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万葉集を訪ねて

〈石橋〉
 現在の明日香村は、古き良きのどかな里山の風景が広がり、多くの人々を魅了しています。『万葉集』に詠まれたなかで代表的な明日香の風景といえば、明日香川を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
 年月もまだそれほど経っていないのに、明日香川の瀬から瀬へと渡した石の橋も今は無い、という歌です。失われてしまった風景を嘆く内容で、ここでいう「石橋」とは、川の流れの中に飛び石を置いた「橋」だったと考えられています。
 ほかにも「明日香川の名前のとおり明日も石橋を渡って行こう、飛び石のように間隔のあいた心ではない」と恋の思いのたけが吐露(とろ)された歌(11二七〇一)があります。川を挟んで住んでいた恋人同士が交わした恋歌だったとみられます。
 当時の明日香は歴代の天皇宮が営まれた場所ですが、周辺には民衆の住む地域もあり、こうした日常が繰り広げられていたのかもしれません。
〈故郷の景〉
 明日香から、藤原京へ、そして平城京へ、と都が遷(うつ)った後も、明日香は人々の心の故郷でした。大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は、奈良の元興寺(がんごうじ)と故郷・明日香の飛鳥寺(法興寺(ほうこうじ))を歌に詠んでいますし(6九九二)、山部赤人(やまべのあかひと)は「神岳(かみおか)」に登って「明日香の旧き京」を称える長歌を詠んでいます(3三二四)。その長歌の描写のなかでも明日香川が重要な位置を占め、雄大で清らかであると表現されています。
 現在の明日香川をご存じの方は、「雄大」との表現に首をかしげるかもしれません。古代の川幅も現代とそれほど大きくは変わらないと思われますが、文学は想像力の産物であり、あくまでもあるべき理想の景色として、かつての都を流れる明日香川は雄大で清らかでなければなりませんでした。
 その反歌には次のようにあります。
 明日香川にたゆたう川霧のように、いつまでも明日香古京への思いが絶えない、と明日香が特別な感慨をもたらす場所だったことをうかがわせます。
〈後世の歌枕化〉
 明日香という地名から、後世には歌枕(歌にまつわる名所)として広く人々の口にのぼってもてはやされました。代表的な歌は「世中はなにかつねなるあすかゞはきのふのふちぞけふはせになる」(『古今和歌集』18雑下九三三・読人しらず)です。「明日」「昨日」「今日」ということば遊びも面白く、これを本歌として恋心の移ろいやすさを嘆く表現にも発展していきました。
万葉集の舞台へ
明日香川(石橋)
現在、一般的には飛鳥川と表示されているこの川は、明日香村南東部の山地に源を発し、畝傍山と香久山の間を流れ、川西町で大和川に流入する。大和川水系の一級河川であるが、川幅も狭く、のどかな風景が広がる。左の写真は石橋で、近くに最初の歌(7一一二六)の歌碑がある。川沿いを歩き、昔の人が同じ場所で恋の歌を詠んでいたことを思い出すと、同じ風景でももっと面白く感じられるものである。
(写真:石橋)
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地図
(行き方)
近鉄橿原神宮前駅から、奈良交通バス飛鳥駅方面行きで、「石舞台」下車、南へ徒歩約2km。

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