県政だより奈良

奈良のむかしばなし
 
龍の寺

イラスト

草谷寺
龍の尾が落ちたといわれる場所に建つ草谷寺

新町通り
江戸、明治時代の街並みを残す新町通り

 奈良県の中央西端、金剛山の南麓(なんろく)に広がる五條市。その北の山間(やまあい)の村に、かつて、龍がしばしば現れては、村人らを恐れさせていた。稗(ひえ)や粟(あわ)畑を荒らし、牛や鶏をさらっていく。
 ある夏の終わりのこと。その年は久々の豊作で、村人らは「今年こそは腹いっぱい食べられる」と大喜びであった。 
 ところが、ふいに、金剛山の上に黒い雲が湧き、誰かが「龍の雲だ」と叫んだ。突如、金色の稲妻(いなづま)が走り、あの恐ろしい形相の龍が襲いかかってきたのだ。
 体長は五尋(ひろ)(約10メートル)、頭には尖(とが)った角、鱗(うろこ)が光る太い胴体と鋭い爪(つめ)の足。目は真っ赤に燃えていた。悲鳴をあげ、死に物狂いで逃げ惑う村人たち。
 と、そこへ、1人の行者が通りかかった。行者は数珠(じゅず)を振り上げて必死に祈り、ついにその呪力(じゅりょく)で龍を退治した。
 龍の体は3つにちぎれた。それぞれが落ちたところに龍頭寺、龍胴寺、龍尾寺を建て、村人らは手厚く供養した。今、3寺が併合されたとされる草谷寺(そうこくじ)が北山町に残る。
 巨大な龍が伏せたような、不気味な静けさをたたえて南に続く金剛の山並み。大きく蛇行(だこう)し滔々(とうとう)と流れる吉野川。ここ五條市は、かつては、交通の要衝(ようしょう)、宿場町(しゅくばまち)として賑(にぎ)わった。
 東へは伊勢街道、西へ紀州街道、南へ西熊野街道、北へは奈良に続く下街道。さらに、奥吉野で伐(き)られた材木は筏(いかだ)で吉野川を下り、紀州へ運ばれた。五條はその集散地。また江戸時代には代官所が置かれ、行政の中心ともなった。
 今も、旧紀州街道にあたる新町通りには江戸、明治時代の古い家並みが残る。煙出(けむだ)しのついた瓦(かわら)屋根に白壁、格子(こうし)の窓。造り酒屋や餅(もち)屋の看板。遠い昔に迷い込んだような懐かしさだ。その中に、今も人々が住み、生活が息づいている。
 8月15、16日に吉野川の大川橋上流川原で開かれる「吉野川祭り」。花火が華麗に夜空を焦がす。やがて、暑かった夏もゆっくりと去り、ふと涼風が忍び寄る。

草谷寺へは…

問
五條市商工観光課
TEL
0747・22・4001

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