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万葉集を訪ねて

表記について>
 現在は、大和川の上流を初瀬川と呼ぶが、『万葉集』での表記のほとんどは、「泊瀬川(河)」が用いられている。しかも、歌に詠まれる泊瀬川の場所は、桜井市東部の通称初瀬谷(はつせだに)に集中する。
 では、「泊瀬」の訓(よ)みについてはどうだろうか。古代に「はつせ」と読んだことは、記紀歌謡や『万葉集』から明らかで、たとえば『万葉集』には、「己母理久乃(こもりくの)波都世乃加波(はつせのかは)」(巻十三-三二九九左注)とある。
 また「泊瀬川」は、「長谷之川」とも表記されることがある(同三二二五)。この長い谷と書く「長谷」の漢字は、「はつせ」の枕詞(まくらことば)「こもりくの」の「隠(こも)り」が、山に囲まれた谷あいの地形を表現していることと相応しており、おもしろい。ちなみに『古事記』の地名と人名には、「長谷(はつせ)」が多い。

<川の流れと恋の歌>
 万葉歌には、泊瀬川の場所そのもの、あるいは川の清らかさや永続性が詠まれている。そこからは、「落ち激(たぎ)つ瀬」(①)や「瀬を早(はや)み」(②)と表現されるように、意外にも勾配(こうばい)があって、流れが早く、清流の爽快(そうかい)な雰囲気が伝わってくる。これなら「またも来て見む(また見に来よう)」(③)と思う気持ちも十分わかる気がする。
 それ以外に、恋の歌も詠まれている。④は、「もし激しい流れでできた水の泡(あわ)がなくなったら、恋する気持ちはあきらめよう」と言っている。だが、じっさいに川の流れが止(や)むことは、まずないだろう。つまり、この歌の本意は逆で、「絶対に思いを遂げてやる!」という強い意思を主張している。④は、激しい流れの代名詞とも言える泊瀬川の性格をうまく利用し、恋歌の譬喩(ひゆ)として用いたのである。
 泊瀬川には、こうした恋の歌がしばしば見られるが、それはもしかすると、泊瀬地域の歴史的な背景が関係しているのかもしれない。
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万葉集の舞台へ
初瀬川(はつせがわ)(泊瀬川)
桜井市立桜井東中学校(桜井市初瀬)の北側を流れる泊瀬川。国道165号線に沿って、初瀬谷を奈良盆地に向かって流れていく。写真は③の歌碑で、桜井東中学校内にある。
三輪山
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御蓋山
(行き方)
桜井東中学校へは、近鉄長谷寺駅から、西へ約1km。

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