飛鳥に推古(すいこ)天皇の都があった時代、天皇の甥(おい)で皇太子であった聖徳太子は、学問と思索(しさく)を深めるため、斑鳩の地に離宮を造っていた。その斑鳩と飛鳥を黒馬で往復し、また大和川沿いに難波へも通い、大陸の進んだ文化を取り入れた。
そんなある日のこと。太子が河内国(大阪府の東部)からの帰り道、片岡山のほとりで、なぜか、乗っていた黒馬の足が急に止まった。
太子が不思議に思っていると、旅人が道端で今にも餓死せんばかりの姿で倒れていた。だが、その目からは霊妙な光がさし、体からはよいにおいがしたのだ。太子は、この旅人は普通の人ではない、きっと仏の化身(けしん)であろうと思い、歌を詠んだ。
しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる
その旅人(たひと) あはれ 親無(おやな)しに
汝生(なれな)りけめや さす竹の 君はや無き
飯に飢て 臥せる その旅人 あはれ |
太子は旅人に紫の衣を脱いで着せ、食物を与えた。翌日、旅人が死んでいたため、使者に厚く葬るよう命じた。その後、調べると棺の中に遺骸はなく、紫の衣が棺の上に置かれていた。人々は、旅人は達磨大師の化身といい、墓を造り、やがて寺を建てた。それが達磨寺であるという。達磨は禅宗の祖。(「達磨大師」で検索してね)
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これに似た太子の物語は『日本書紀』『万葉集』などにも見える。こうした太子の慈悲に満ちた説話はやがて太子を神聖視する聖徳太子信仰へと発展し、平安時代以降、盛んとなった。
片岡の地名は、今も北葛城郡王寺町に残る。達磨寺の広い境内には、平成16年に再建された本堂、方丈(ほうじょう)などが建つ。また、太子の愛犬雪丸の石像も目をひく。
雪丸は、人の言葉を話し、お経も唱えたという。今、雪丸は可愛いマスコットキャラクターとして王寺町の町おこしに活躍している。
境内のすぐ西を、国道168号線が走る。とはいえ、時折訪れる冬の冷え冷えとした静けさの中で、人の背丈ほどもあるサザンカが、白や薄紅色の可憐な花をいっぱいに咲かせていた。 |