻向(まきむく)遺跡も三輪山の麓(ふもと)にある。三輪山は奈良平野の南部(中和地域)に住む人びとにとって、故郷のシンボルだったといえる。
 額田王(ぬかたのおおきみ)が、近江に下向するにあたって、この三輪山を歌った有名な歌が、次の歌である。

 この歌は、奈良山から三輪山を見て歌った歌である。奈良山から見る三輪山は、小さくしか見えないうえに、背後の多武峰(とうのみね)の山系が保護色となって、少しでも靄(もや)がかかると見えなくなる。それでも、やはり三輪山を奈良山でもう一度見て旅立ちたいのだ。なぜならば、奈良山を越えて北に進めば、もう三輪山は見えないのである。
 歌の大意は「あの三輪山を、奈良の山の向こうに隠れるまで、道の曲がり角が幾重にも重なるまで、心ゆくまで見つづけてゆきたいのに、何度も何度も眺めてゆきたいのに、つれなく雲が隠している」というものだ。雲よ退いてくれ、私は三輪山を見たい、と彼女は訴えているのである。
 反歌では、その思いの深さがさらに凝縮される。「三輪山をそんなにも隠してしまうのか、せめて雲だけでも私の気持ちをくみとる心があってほしい、隠したりしてよいものか(ヨイハズガナイ!)」と額田王は叫ぶ。
 これは、この奈良山を越えてしまうと、三輪山が見えなくなってしまうからである。人には、誰でも心にとどめておきたい景色というものがある。遠くに旅立つ日に、もう一度見ておきたいと思う景色がある。三輪山こそ、額田王の心のふるさとの山だったのであろう。
万葉集の舞台へ
三輪山
標高467mの円錐形の山。南には初瀬川、北には纏向川が流れている。大神神社のご神体のため、入山登拝する際には、摂社の狭井(さい)神社の社務所で申し込みが必要(9時〜14時。300円。1/1〜3、2/17、4/9・18、10/24、11/23は入山禁止)。写真の額田王の万葉歌碑は、山の辺の道の渋谷向山古墳(景行天皇陵に比定)の南から桜井方面に行く途中にある。
三輪山
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御蓋山
(行き方)
三輪山へは、JR三輪駅から東へ徒歩約600m。近鉄・JR桜井駅から奈良交通バス天理駅行きで、「三輪明神参道口」下車東へ徒歩約1km。

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