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とっておきの奈良
 古代からの主要街道・横大路(よこおおじ)沿いにあって栄えたこの地は、江戸・慶長5年(1600年)に「高田御坊(たかだごぼう)」の名で親しまれている専立寺(せんりゅうじ)が建立(こんりゅう)されて以降、寺内町として発展した商いの町。庇護(ひご)を求める商人たちは「寺の瓦が見えるところで商いがしたい」と、時流に合わせて居住まいを変えながら商いを続けてきました。
 大和高田が木綿の産地であったことから、この地は江戸期から“いとへんの町”でもありました。明治から大正、昭和と続く紡績業の発展にともない、隆盛時には南北約400m、東西約200mの地区内に3つの銀行があったほど。うち2つの建物は今も現存。大正ロマンや昭和モダンが薫り立つ洋館は、町家が連なる町並みのアクセントとなっています。一方、伝統的な町家も、多くは往時の姿を留め空き家はほとんどなし。変わらぬ商いの営みと寺内町の暮らしやすさを物語っています。
 そんな町を盛り上げるのが、寺内町ならではのお祭りです。今も昔も集いの場であり続ける専立寺のお盆万灯会では、境内夜店に子どもたちの歓声があふれます。秋祭りでは本町、市町から一基ずつ出るだんじりが、天神社から町内を曳行(えいこう)。県外からの人出も多く、往時のにぎわいで町の人の心を一つに結びます。
「森川商店本社ビル」
大正末期のレトロな洋館は旧大和貯蓄銀行。当時のままの優雅な姿を見せる。吸収合併後、昭和50年頃まで南都銀行が営業。現在は森川商店本社ビル。
「だんじり」
壮麗な細工を凝らした「本町壱(ほんまちいち)」のだんじり。もう1基の「高田地車(たかだだんじり)」とともに明治初期のもの。今年の秋祭りは10月7日(日)・8日(祝)に行われる。
   
「村島邸」
江戸期建築。長州藩との交易にも尽力した豪商、村島邸。尊王攘夷派(そんのうじょういは)の志士、梅田雲濱(うんぴん)の妻の実家でもある。
   
「専立寺」
大門横の太鼓楼(たいころう)は寺内町のシンボル的存在。時計が普及する明治までは太鼓が時を知らせ、行事の開始を告げた。
   
「本町・市町地区まちづくり協議会」
高田は商人の町、そして寺内町らしく、人と人の距離が近い。安心・安全な住み心地のいい町だから、和気あいあいと集い合う。そんな皆さんに歴史や文化を伝えたり、落語会などのイベントや清掃活動でさらに親睦を深め、町の人の笑顔のために活動しています。
(談:脇屋眞一(わきやしんいち)会長(専立寺住職))
問 本町・市町地区まちづくり協議会
0745-52-5180(専立寺)


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