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『古事記』に描かれる女鳥王の性格は、『日本書紀』とはずいぶん違う。 | ||||||||
〈強気な女鳥王〉 | ||||||||
聖帝と謳(うた)われた仁徳天皇には、四人の妻がいた。事件は、五人目の妻として、女鳥王(天皇の腹違いの妹)に求婚したことが発端であった。女鳥王は、大后(おおきさき)の石之日売命(いわのひめのみこと)(嫉妬深い女性で有名)のせいで、妻となった姉(八田若郎女(やたのわかいらつめ))が不遇(ふぐう)を強(し)いられていることを知っていたので、きっぱり断るつもりであった。ところが、それに終わらず、求婚の使者としてやってきた速総別王(天皇の腹違いの弟)に、逆プロポーズをしてしまうのである。 このあと、天皇が直接女鳥王の家まで来るが、それに対し、女鳥王は「今織っているのは速総別王の衣です」と、強気に断った(古事記歌謡67)。それどころか、速総別王と仁徳天皇(大雀命(おおさざきのみこと))を鳥にたとえて、「ハヤブサだったら、スズメなど捕(つか)まえなさいませ」(古事記歌謡68)などと、謀反(むほん)をけしかけるような歌を詠んでいる。 |
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〈逃避行の道のりと速総別王の歌〉 | ||||||||
もちろん天皇は、軍隊を出動させる。二人がまず逃げたのは、倉椅山(くらはしやま)であった。桜井市の音羽山(おとわやま)と推定されているこの山は、宇陀との境界にあたるが、西からの登りは急峻そのものである。そのことを知っていて、速総別王の歌(古事記歌謡69・70)は詠まれているようだ。女鳥王の手を取って、危ない岩場を登るなど、両歌の後半部分からは、妻を守りながら、逆境を乗り越えようとする思いが、ひしひしと伝わってくる。 音羽山を越えて、宇陀を東に進むと、曽爾(そに)村から伊勢方面に抜けられる(『日本書紀』では伊勢神宮が目的地)。伊勢にさえ抜ければ、なんとかなるという思いがあったのかもしれない。が、伊勢に抜けることもできず、「宇陀之蘇邇(そに)」で追いつかれて、ついには殺されてしまう。しかも、女鳥王に仕(つか)えていた山部大楯(やまべのおおたて)という人物の手にかかって。不遇きわまりない。 |
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音羽山の遠望 |
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