第20回 奈良県教育懇談会討議の概要


       ◇日時 平成17年7月4日 13:30〜16:00
       ◇場所 中小企業会館 (奈良市登大路町38) 
       
      
◇討議のテーマ  規範意識の向上と社会性の育成

◇発言のポイント

・<資料1=戦後教育の社会的な背景と学習指導要領等の変遷について>
・戦後の社会、教育の流れと現在の子どもたちの状態について
・規範意識と社会性の定義の問題、社会の形成者として必要な資質、能力

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◇議事概要           

◇ 議事概要
【会長】  第19回では、主に規範意識についてご討議いただきました。近年の子どもたちに見られる規範意識の低下の現状や、規範意識の向上のために、具体的にどのような方法で教育を行うべきかといったご意見が出されました。今回は、社会性の育成についての討議を深め、規範意識と社会性の問題について、若干の整理をしながら討議を進めたいと思います。
 教育懇談会でこの問題を取り上げる意義との関連で、なぜ、このような状況が生まれてきたのかということについて、戦後の教育の流れを振り返っておきたいと思います。
これにつきましては、事務局で資料を作成していただいておりますので、教育企画課長から資料の説明をお願いします。

【教育企画課長】  規範意識、社会性をご討議いただく際に、戦後の教育の流れを整理し、共通の認識をお持ちいただけたらということで準備いたしました。
 とりわけ若者の規範意識の低下と社会性の欠如がなぜ起こっているのか。逆に言えば、過去においては若者の規範意識や社会性が、現在よりも良かったと考えられます。
 何が原因で、何が変わってきたのか。これまでの日本の教育の動きの中に、なんらかのヒントがあるのではないでしょうか。

<資料1=戦後教育の社会的な背景と学習指導要領等の変遷について>
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 昭和20年(1945年)の終戦後、アメリカの占領下において教育の民主化が始まった。
 教育においては、新しい学校制度(6・3・3制)が導入され、学習指導要領は1947年には試案が始まっており、資料にあるとおり1958年には、教育課程の法的根拠となる学習指導要領が告示された。この時の内容は、国語、算数の時間数の拡大による基礎学力の充実や社会科における系統学習の重視であった。知識の詰め込みとの批判もあった。
 1960年代 経済社会の再建(発展)に対応した教育施策が行われた。
時代の背景は、高度成長期と呼ばれる産業経済の発展が著しい時期で、国民の所得も伸び、多くの業界において人材需要が供給を上回っていた。
 教育においては、この間、学習指導要領が小・中・高と順に改訂され、教科の系統的学習の重視や、「教育の現代化」すなわち、時代の進展や科学技術の発展に応じ、特に数学・理科の分野に時代の最先端の内容を取り入れ学習内容が高度化した。
 アメリカでは、この時期スプートニクショックがおこり、いかに自国の数学、理科の学力を伸ばせるかということが問題になっており、日本もその影響を受けたと言える。学習内容が高度化し、落ちこぼれという問題が出てきた時代でもある。
 1970年代は、経済成長が安定期に入ってきた時代。過疎・過密(都市問題)が顕著化し、伝統的なムラ的な地域の共同体が崩れ始めた時代である。 高校進学率が90%を超えだし、受験競争(戦争)が社会問題化してきた。
 教育においては、1970年以降に「ゆとりあるしかも充実した学校教育」をテーマとして、学校裁量の時間が新設され、専門教科の時間数が削減された。アメリカでも「教育の現代化」の反動で、教育の人間化が叫ばれだしていた。
 1980年代は産業構造の変化がおこり、これまでの重厚長大から軽薄短小へと移行する。少子高齢化が進展し、家庭も核家族が増加してきた時代。マスコミの発展と並行するかのように学校のバッシングも増えた。子どもたちの周りにもパーソナルコンピューターやTVゲームが普及し始めた。
 教育においては、当時の中曽根首相が臨時教育審議会を設置し、個性重視の原則、生涯学習体系への移行、変化への対応の3つを柱とした報告書が出された。学校の管理的な側面(校則等)についての批判的風潮が作られた。1989年の改訂学習指導要領では「学歴社会の弊害、受験競争過熱の是正」ということを背景として、「新しい学力観」を強調した。
 1990年代にはバブル経済の肥大と凋落がおこり、多くの企業の体力が低下し、社会的不安の増大(終身雇用制の見直し)し、学校でも公立学校離れが進んだ。
 教育においては、「関心・意欲・態度」が強調され、1998年には「生きる力」の育成を提唱。公立学校離れをくい止めるべく、高校教育の多様化・個性化への急激な移行が行われた。
こうした流れを受けて現在の状況があるかと思う。

 現在の姿について
 家庭 
    地域共同体の崩壊や核家族化の進展により親だけで子育てを行う場合が増えている。
    (家庭の教育力の低下)
    子育ての目的が、社会的に自立させることより、個性を尊重した生き方の追求へ移行
    (結果として利己主義の拡大があったのではないか)
     友達親子の増加、親の権威の失墜 (平等主義、役割の崩壊)

 学校
    地域共同体の支えを失い、教師の権威の低下(結果として教育力低下)
    自由・平等主義の流入 (教師も生徒も平等?という風潮の拡大)
    マスコミ等による学校バッシング(教師の萎縮を拡大)
    学校が一定の価値感を主張することに消極的となる。
    個性尊重の風潮の浸透のなかで、生徒の欲望増大に歯止めが利かない状況

 子どもの姿
    基本的な生活の型を身につけていない。
    つらいこと、嫌なことへの耐性がない。(快・不快が判断基準)
    責任感が未成熟(他人のせいにする傾向)
    傷つきやすい自我
    自分の気分や欲望のまま行動することが多い。
   (欲望を満たすことを善とする。それを自分らしさと勘違いしている。)

 現代の社会
  ○子どもたちが社会的自立のための能力を身につけることが難しい。
  ○大人が子どもを消費者として扱う風潮の拡大(物質的価値、効率性偏重)
  ○価値観の多様化が価値の相対化をまねき利己主義を拡大しているのではないか。

 文部科学省は平成10年の中学校学習指導要領「道徳編」解説で子どもの道徳性の育成に影響を与えている社会的風潮として以下の点を上げている。
 ○社会全体や他人のことを考えず、専ら個人の利害関係損得を優先させる。
 ○他者への責任転嫁など、責任感が欠如している。
 ○物や金等の物質的な価値や快楽が優先される。
 ○夢や目標に向けた努力、特に社会をより良くしていこうとする真摯な努力が軽視される。
 ○ゆとりの大切さを忘れ、専ら利便性や効率性を重視する。

戦後社会の風潮
 以上のような一連の流れのなかで、「国民を育てる」ということについて、我が国では、戦前の国粋主義的教育への反省から消極的になっていたという側面があるのではないか。つまり、戦後社会の風潮として全体主義への過度な警戒心のため、日本では個人が何をしようと自由であり、国家は個人に対して一切の束縛や拘束を加えるべきではないという空気(風潮)が形成された。学校現場においても、これらの影響である動きがみられたのではないか。
 子ども中心主義は子どもを大事にしようとした姿勢ではあるが、方法論としては十分とは言い難かったのではないか。責任ある態度を育てることについては、ずいぶん退化したのではないかと思う。そして、どの子も能力に応じて平等に扱うということについては欠けていたのではないかと考える。
ただ、家庭や地域社会等の教育力が有効に働いていた時代は、一定の歯止めがあったが、近年の急激な社会変化により、そういった家庭・地域社会等の教育力が崩壊することにより、子ども達の行動にも変化がみられるようになった。


(戦後の社会、教育の流れと現在の子どもたちの状態について)

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【会長】  大変わかりやすく、説明いただきました。本日はまず、今の部分について、アピール等の前提として合意できればと考えていますが、ご意見をお願いします。特に、現在の状況認識についてはどうでしょうか。説明に対する質問でも結構です。

【委員】  自分の経験から、束縛されるものが無くなると、人はよほど強い意志がないと自分を律することが難しいと思います。昔に比べて、今の子どもたちは、いろんな場面での自由度が大きくなっています。子育て中の親は、子どもに、この自由は今与えるべきか否かということについて、もっと注意を払うべきだと思います。子どもに自由を与えるのはよいが、その子に自由を与えてやっていけるのかチェックすべきと考えます。

【委員】  いずれ人間は1人になる時期がやってきます。組織から離れたとき人間は弱いものです。そういったときに生きる力が問われることになります。  
 戦後の教育の流れの説明を聞き、自分の生活がその中にあったのだなと振り返りました。昭和20年代、私は中学生の初めの頃でした。1947年に学習指導要領の試案がだされましたが、「広い心」「創造する心」という言葉があったのを覚えています。1956年には高校教師としてスタートしましたが、このころ高度経済成長が始まった時期にあたります。このころから、勉強中心という雰囲気が強くなった気がします。指導要領は10年ごとに改訂されてきましたが、社会に合わせて知育偏重となりました。戦後30年経った頃には知育偏重の無理により色々ひずみがでてきたと思います。1977年以降の、ゆとり教育への路線の変更は印象深いものでした。このころは、よい意味での戦後の教育がでてきたなと思いました。ただ、後から考えてみると知育の部分で問題点もはらんでいたように思います。現在は「知の大競争時代」と呼ばれるような時代ですが、思春期の子どもが起こす痛ましい事件等を聞くと、学校教育を考えるにあたっては、基礎的学力も大切ですが、感性の部分についても見直しが必要ではないかと思います。

【委員】  日本では宗教的タブーに代わるべき倫理面での何か束縛が必要なのではないかと思います。

【委員】  日本の戦後は、食べなければいけない、なんとか生きなければいけない、というところからスタートしました。その後、飽食の時代になって、学校教育の物足りなさ等から、塾等に行く子どもが増えました。その反面、人とのふれあいなどはずいぶん軽視され希薄になってしまいました。学校の中でもそういう傾向になったと思います。今、問題になっている、ニートやフリーターの増加の背景もそういった学校教育や社会背景に問題があるのではないでしょうか。集団の教育、人とのふれあいの教育が大切だと思います。

【委員】  子どもたちは弱者をバカにするような言動をすることもあります。でも、授業で詩を読ませ感想を作文に書かせてみると、素直に感動している内容のものも多くあります。学校でも知識だけではない部分を扱う道徳の時間はやはり重要かと思います。

【委員】  宗教の力は大きいのではないでしょうか。嘘は神に対する冒涜だという意識は、日本には無いものです。宗教に代わるべきものが、何か必要だと思います。また、教える際の厳しさも必要だと考えます。現在は、競争させ、手厳しさを植え付けることもあまり見られません。平等主義だから・・。

【委員】  先生方も「教える」という厳しさをもっと持たれた方がよいと思います。子どもに感じてもらうという事も大切ですが・・・。あいさつ等も小さいときに、具体的にしっかり教えるようにしたほうがよいと思います。スポーツの世界では、厳しさ、我慢する、人を大事にするということが大切にされます。 
 親は、子どもが小さいときにしっかりコミュニケーションを取り価値観を「教える」ということを意識してはどうでしょうか。価値観は多様でもいいのですが、その責任もしっかり教えるべきだと思います。

【委員】  提案については、賛成です。
 教師の権威が落ちてきたのは確かだと思います。今、教員の免許更新の話がでていますが、経団連でも議論がされています。教師が尊敬されるには、ただ、悪い先生を斬るのではなく、よくやっている先生を大事にする方がよいと思います。よい先生を給与等でより高く評価する方向でやるべきと考えます。

【委員】  青年海外協力隊などの活動経験を持つ人をもっと評価してはどうですか。

【委員】  現代の子どもたちについて、ややマイナスでとらえすぎてはいないでしょうか。もう少し、プラスイメージがあってもよいと思うのですが・・・。たとえば、新しい技術への対応が早いとか・・。
 社会規範については、大きすぎるお題目を並べても仕方ないと思います。より具体的行動として指導していく形を示すことを考えるべきだと思います。小学生の下校指導に参加したことがありますが、最近は、小さい子ほどあいさつができないのです。年長になるほどしっかりあいさつしてくれます。きっちりした指導はやはり必要だと思います。

【委員】  確かに、現在の子どもの中にも大変優れた行動をとれる子どもはいます。どちらかといえば二極化の傾向があるように思えます。提言に、価値判断を入れるとすれば「・・・の方が多い」といった表現を使った方がよいのではないでしょうか。


【委員】  最近の子どもたちが関わった事件での残虐性が目立ちますが、これは、TVやパソコンなどの影響が大きいのでしょうか。詳しい方がいれば教えていただきたいのですが・・・。

【委員】  やはり、ビデオゲーム(TVゲーム)の影響が大きいのではないでしょうか。

【委員】  最近の子どもたちに対して厳しい意見が多く出されていますが、よい部分もたくさんあると思います。創造力がないという批判も聞きますが、問題は子どもたちに夢やロマン、希望を持たせられるような教師が少なくなっていることではないでしょうか。また、親や社会の在り方が重要だと思います。子どもをどのように伸ばしてやるのかが問題です。単に厳しく指導すればよいということだけでは解決しないと思います。

【会長】  資料1の前半部分については、概ね同意いただいたとします。
 続いて資料1の後半と資料2について、教育企画課長から説明願います。

【教育企画課長】  (資料1の後半について)
 ここでは、学習指導要領にかかわらず公教育の役割についてまとめました。ここで示させていただいたのは、規範意識と社会性の育成についてご討議いただく際の課題として考えたことです。教育には、社会的な要請と個人的な要請の2つの面があります。社会的要請とは社会の形成者を育成することで(国民を育成する)、個人的要請とは個人の幸福追求のための力量を育成することであり、この両面から自己を確立していくことが重要です。従来、子どもたちの、「なぜ学ぶのか」という問いについては、個人的要請の部分、つまり「自分のために学びなさい。」と答える事が多く、なかなか社会的要請である「よい国民になるためです。」とは答えてきませんでした。このままでは、教育の社会的要請の部分がますます弱くなって行くのではないかと考えます。
 社会の形成者として必要な資質、能力とは何かについては、これまでにいただいたご意見等をまとめて、社会対人的な能力、コミュニケーション能力、思いやりの心、協力する態度、自己統制力等を示しましたが、さらにご討議いただきたいと思います。
 資料2については、規範意識と社会性の問題を考える際に、心理的発達も考慮するべきだと考え用意させていただいたものです。発達段階には様々な説がありますが、ここでは、特に問題が顕在化する思春期を中心とした一例を図で示させていただきました。

 (資料2について)
 思春期の課題として
  @変化する身体を受け入れる。    
  A両親等からの情緒的独立を果たす。
  B自分らしい言葉・態度で表現する。
  C行動指針としての価値や倫理の体系を学ぶ。
  D自分と他者の違い、役割を認識する。
  E家族外の対人関係の中に居場所を確保する。
 の6点を示させていただきました。
 これらの課題達成に影響を与えると考えられる要素として社会的要因等(受験等のストレス、マスコミ等の有害情報、親、大人等との対人関係の問題、コミュニケーション力の偏向など)を示しました。
 先ほどマイナス面だけをあげているとご指摘いただきましたが、あくまで問題点をあげたものです。
 思春期前後を見通して、子どもたちに何を教えたらよいのか、県教育委員会としてどのような施策を考えたらよいのか、ご討議いただきたいと思います。また、資料として中学校の生徒指導要録の評価の観点を添付させていただいていますので、参考としてご討議いただきたいと思います。

(規範意識と社会性の定義の問題、社会の形成者として必要な資質、能力)
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【会長】  規範意識と社会性という言葉の持つカテゴリーの問題がありますが、規範意識だけでは、どうも狭すぎる観があるのですが・・。資料1にある「社会の形成者として必要な資質・能力」を「社会性」という言葉で定義してはどうでしょうか。概念として「社会性の育成」に規範意識の向上を含ませることになりますが・・・。その上で、具体的に、どんな資質や能力なのか、その資質や能力をどのような方法で身につけていくのかということについて討議をお願いします。

【委員】  確かに規範意識は、道徳を含むのかどうなのか等がわかりにくいと思います。従って、会長の意見に賛同します。
 子どもたちには、是非自分の頭で考えられるようになってほしいと思います。具体的な施策としては、例えば期間を決めて、その間に子どもたちが社会に役立つことを自ら考えて実行する一日一善運動などを進めてはどうでしょうか。また、やりっ放しではなく、結果を発表し、本当に役立ったのか、課題は何か等について話し合うようにするのです。そうすれば、今の子どもの弱点である表現力や行動についての評価の力も養われるのではないでしょうか。


【会長】  異論がなければ、「社会性」=社会の形成者として必要な資質・能力と考えて進めていきます。
 では、社会の形成者として必要な資質・能力をどう考えるかということですが、資料で示されたもの以外にも特に奈良県として大事にしたいものという観点でも考えていただけたらと思います。因みに、平成14年に県民5,000人アンケートをやりましたが、その際、求める人間像で県民から一番支持されたのが「思いやりのある人」、次が「責任感のある人」でした。また、中学校の生徒指導要録の評価の観点の項目等も参考にしてください。
 あげていただいた意見をグループ化して、具体的な内容を示すことができればと考えています。発達段階との関係でも整理ができると思います。

【委員】  勤労・奉仕、思いやりと協力に関係して、ボランティア活動を整理して社会性の概念としてとらえてはどうでしょうか。

【委員】  会長に確認ですが、例えば公共心を育てるために、学校で、家庭で、地域で具体的に何をするべきなのかといった、マトリックスのようなものをつくっていこうということですか。

【会長】  かなり難しいと思うのですが、具体的に行動も含めて指標のようなものがまとめられればよいと考えています。

【委員】  成熟した市民、期待される人間とは何かを考えていくのは大切だが難しいと思います。社会の一員としての規範意識は最低必要なことと考えますが、社会にはいろいろな価値観を持った人がいるわけで、それぞれの態度を理解する姿勢を養うことが必要だと思います。

【委員】  幼児から高校生までの各段階における目標を設定することは難しいと思います。また、各段階での指導を行う先生個人の社会性についても問題になるのではないでしょうか。モデルを作ることが、画一的な基準にならないかを危惧します。

【会長】  幼児期から高校までの発達段階に合わせて、行動の指標的なものを作りあげてはどうでしょうか。社会性に関係する行動を世代別に示せたら、指導上も役に立つのではないでしょうか。

【委員】  思いやりの心の基本は、他人の事を思い描けるイメージ力だと思います。幼児期の感性を大事にすることを訴えてはどうでしょうか。

【委員】  先だって、歌舞伎の市川団十郎氏と対談した際に強く感じたのが、ミッションの大切さということです。歌舞伎の世界ですから、団十郎さんは、市川家を継いでいかなければならないということで、常にミッションが課せられていたそうです。小さいときから、子どもに「あなたは役に立つんですよ」とか「使命や役割があるんですよ」というメッセージを伝えることはとても大切だと思います。最近は、家での子どもの役割(仕事)が無くなってしまい、「小さいけれどみんなの役に立っている」という感情が持ちにくくなっています。子どもの社会的なミッションが無くなってしまったのです。これが、大人になる際の社会的役割を獲得する事の障害になっているのではないかと思います。また、小さいときから「貞観政要」(リーダーシップ論として)などを教えることもよいのではないかと思います。

【委員】  人のことを思いやることは大変よいことですが、日本人はその前提が欠けているのではないでしょうか。即ち、しっかりとした自分の自主的な判断や方向性が無ければ、何も活かせないのです。特に外国との交流や交渉の結果をみればよく分かります。他者に配慮するためには、自分というものが無ければ駄目だと思います。

【会長】  「思いやり」という言葉ひとつでも、人によってとらえ方が違います。できれば、ある程度の共通理解ができるようにまとめていきたいと思います。

【委員】  今の子どもたちについてどう思うか、職場の20代、30代前半のスタッフと話し合いましたが、昔に比べて「恥の心」が無くなっているのが問題という指摘がでてきました。

【委員】  できる教員を優遇するべきだという話がありましたが、そうなれば学校の中に階層の縮図を持ち込むことになり、危惧を感じます。教師自身が競争や評価されることは仕方ないと思いますが、それを子どもたちがどう感じるのかが心配です。純粋に競争原理を持ち込むことと、思いやりや、助け合いとの精神に齟齬がでてこないでしょうか。

【委員】  現在、既に、保護者や生徒は教諭を評価していると思います。おおっぴらではないが、いい先生、ダメな先生のうわさはどこの学校にもあるのではないでしょうか。子どもたちの心に与える影響を心配されるのは分かりますが、やらないことの弊害の方がはるかに大きいというのが現状だと考えます。

【委員】  アピール、提言を示すにあたって、資質や能力に該当するかどうかは分からないが、キーワードとして「誇り」を入れたらよいと思います。この両親の子どもで良かったとか、この学校、地域、郷土で育って良かったとか・・・。自尊意識との絡みで、誇りをもてる子どもを育てるべきだと思います。奈良県は特に、歴史や文化で誇れるものが多い土地柄でもあるので是非考えてみたいと思います。それが、郷土愛、家族愛に関係するのではないかと考えます。

【委員】  社会の変化によって、大人も子どもも意識が変わってきています。昔は、もっと他人との関わりに積極的であったように思います。面倒見がよかったというか・・・。近年は、人のことには関わらないというのが普通になってきているように感じますが、人の面倒を見ることのできる姿勢を持つ子供を育てたいと思います。

【委員】  「誇り」ということで思い出しましたが、小学校で、アンケートをとったら34名のクラスで自分のことが好きな子は3名しかいないという実態がありました。これでは、他人のことを思いやる以前の問題があると感じました。子どもが自尊意識を持てるような指導が必要だと感じています。「誇り」という言葉は必要だと思います。

【委員】  上級生が下級生の面倒を見るというシステムを幼稚園でやっていますが、大変効果があります。上級生も、下級生も成長します。異年齢による共同作業のシステムを広く取り入れるべきだと考えます。

【会長】  それでは、次回までに「社会性」についてまとめていきたいと思います。




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