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平成18年12月11日     
第24回 奈良県教育懇談会討議の概要


     ◇日時 平成18年11月8日(水) 9:30〜12:00
     ◇場所 共済会館 やまと (奈良市鍋屋町15)

     ◇テーマ ・教育改革の取組状況の調査について
          ・学力低下について



        ◇発言のポイント
        ・子どもの置かれてる文化的状況に問題があるのではないか
        ・学力をどう考えるのか
        ・個人・家庭をつなぐための手だてが必要


◇議事概要

【会長】
 では、まず、最初に「平成18年度教育改革の取組状況についての調査」(案)について事務局から。


【事務局】
 教育改革の取組状況についての調査は、教育懇談会の提言に基づいた施策への取組が、現場でどのように行われているかを知るためのもの。平成15年から実施しており、今年で4年目になる。今回、学校用の質問の一部に変更がある。

【委員】
 昨年の調査結果の資料では、教員の目標達成度についての校長への報告の値が非常に低い。結果において、不十分であった場合、その結果を分析し、来年にどうつなげるかが重要であると考えるが、そのあたりの分析はできているのか。

【事務局】
 委員からご指摘のあった、目標達成度値が低いという点については、本年、4月から教員評価制度を全県的に導入したので、改善の方向に進むと考えている。教員と校長とのコミュニケーションが十分にとられることにより、学校の活性化につながると考えている。

【委員】
 調査結果についての県教育委員会の取組はどうなのか。調査結果にもとづいた指導や改善策を学校や市町村教委に対して働きかけているのか。

【事務局】
 教育委員会の取組、成果と課題については、年度の終わりにまとめて報告したい。

【委員】
 調査のための調査にならないようにして欲しい。また、この調査とは別に、学校現場の課題に即した調査も考えていくことも必要だと思う。

【会長】
 事務局は、委員からの意見を踏まえて、調査の実施をお願いする。文言について意見があれば、事務局まで連絡を。
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 前回の会議において、委員各位の課題意識等についてご意見をいただいたが、大別して学校、家庭の教育力の低下についてのご意見が多く出された。そこで今回は、事務局と相談し、少し焦点を絞って、学力とは何なのか。学力低下とは、具体的にはどういったことが問題になっているのかについて議論を深めていきたい。
事務局から資料について説明をお願いする。

【事務局】
<事務局から国際調査(PISA、TIMSS)についての説明>
 ◆「OECD調査(PISA)及びIEA調査(TIMSS)の結果について」の説明
 OECD調査(PISA)とIEA調査(TIMSS)は測定する学力は次のように異なってる。
 ・OECD調査(PISA)=知識活用力と課題の解決力をみる試験が中心
           (生活体験など、非常に広い力を見ている。)
 ・IEA調査(TIMSS)=算数(数学)と理科の教育到達度を測る試験が中心
           (学校で学んだ知識がどの程度身についているかをみる。)
OECD調査(PISA)の結果について
 この国際調査は2000年に最初の本調査が行われており、そのときは32カ国が参加したが、今回(2003年)の調査は41カ国・地域から15歳の生徒が27万6千人が参加。
 ○日本の順位は、読解力が8位から14位へ
         数学的リテラシーが1位から6位へ
         科学的リテラシーは2位のまま
         問題解決力が4位、(今回初導入)という結果。
IEA調査(TIMSS)の結果について
 この国際調査は1964年から実施されており、今回は第4学年(日本の小学4年生)116,951名が世界25の国及び地域から、第8学年(日本の中学2年生)224,503名が世界46の国及び地域から参加。
 ○日本の順位は、中学2年生の数学が5位(前回同様)
               理科が4位から6位へ。
         小学4年生の算数は3位(前回同様)
               理科は2位から3位へ。
PISAの読解力問題(例)の説明
 ・チャド湖に関する問題
 ・インフルエンザに関する問題
 問題例を見ていただいたとおり、PISAの調査での読解力とは、単純に文書を読み解く力を問題にしているということではない。
OECD調査(PISA)で測っている力とは何か
・PISAは、義務教育修了段階の15歳児が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかどうかを評価してる。
・試験は国語、算数(数学)、理科といった教科別にはなっていない。
・今回(2003年)の調査では、「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」の主要3分野に加えて、「問題解決能力」についての調査が行われている。
・PISAで測られる力は社会に出て生きるための力としての、「知識活用力」や「問題解決力」。
 いくら知識を持っていても、与えられたテーマの問題で「どの知識を使ってどう解決するか」を自分で考えて「自分の言葉で表現」できなければ、その知識を使える力があるということにはならない。
「義務教育に関する意識調査」の抜粋データについて
 ・平成17年に文部科学省が国立教育政策研究所等の機関に委嘱して実施されたもの
 ・学校教育に求めるもの(保護者、教員、生徒)
 ・生徒の授業満足度や勉強する理由について


【会長】
 学力低下の議論の根拠としての、2つの国際調査の結果や目的について説明いただいた。また、昨年和歌山県で行った関西教育学会のシンポジウムのパネルディスカッションの記録をまとめたものを資料として配付しているので、参考までに見ていただきたい。

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○ 子どもの置かれている文化的状況に問題があるのではないか

【会長】
 学習意欲が減退してきているという問題については、過去においては、子どもの内面より社会の外側から勉強する動機が与えられた。戦前は国家的な力が、戦後は、経済的な豊かさを求める社会的要請が、学習意欲を作った。1990年代のバブルの崩壊によって、経済による動機付けが弱くなってしまった。ニヒリズム状態というか、心の空白状態がもたらされた。これと関連して、ものを考えるために必要な言葉をどう獲得するのかという文化的な問題がでてきている。言葉がしっかりと身についた子どもは、簡単にキレることはない。言葉の能力は、安定したコミュニケーションの基本でもあるし、思考力と密接に結びついている。子どもの学習意欲の減退などの背景には、マス・メディアがもたらす商業的な文化が、子どもが言葉を正しく身につけることを難しくしているのではないかという危惧がある。

【委員】
 逆に言えば、現在の荒廃した状況は、言葉、国語の問題が大きいということか。

【会長】
 子どもの置かれている文化的状況に問題があると考える。言葉の問題はそれが端的に現れた問題。学校教育をうける前の段階で、子どもを取りまく文化が、マス・メディアによって、好ましくない別の形の文化として作られてしまっている。昔は、学校が輝いていた。現在は、知識や情報を伝えるメディアとしての学校の力は落ちてしまっている。言い換えれば、教員が正しい言葉を教えるのが大変困難な状況になっている。

【委員】
 親が子どもを一生懸命育てていないのではないか。忙しいことを言い訳に、小さいときからテレビやビデオに子守りをさせてしまっている。ノーテレビデーでも設定すべきではないか。学齢期の子どもには、1ヶ月ぐらい合宿させてテレビから隔離してはどうか。そういったものを考えないと抜本的な解決にならないのではないか。

【委員】
 学力低下の問題について考えるならば、まず1つ目として、全体的な低下のなかでの二極分化の問題を考えなければいけない。できる子、できない子、それぞれにどう対処するのか。
 2つ目に、家庭教育の問題。例えば、いじめの問題が大きく取り上げられて、学校や教育委員会が責められているが、親や家庭はどうしていたのか。いじめられた子どもの親、いじめている子どもの親は何をしていたのか。報道されないが、どう接していたのか疑問に思う。子どもをどう支えるのかを考えるべき。
 3つ目に、会長からも話があったが、勉強する動機付けの問題。大学生の例で話せば、自分の目標を具体的にもっている学生は落ちこぼれない。動機付けをしっかりやることが必要だ。
 蛇足だが、学校管理職の自殺が起こっていることを、大変残念に思う。亡くなった方に対しては厳しいようだが、困難な状況でも、それに立ち向かう姿を生徒に見せて欲しかったと思う。管理職としての訓練や研修は必要だし、メンタルヘルスケアも考えなければならない。

【委員】
 背景を考えることも大事だが、現場で具体的に何ができるかを考えたい。
 義務教育の教科書は絵やイラストが多すぎる、まるで、マンガ本と同じように感じる。見てわかるのがよいのかもしれないが、子どもの想像力を育成するには、文字がもう少し多い方がよいのではないか。お話を聞くことで、聞く態度と一緒に考える力を育成できる。言葉を繰り返し繰り返し反すうすることで思考は深まるのではないか。興味、関心を煽るだけでは子どもの想像力を育てるという意味ではマイナスと考える。

【委員】
 小学校3年生の理科の教科書の「影」の学習をみてびっくりした。イラストが多く、文字がほとんど書かれていない。学び方の手順は示されているが、これでよいのか疑問。教員の力量にほとんどがゆだねられてしまい、うまくいかなければ、生徒は一時間遊んで終わりである。現実に、教科書で復習することはできない。

【会長】
 現在の教科書が、なぜこうなったのかというと、子どもたちの感覚が、ビジュアル中心でないとついて行けなくなっているのではないか。教員もタレント並みの演出や力量が求められている。教員は、テレビの影響を受けている子どもの文化状況に立ち向かわなければならない。このようなことについて、親はどう考えているのだろうか。

【委員】
 子どもを取り巻く状況は、ご指摘のとおり。ただ、最近の子育て環境を考えると、昔に比べて外遊びの場所がない。安全面で不安である。そうなると、室内でのビデオやゲームということになってしまうのではないか。親としてもジレンマがある。国際調査で学力上位とされた、フィンランドや韓国などの外国の教育事情も参考にしてはどうか。フィンランドは国民性として、読書が盛んであると聞いている。

  <休憩>


【委員】
 読み聞かせなどの活動が盛んだが、県教育委員会からの推薦図書はあるのか

【事務局】
 読み聞かせ用ということでは特にない。読書感想文の推薦本はある。

【委員】
 最近魅力ある出版物が少ないように思う。文学作品も、世の中に迎合しすぎているように感じる。有害図書の審査等にもかかわったが、有害図書の読者層は30代の女性層が圧倒的に多いという調査結果がある。30代といえば母親世代が多い年齢層である。保護者は、子どもにどう向き合っているのか不安になる。一部の教員が問題にされるが、全般に学校現場は頑張っている。しかしこんな状況では限界もあると思う。

【委員】
 少々極端だが、誰かが、だめなものはだめ!というべきではないか。

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○ 学力をどう考えるのか

【会長】
 先ほども述べたが、かっては学校教育の影響力が大きかった時代はあった。今や学校は社会的な影響力を持てていない。

【委員】
 何を基準として学力を考えるかという問題は大切だ。入試の学力などはごく一部分に過ぎない。また、子どもの発達段階を考慮することも重要である。先ほどの話に出てきた小学3年生ぐらいは、思考が具象から抽象に変わっていく時期にあたる。そういうことも踏まえて、その時々に、子どもにどんな力をつけてやることが必要なのかを考えるべき。

【会長】
 ここで、奈良県の「学力」はこれですと、決めるわけにもいかない。議論は、今日の学校の教育力の低下をもたらしたものや、その背景についてに向かっているが、具体的にどこに焦点を当てるべきか整理したい。かつては、子育ては家庭が中心であり、学校や社会がネットワークとしてうまく機能していたと考えられるが、今はそういった枠組みが、多様化したというか、崩れてしまった。地域を、学校と協力して子どもを育てる団体(サポート団体)として再編成する必要があるのではないかと考えるがどうか。

【委員】
 地域に子どもを育てる団体をつくることが必要だと思うが、PTAや教育現場の実態を、県教育委員会はどのように見ているのか。

【事務局】
 PTAと学校の関係については、部分的にはかなり深く協力しているととらえている。例えば、子どもの安全対策等の取組や学校評議員制度についての部分である。ただ、それぞれの地域の実情があるので、県教委が一律に協力体制を進めることは難しいと感じている。

【委員】
 小学校、中学校の親の世代は、一般に大変多忙な世代である。そういう状況では、子どもの父親を参加させることも大切だが、祖父母の世代をどう組織して、うまく活動していただくかを考える必要がある。

【委員】
 先ほどの話に戻して恐縮だが、「生きる力」とか「学力」をどう考えたらよいのか。私は、学校で数学は苦手だったが、日々の生活では特に苦労せずに生きてきた。実生活で役に立つ、必要な学力とは何なのだろうか。

【委員】
 学ぼうとする姿勢をつくることが「生きる力」ではないかと思う。単純な知識や技能が「学力」ではないだろう。
 父親や祖父母を教育に参加させるという意見が出ていたが、PTAが学校との交渉団体になっているようではだめで、育てる友の会(育友会)と位置づけることが大切。学校を支援、サポートする組織とすることが重要。

【委員】
 学校で習った勉強は役に立つのかということだが、自分自身で考えれば、受験勉強で身についたもので、役に立っている力は、「我慢ができる」「無理が利く」ということや「忍耐力」だけのような気がする。子どもには、自己実現のために力を身につけることが大事だと伝えたい。その力とは、何が自分に必要なのかを判断する力だと思う。仕事柄、キレる子どもと話をする機会も多いが、そんな子どもの多くはコミュニケーションする力が欠けている。内省する力、想像する力が不十分なために、自分でものごとを筋道たてて考えることができなくなっていると感じる。基礎として読書も大事だが、コミュニケーションできる力を育てる工夫が必要。

【委員】
 懇談会で話をすることが、どこまで現場を変えることができるのか。現場の先生方の声をもっと聞くべきだと思う。現在の奈良県の学校現場の困難な状況を把握することがとても重要だと思う。その上で対策を立てるべき。また、個人的な意見だが、教育には強制の部分も必要と考える。

【委員】
 どんな年代の層でも全体の2割が頑張り、6割が頑張ったふりをして、残り2割はぶら下がっていると聞いたことがある。習熟度別学習を導入しても、頑張っているふりをして終わってしまっているのではないか。誤解を恐れずに言えば、ある意味、小・中学生が個性や意欲等というのはおこがましい。強制も必要だと思う。
 また、奈良県の教員もどんどん世界へ出て行くべき。日本人学校の教員等に県も積極的に奨励すべきだと思う。

【委員】
 道徳や生活指導の方向性を県教委がしっかり出すべきではないか。また、社会に出て行くにあたって具体的にどんな力が必要なのかを考えて欲しい。障害者教育においても同様と考える。

【委員】
 全国的な問題になっている不適格教員についてはどう考えるべきか。

【委員】
 典型的な例を取り上げて一般化することは危険である。報道されたことだけを鵜呑みにして教員を批判することは不適切だと考える。

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○ 個人、家庭をつなぐための手だてが必要

【会長】
 ひとつの比喩だが、現代は砂のような社会環境だと思う。砂は一つ一つがバラバラ。少し昔は、粘土のような社会環境。粘土は形が安定しているが風通しは悪い。粘土も砂の中でも命は育ちにくい。中間の土のような環境を提供できないか。現代は発展したマス・メディアが、どちらかといえば、個をバラバラにしている。個人や家庭を繋ぐためにはどういう手だてが必要なのかを考えるべき。

【委員】
 マス・メディアのマイナス面が指摘されたが、以前、ママさんネットのようなものを立ち上げた経験からいえば、学校、家庭、地域をコンピュータネットワーク等で繋ぐことで、情報の双方向的なつながりによる電子井戸端会議的な場を提供することもできる。メディアについてもうまく使えるところもあるように思う。リアル(現実)な体験との両方をバランスよく使うことを考えてはどうか。

【委員】
 市町村レベルで地域文化を共有できる学びを創造することはできないか。学校は、地域や保護者に正面から向き合うべきである。学校が地域との密着感をもつことが必要。

【会長】
 保護者は、自分の子どもばかりをみてしまうが、自分の子どもをよくしようとすれば、子どもが属する集団をよくする必要がある。学校は情報を積極的に公開し、親が集団全体を意識して子どもを見られる状態をつくることが必要。

【委員】
 地域や親のニーズを調べることも大事だが、逆に地域や親が教育(学校)に対して何ができるかと問うことも考えてはどうか。誰かがやってくれるというのではなく、当事者としての意識を持ってもらう工夫が必要。

【委員】
 これまでの奈良県の取組を精査して、再検討することが必要。うまくいった事業はまとめて、成功事例集を作ってもらいたい。

【委員】
 読み書き算という、基礎基本が徹底されていないことについての対策も考えて欲しい。これら基礎基本の上に様々な学力が伸びていくと考える。

【委員】
 自己学習の習慣化のために宿題は必要ではないか。また、大学入試も自己学習能力を判定するような内容にしてはどうか。

【委員】
 最近は文部科学省の対応も柔軟になってきているので、奈良県の独自性をもっと前面に出すべきである。

【会長】
 学校と家庭や地域の関係について意見を多くいただいたが、今日の議論を整理して、次回につなげていきたい。
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