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ふるさと奈良への便り
 
   天理(前栽(せんざい))で育ち、小学校は前栽で終えたが、北へ北へと中学は郡山、高校は奈良に通い、さらに大学は東京で、当時目新しい電子工学を学ぶため、養徳(ようとく)学舎(学生寮)に入寮しお世話になった。
 元逓信院(もとていしんいん)総裁で参議院議員であった新谷寅三郎先生が養徳学舎の理事長でもあったので、NHKのアルバイトを面倒みてくださり、長らく中継局でアルバイトをするうち、東京に馴染んで住み着くこととなった。
 卒業後も東京で就職したため、数年の大阪、名古屋への転勤以外は東京、横浜での生活となり、奈良へも所用のおりに立寄るだけであった。
 しかし養徳学舎OB会で県人会に誘われ時々出席している内に、会計を任され、その後、世話役をやることとなり副会長となって、今ではどっぷり県人会につかってしまった。県人会の年5回のイベント活動や、さらには、近年県と合同で開催している「ふるさと奈良の集い」でいろんな方々とお会いすると、奈良の話題が多く、年とともに奈良各地に旅をしたい想いにかられることが多くなった。
 中でもなんとか実現したいと思うのは、平城京以前の神代が偲(しの)べる石上神宮(いそのかみじんぐう)を起点に「山の辺の道」を大和神社、崇神(すじん)・景行(けいこう)天皇陵、黒塚・箸墓その他無名の古墳群から桜井へ、古代人の思いを考えながら散策することである。
 さらに西に向かい、大和三山から橿原を経て、弥生時代の葛城、御所までを、数回に分け歴史の都を古代史の巡礼よろしく実現したいと想っている。
 
 

 

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