第5回奈良県教育懇談会討議の概要


◇日時   平成13年7月30日 13:30〜17:00

◇場所   奈良市法蓮町「春日野荘」(天平の間)

◇発言のポイント

T 意見交換


◇次回懇談会    平成13年8月31日(金)


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◇議事概要

T 意見交換

【会長】ただいまから懇談会を始めます。前回の懇談会以後、専門部会を2回開きまして、アンケート調査にかかわる検討をしてきたわけですが、その間に現在直面しているさまざまな教育問題について、もう一度、懇談会のご意見をお伺いしてアンケートをつくるということになり、お手元にありますような「専門調査部会から『懇談会』へ討論のための試案」をまとめました。それで、本日はこの試案を中心にして、ご意見、ご議論をお願いしたいと思います。従いまして、本日予定していました高等教育、大学教育及び職業教育についは、また次の機会に回したいと思います。
 それで、討議の進め方でございますが、試案の見出しごとに専門調査部会の委員が要点を説明します。それに関連して問題点の掘り下げをできればと思いますのでよろしくお願いします。

(公立中学校の荒れ等の「深刻な教育現象」の最大の要因は、授業がわからないことにありはしないか。)
 最初は、私の方から「深刻な教育現象」というテーマで、手短に説明いたします。「公立中学校の荒れ」、即ち、校内暴力あるいは学級崩壊という現象があります。この統計を見ますと、いわゆる不登校も中学校が一番多くて、中学校1、2、3年と学年が進むに従って増加しています。これらの一つの要因として、授業がわからないことが挙げられるのではないでしょうか。この問題は基礎・基本の徹底とか、あるいは学力低下という次のところの問題とつながります。二つ目に教師とか学校の信頼が低下しているのではないかとか、あるいは塾通いなども関係しているのではないかと考えられます。
 それから、いじめの問題も中学1年生が最も多いという資料があります。不登校については、最近は怠けの不登校が多く、登校拒否(スクールホビア)と怠けの不登校というタイプの違う不登校を、同じような扱いをしていていいのだろうかという意見もあります。それと関係して、高等学校では中途退学が目立っているわけですが、不登校がこれに結びつく場合があるかとも思います。非行については、数としては万引き等、いわゆる窃盗が非常に多いようです。
 以上のような現状を念頭に置きながら、さらにより根本的にこれからの教育はいかにあるべきか、いわゆる教育改革の方向を、試案に従いご討議いただけたらと思います。それでは、家庭と幼児教育の問題という点につきまして、専門委員の方からお願いします。

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(子供は産めば勝手に育つという意識がどこかにありはしないか。親としての責任を迫っていく姿勢が社会にあるべきだ。何でも許してしまう許容社会が出来上がってしまった今、自己責任感を作る必要がある。)
【委員】各層の人が集まって教育を中心とした問題で政治や行政、あるいは教育に何を望みたいか、そういうことについて学習や提言をしていく目的で作った塾では、この幼児教育の問題で次のような話が出ていました。
 特に大事なのは家庭の責任と義務を明確にすべきではないかと。私自身も、最近、学校その他マスコミもそうですけれども、親と言わないで保護者という呼び方をしております。この発端は、親といえば親のない子もいるのだ、差別になるのではないか、ということで一様に保護者と呼んでいるわけだが、どうも保護者という言葉の中には親という意識が消されていく面があるのではないか。こういった面も考える必要があると思います。
 ある学者の説では、成熟による要因と学習による要因の相互関係で発達していくものだとされているわけですが、どうも親の中には子供は産めば勝手に育つという意識がどこかにありはしないか。親自身がやらなければならない学習があるにもかかわらず、後の学習は外からやってくれという考えはありはしないか。箸の持ち方から排泄の仕方まで、これは親自身が責任を持ってやっていかなくてはいけない。そういうことがどこかで欠けているのではないか。
 ところで、家庭教育という言葉ですが、家庭は教育ではないと思います。私は、家庭は養育であり、訓育の場だと。特に、3歳までは親が責任を持たなければいけない。もちろん、社会なりその他の面からサポートしなければいけないのだが、主体は親にあることを確認する必要があるのではないか。また親自身にもっと親としての責任を迫っていく姿勢が社会にもあってもよいのではないかと思います。
 一時期、子供は無限の可能性を持っているというので、何の手を加えなくても無限の可能性に向かって歩いていくような日本人の錯覚があったかと思うのですが、教えなければ、与えなければやっぱり子供は知らないし、できない。子供は人格的に未熟だということを前提にして教え込んでいくことが大事ではないか。特に今の日本社会は極端な許容社会で、何をやっても許される。ちょうど80年代から続いています。学生運動が終わって若者が退廃傾向に走ったころから、許容社会が出現した。だから今、自己責任感をつくっていく必要があるのではないか。その前に、モラールといいますか意欲をつくっていくこと、こういうことも家庭でできる一つのしつけではないかと思います。
 3歳ぐらいまでしっかり家で育てたとしても、幼稚園へ上がればすべて自由になる。幼稚園の授業を見せてもらえば、園に登園してきたら、思い思いに絵をかく子は絵をかく。一人ひとりがばらばらに動いているわけです。それが果たして個性の尊重なのでしょうか。人間の可能性、それから個性の尊重、こういったことをもう一度考え直す必要があるのではないか。これはもちろん幼稚園だけが悪いのではなくて、幼稚園の先生も何かけじめを付けようとすれば親から反発がある。だから単なる子守に終わってしまうというところもあるわけです。そういうことを含めて、家庭に対してどう支援していくのかということを考えていくべきではないか。親が投げ出したものを社会が責任を持てという論調が多いのですが、親が子供の子育てに責任を持つことが女性の社会参加を阻むものにならないと思う。この意味で、親の再考を促す何かアピールが要るのではないかと思います。

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【会長】 ただいまの提言について、ご意見ございましたらお願いいたします。

(子供を教育するという以前に、お母さん自体が子供と共に育つことが大事。しかし、そのことを母親に落とすのが難しい。)
【委員】今のお話は、まさにそのとおりだと思いました。子供を教育するという以前に、お母さん自体が子供と共に育つための教育がどうあるべきかという視点に返らなければならないということは、日々の私たちの活動の中ででも提案しております。では、具体的にどうすることが共に楽しく、親子共に育つのだろうかという課題を持ちながら、具体的な活動を繰り返したりイベントを起こしたりして取り組んでいるのですが、まず資金的な面、そして、まだ学歴社会であるというはざまで母親が悩んでしまうわけです。知識よりも経験を重視しなければならないということは、私が子供を育ててきた背景の中ででも明らかなのです。現在30代前半から30代後半のお母さんが子供を育てるときに、共に育つということを母親に落とすのは非常に難しいところがあります。それを実感させるための指針、あるいは、何かこういうことが一緒に育つのだよという県を挙げての提唱ができればと思います。そういう意味で、もう少し具体策のなお具体策をこの場で検討、協議していただけたならば、ありがたいと思います。

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(やはり基盤は人間形成だ。教育や道徳に無関心な親にどう迫るかを真剣に考えなければならない。)
【委員】やっぱり基盤というのは人間形成だと思う。特に今の親たちを見ていて、子供を人間ではなく物として評価しているのではないか。いい悪い、上等かそうでないか、そんな形で人間を見ている気がする。そういう見方がすべて学歴社会、あるいは知識偏重の教育から生まれてきたとおっしゃるのは、どうも私にはわからない。学歴は個性的に子供たちに選択させて身につけていけばよく、大学を出ていなくても通用する社会があるのだから、すべて学歴社会だからこうしなければいけないということでもないと思う。ほんとうに親たちが望んでいるのは、子供たちが世間の人と仲よくつき合ってくれて、一人で生活できる力を身につけてくれたらいいと、本音として持っているわけです。そういうことをやはり大事にしていきたい。
 いろいろなところからマニュアルをつくったり提起していくことも大事なのですが、一部の階層の親に迫るすべがない。学校で保護者懇談会をしても参加しない。社会でどんなに道徳論を説いても一切無関心である。今言われている児童虐待の問題にしても、家へ迫っていけば「いや、これはうちの方針だ」と言われれば児童相談所も入りようがない。もちろん、子供は社会全体が育てていかなければいけない社会的責任もあるのだが、まず第一に最初に親がやってくれ、その上で援助していきましょうと、こういう人たちにどう呼び掛け迫っていけばいいのか。これは皆で真剣に考えなければいけない。また、私どもの方で電話相談もしているのだが、ダイヤルを回して声を出して悩みを打ち明けられない人がいる。こういう人たちの悩みをどう吸い上げるかも共に考えなければなりません。

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(初めて親になるとき、与えられる生活から与える生活のほうに質的な転換を迫られ、切り換えがおぼつかない。外部からの父親学、母親学の刺激や働きかけを要検討。)
【委員】初めて親になるという立場を考えた場合に、幼児教育の素養を含めた父親学とか母親学とか、そういったものが必要ではないかと自分の経験からも非常に感じます。といいますのは、今まで育ってきた中で、与えられる生活から今度は与える生活のほうに質的な転換を迫られるわけですね。そこでの切り換えというものが本当におぼつかないような感じがします。自分の分身がこの世にあらわれたということで、それが自分の大きな責任と義務として育てていくという課題がはっきりと掴めない。また、どうしたらよいのかわからない。こういう思いを自分の経験から強く感じます。子育てマニュアルの作成という提言が出ていますが、外部からの父親学、母親学の刺激や働きかけも強く検討されるべきではないかと思います。

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【会長】幼児教育の充実ということで、幼稚園教育の流れを踏まえて専門委員より説明をお願いします。

(自由保育を生み出した平成元年の幼稚園教育要領を平成12年に改訂したが、現場では混乱が残った。幼稚園教育の県の指針・具体的提言を作成して、幼児期に子供につけたい力を明確にする。)
【委員】幼稚園は平成12年に改定された幼稚園教育要領に基づいて幼稚園教育をやるというのが合意になっています。平成12年の前に、平成元年に1回変わっております。平成元年に変えたときに保育の仕方や考え方を180度転換するんだという、非常に大々的なある種のキャッチフレーズでもって保育界に啓発をされたわけです。それを受けて、自由保育だったという言い方がされているわけです。
 だから、見直しというのはここ10年の体勢的な幼稚園教育のあり方の見直しを、「自由保育の見直し」というふうに言われているわけです。遊びを中心に保育がしたい。集団で保育をしようということはあまり考えないで一人一人に対応しようという、雑駁に言えばそういうことが平成元年のときに言われました。それなりに主張は説得力もあったんですが、実際の保育がどういうふうに展開されたかと言いますと、子供に引きずられるという形の保育が全国的に広がったわけです。その結果、それはまずいと途中で気づかれるようになりました。
 いろいろな提言もあったのですが、平成元年の要領に対して明快に見直しの提案が出てきたのは、平成9年の調査研究協力者会議です。例えば子供の人間関係が非常にひ弱であると、その部分をきちんとつけていこうとか、あるいは一人一人というけれども、集団での活動というのも必要ではないかとか、それから生活習慣が子供の中に全く根づいていない等、つまり、今受けている批判はほとんどそこで指摘されました。そういうようなことを受けて、幼稚園教育要領のとらえ直しとして平成12年に新しい要領が出ました。従って、今いろいろ巷間でご指摘を受けているようなことは、平成12年度の分ではかなりカバーするように文言としてはなっています。例えばセルフコントロールの力とか、道徳をどうとらえるか、それから遊び遊びと言うが、遊びといってもその中で子供がきちんと身につけていくものがあるのではないかということが出てきました。そして、今日に至っています。
 次に、「幼稚園教育の県の指針・具体的提言の作成」ということになるわけです。建前的には以上のように文言は変わってきたのですが、実際の幼稚園教育の場では非常に混乱があります。それは、例えば我が子がうまくいかないと親のほうが泣き叫んでしまう等の、親の側の幼児化現象からくる混乱が一つ。あるいは、子供のことに熱心だが我が子のことだけで、それが他のご近所、近くの子供にはいかないという大人としての視野の問題が一つ。子育てを全部外注してしまうという発想で、保育所・幼稚園にお願いしたいという親の責任転嫁の問題が一つ。
 他方では、幼稚園の教員自体に揺らぎがある。例えば保護者からの抗議があるとそれを受け切れない専門家としての弱さがある。幼稚園自身は地域の子育てにきちんと出ていこうという姿勢は持っているのだが、幼稚園の先生方自身に、自由保育に見られる新しい考え方と、それから子供にきちんと力をつけていくということとの兼ね合いの部分で、非常に今しんどさを抱えているというのが実状ではないかと思います。幼児期に子供につけたい力を明確にし、幼小(幼稚園と小学校)をスムーズにつなぐための方法を考えていけば、幼児教育に対するフォローアップになると考えます。

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(やはり親の変革を。就学前教育の県の指針を。すべての親に幼児教育を啓発する術として地区別懇談会・職場懇談会を。他罰主義の克服も大事。)
【委員】やはり、人間として子供をどのように育てていくのかということが一番大事ではないかと思う。そこまでの就学前教育というものをひとくるめにして考えていかないと、幼稚園教育はこうです、あるいは保育所教育はこうですとなるのは、おかしいのではないかと思う。幼稚園教育の県の指針をご提言いただいているが、私は就学前教育の県の指針というものを打ち出してもらいたいと思っています。
 具体的な例を申しますと、幼稚園でも保育園でも保護者の会とか母の会とか親の会とかがあるわけですが、そういった会に来られる人に対してはいろいろな啓発も可能だが、来られない人に対してはどうなのか。このあたりを考えたときに、私たちは、例えば同和教育に関しては地区別懇談会とか、あるいは職場懇談会を実施しているわけですが、そういう手法を取り入れていく。例えば、職場の中で幼児教育に関する必要な意識を啓発したり、お互いに話し合いをしてもらう。これは企業だけではなく、市役所や県庁等でも子供を持っている人たちがお互いに話し合いをしたり、講師に来ていただいて幼児教育の在り方をお話ししていただく。これを全県的に広めていくことを検討いただきたい。
 一番根本的に大事なのは、やはり親の変革です。まず親の変革をしていかなければならないと思います。先の委員の話にもあったように、確かに今は許容の時代であります。何でも許容する。それと同時に、もう一つは他罰主義の時代であるとも私は思っています。何でもかんでも人が悪い、他が悪い、自分は何も悪くない、こういう考え方が多い時代ですから、このあたりもきちっと押さえていくことが大事ではないかと思います。

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(預けやすいということが保護者の側の意向ではあるが、保育指針には「子供の最善の利益を優先する」という言葉があり、保育所現場は今苦慮している。)
【委員】ご指摘ありました保育所の保育指針の件ですが、実は平成元年に幼稚園教育要領が変わったと同時に保育所保育指針も変わりました。ですから先程申し上げた幼稚園の話は保育園にも共通しています。
 教師の揺らぎについて補足しますが、保育指針に子供の最善の利益を優先するという言葉があります。そのときに、要するに預けやすいということが今一つのモットーになっているわけですが、そういう預けやすくして欲しいという保護者の側の意向と、子供にとってどちらが利益になるのかということのこの兼ね合いの中で、保育所現場が今非常に苦慮しております。
 それからもう一つ感想を言いますと、先程親が子供を物としてとらえているのではないかというご指摘がありましたが、これはある種の人権感覚の問題になってくるわけです。ですから、一般的な人権の問題だけではなくて、世話はしないといけないが子供が自分の思う通りに必ずしもなるものではない、というところのいわば独自な人間だという極めて難しい人権感覚だが、そういうあたりも提起されていると思います。

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(地区別学習会というのは、非常に大事な方法。)
【委員】地区別学習会というのは非常に大事な方法だし、わりと思いつかなかった方法で、いいご提言ではないかと思います。それからあと小学校、中学校、高校、大学とずっと通しながら、一貫して何が欠けているのか。そうすると就学前教育に何が大事かということになるかと思います。そういう意味で、ずっとそれぞれの提言を通していただいて、その上で個別に論議してはどうですか。

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【会長】それでは、専門委員からの提言を最後まで通していきたいと思います。それでは、学力低下というところをお願いします。

(学習指導要領の最低基準は、教育の地方分権のためと、基礎・基本の徹底のため。落ちこぼしの指導は長期休業中に。)
【委員】まず、学習指導要領の解釈の問題ですが、標準から最低基準へと解釈が変わり、本年度の教育長会等でも文部省はさかんに最低基準だという言い方をしています。教育の地方分権ともかかわって最低基準という言葉が出てきたのではないかと思います。
 私は、やはり標準が最低基準であるべきと思うのは、標準という言葉の中にはある時期に学習しなければ、それをおくれてしまえばもう学習の機会がないんだという危機意識が存在しない。それで、いわゆる落ちこぼれが出てしまった。こういう歴史があると思う。そういう意味で、まず最低基準なるものをしっかり子供に身に付けさせ、基礎・基本の徹底が図れると思う。
 一番重要なのは、落ちこぼれの問題です。しかし、学校現場は確かに忙しい。そこまで手が回らないということがあるかと思うのだが、来年度から週休完全2日制になります。学校の先生方も今まで通り、夏季休業、冬季休業というのは先生方の研修の機会ではあると思うのですが、そういう機会に落ちこぼした生徒の指導を行うという考え方をしていくべきではないかと思う。そういう意味で、最低基準という言い方は、すべての子供に基礎・基本を大事にし、子供が自分が持っている可能性を発揮できる学習機会をつくっていく方向であると考えてはどうかと思っている。

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(危機は、優秀な人とそうでない人との間の格差が広がったこと。学力低下を防ぐには、「最低ラインの明確化とその徹底」、「自分にあった学校を選ぶ」、「悪しき平等主義の打破」、「習熟度別学習の実施」、「落第も許容する風土の醸成」、これらが必要。)
【委員】私は、昔のトップの5%ないし10%というのは全く学力低下していないと思う。その後に続く8割、あるいはそれ以上の人たちとの間の格差がどんどん広がっているというところに、一番大きな問題があると思う。私とは考えの違う方が当然おられるだろうと思いますが、私は今日本が危機であると言われている一つの大きな原因は、優秀な人とそうでない人との間の格差がどんどん広がりつつあることだと考えています。それでは、一体これをどうしたらいいのかというのは、先程もお話がありましたように、最低ラインを明確化してそれを徹底する、それを繰り返しやるというやり方が当然ある。
 また、別の視点で考えると、自分にあった学校を選ぶことによって学力低下を防げるのではないかと思う。今までは学校をかわるというのは、落ちこぼれだという妙な固定観念があるが、実は外国では平気でどんどん学校をかわっていく。そして、自分の子供に合った学校にやるというのが当たり前の話なのです。学校は自分の子供に合った場所にいくのは当然となれば、学力低下を防げることも当然あるでしょう。また、固定されたクラスの中でいじめが固定化されてしまうという状況もあるわけで、そういうところから解放されるということも、学力低下を防ぐ別な意味でのやり方ではないかと思う。
 学力低下の問題でもう一つ、私が一番気にかかるのは何かと申しますと、実は悪しき平等主義というものが学力低下を引き起こしている一番大きな原因ではないかと思う。と申しますのは、できる子もできない子も同じレベルでやらされれば、できる子は飽きてしまう。できない子はむしろみんなと一緒にやらなければならない、分からない、分からないからそんなものに興味がない。まさに、その悪平等的な、みんな一緒に行かなければというところに、一番大きな根っこがあるのではないかと思う。
 その次の問題にも入りますが、習熟度別教育というのが、これから必要な措置ではないかと提案します。人には速い、遅いがあります。ゆっくりでもじっくり考えてやるタイプの人もあります。そういう適性だとかあるいは志望別、興味別にクラスを分けて学習するのは当然と考えます。さらに言えば、落第するということもあっていいのではないか。長い目で見れば人生80年になったわけで、わずか1年やそこら、むしろそういう落第の効用ということも考えてもいいのではないか。まさに差別というものは、自分と違ったことをする人を差別するというところにあるわけだから、落第しようとしまいと、やはりそれはそれでいいんだと受け入れるような形をとるべきなのです。例えば大学生の40%が25歳以上を過ぎているのがアメリカの大学だというのは皆さんよくご存じの通りで、好きなことがあればまた仕事を辞めて大学に行っても少しもおかしくない。おかしくないどころか、みんなの尊敬を受けるというような形を、非常に厳しいグローバル化の荒波を負っている日本の中では、どんどん作り出していく必要があるのではないかと思う。

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(日本からの留学生は取ってもらえないと聞くが、日本全体の学力はどうか。)
【委員】今のお話、まったくおっしゃるとおりだと思います。アメリカの三大工科大学なんかは、もう日本の留学生はとらない。そのとらない理由というのは学力がついてこれないことが原因だと聞きます。日本全体に学力というのが落ちているかどうかという点についてもう一度お尋ねしたいと思います。

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(全体としては学力低下を起こしているのではないか。勉強が好きだと答える割合は日本は最低レベル。)
【委員】私は5%ないし10%の人たちはほとんど変わらないのは最初に申し上げた通りと思います。ただ、残りの8割で学力が落ちているところに大きな問題がある。事務局で準備していただきました討議資料にも、勉強が好きだと答えた割合はほんとうに最低レベルだというようなことが書いてございます。

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【会長】はい、ありがとうございます。只今の学力問題ですが、そもそも学力とは何ぞや、それすら一致した見解がないわけですが、これは学力低下という非常に重要な問題ですので、また後ほど議論をお願いします。それでは先に進みまして、学校の経営ということで専門委員にお願いします。

(学校経営のポイントは、学校の目標の明確化(特に数値目標が有効)、学校ぐるみで目標の共有化、目標達成の具体策やプロセスのディスクローズ。習熟度別学習で全科目最下位の子は心配。教育活動のサポートをPTA、NPO、OB・OGや地域の方にお願いしては。)
【委員】国立教育政策研究所高等教育研究部長からいろいろお話を伺ったのですが、イギリスですと労働党の教育政策で提言しているのを見ると、非常に具体的です。例えば、すべての3歳児に就学前教育の機会を保障する、これを2004年までにやる。それから初等教育については語学、音楽、体育の指導強化、85%の児童が英語、数学で合格水準に到達する、ちなみに、現在は72%。中等教育では、11歳から14歳について学力水準を向上させる。14歳から16歳は職業準備教育を充実するというように、非常に具体的な政策提言をしています。特におもしろいと思うのは、数字的な目標とその評価というのが非常にはっきり出ているというところが、日本と随分違うところです。
 アメリカのチャータースクールでの成功例もいろいろ拝見しますと、やはり1点目は学校の目標を明確にしていること。学校が自分の学校はこういう学校にしますという明確な目標を持っている。2点目に、生徒と先生と地域、それからPTAあるいはOB・OG会でその目標を共有していると。3点目に、この目標を達成するための具体策をきちんと作って校長がこれをみんなに提示して、生徒それから地域全部を巻き込んで取り組んでいると同時に、その達成プロセスを絶えずディスクローズしているということが大変印象的でした。
 いろいろ聞いてみると、目標というのは大変シンプルな目標で、このレベルに次はもっていく、あるいは今この部分がレベルが低いのでここを必ず改善しますというようなことをやっているわけです。もちろん、学力だけでなくてスポーツあるいは芸術についてもその目標を立てて取り組んでいるということを、もっともっと日本の学校の中にも取り入れれば変化していくのではないかという気がします。
 ただ、先程のお話の中で、習熟度別学習の問題が出ているわけですが、少し心配しているのは、レベルの低いところの生徒がさらに悪くなっている。習熟度別学習をやるときにこれがうまく機能すると、英語の成績が悪いけれども理科の成績のいい子はまた英語もよくなるという傾向があるのですが、習熟度をやった全科目で最下位になってしまうという子供は果たしてどうなるかと、心配しています。
 そこで、これらを全部先生にやれというのは大変難しいと思うので、習熟度とか何かをやるときに時間外にサポートをしていただくような民間の方のNPOを組織すればいいと思うのです。教員のOBの方とか、あるいは企業のOBの方で教えられる方がたくさんいらっしゃると思うので、そういう方のNPOを組成した上で習熟度別学習を取り入れていったらかなりうまくいくのかなと思っています。地域とかPTAとかOB会とかというのを、もっともっとかかわれるような仕組みをぜひ奈良県から発信していただきたいと思う。

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【会長】最後の部分になりましたが、県民から信頼される教師ということについて専門委員に提言いただきます。

(地域は、先生という仕事が機能するように先生の権威づけをすることも肝要。学校を密室にしないで教師の仕事をサポートするシステムづくりを。)
【委員】『学校崩壊』という本を書かれた河上先生たちと研究会をやりました。そのときに河上先生は、「先生を尊敬しなくてはいけないということを、地域や親がきちんと権威づけをやってくれていた」とおっしゃるのです。私はなるほどと思いました。そのことで、例えば自分が新米の教師であってもある程度の権威を持って教育を遂行することができた。ところが、現在の地域の中にはそういったものが全くなくなってしまったと。したがって、教師の権威もなく尊敬されていないところで、今いろいろ言われているようなことを教師が全部満たすことはまことに難しいということをおっしゃられたわけです。
 できるだけ学校をオープンにしていく、密室にしないということをもう少し工夫する必要があるのではないかと先程申し上げた。例えば、教師をサポートするシステムづくりをもっと工夫する必要があると思う。先程、補習のことを申し上げましたが、補習以外にも授業の支援をやる。先生方は非常に忙しいと聞いていますので、先生の事務をサポートするようなボランティアというかNPOもあっていいのではないかと思う。ですから、ともかく県を挙げて学校教育、あるいは幼稚園、保育園の教育をサポートするというような方向に奈良県がもっていけたならば、必ずやいい結果が生まれると思います。

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(教師が持たなければならないものは、教育に対する認識、指導力、子どもと向き合う情熱。先生も自己評価につながる評価は受けるべき。自分の実践力につながる研修を。採用試験では、教師の候補者の見極めをもっと丁寧に。)
【委員】県民から信頼される教師ということでの提言を追加したいと思います。先生たちに持っていただきたい力を出し合ってみたいと思います。教育懇談会自身の視点が「教育とは何か」と言われているのだが、そういうことについて、教師の方々に何らかの認識をきちっと欲しいと思う。社会と教育との関係を捉える力も欲しい。それから教育のやり方や方法で困ったときにも開拓できるんだとか、前例がなければ探すのだという意欲を持っていただきたい。それから教科の専門的な力はもちろんのこと、総合的な学習を指導する力を先生方にお持ちいただきたい。子供と向き合う力、それはカウンセリングマインドと言われたり、情熱と言われたりされるが、最近特にこの力が先生方に欲しい。それから、学級指導できる力。先生方にはこれらの力を持ち備えて欲しいと思う。これが信頼される教師像の一つ目です。
 それから二つ目に、先生方も評価されてよく、教師にとっても評価は必要であろうと思う。ただ、学校というのは集団で教育に当たっていくので、いわゆる単純に個人評価で競争原理だけ行うのではなく、教師自身の納得が得るとともに、自分の達成がどうであるかということを自己評価できる方法の開拓が要るだろうと思う。私大学教員ですが、最近は授業評価ということで自分の授業がどれぐらいの達成できたかを学生から評価を受けています。教員に熱意は感じたか、わかりやすかったか、自分は参加できたかというようなことをかなりシビアに聞いていくのですが、そういうことで自己評価の力をつけていくということを始めていますが、それを小学校、中学校に見合った形でやっていけないかと思う。
 次に教員研修についてですが、これは多様に開拓したいと思います。例えば、研修時間や研修日をとり易くし、それの使い方が評価につながっていってもいいと思う。それから、多様な研修の機会があるわけだが、建前ではなくて自分の実践に基づいて自分の教育力、実践力を振り返っていけるような体制を取りたいと思う。もちろん、それ以外にも企業研修のように非日常的な研修の機会もあっていいと思う。
 それから、教員採用の問題です。つまり、教師の候補者の見極めですね。受験者が多いので大変ですが、丁寧に見極めていただく。例えば模擬授業を導入するとか、あるいは面接であればそれを非常に丁寧にその人の意欲とか、あるいは教師になって実現したい夢が把握できるかどうかを懇切丁寧に面接で聞き出す。そのほか、例えばドイツなんかでやっているのだが、養成課程と連携して一つのテーマで何十枚ものきちんとしたものを書かせて、思考力や構成力なんかを見ていくとかいう工夫もあるかなというのが教員採用です。それから、不適格教員への対応、これは東京都やら大阪で今やっていますが、何をもって不適格とするかというようなこともかなり慎重に考えると、やはり指導力をシビアに見ていく必要があると思います。

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(共通テストを実施し結果を公表していく、これにより学校の教育水準の確認と次への目標の明確化が可能となる。)
【委員】教員の評価、あるいは学校の評価で数値目標をということを先程少し申し上げたのですが、イギリスやアメリカでも一般的にやっているように、できれば共通テストをやって、基本的な教科について結果を公表していくということも必要ではないかと思います。その中で、どこの学校に比べてどうのこうのということもありますが、自分の学校の教育水準の改善度を確認しながら、目標を持って取り組んでいくということも大変大事だと思うし、それを見て教員や校長の評価をできるのではないかとも思っています。

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【会長】以上で最後まで専門員からの提言が終わりましたので、意見交換に入ります。

(教師、校長、学校に権威が必要。その権威は教育委員会やPTAの力で回復を。教員異動をもっと増やすこと。)
【委員】教師の権威がないというお話がありましたが、まさにその通りだと思う。校長の権威もないですね。広島の校長先生が自殺されたあの時期に、校長の権威と職員会議の権威、どちらが優先するのかと教育長に対して質問したのだが、教育長はもちろん校長が学校での一番の権威であり、職員会議の決まった分を校長が覆すことができると答えられた。今、各小中学校、高校を含めてそれだけの権威を持って対応している校長が何校あるか。校長の質、あるいは教頭の質、指導の先生の質が低下しているのではないかと厳しく教育委員会を追及したことがある。
 国歌すら歌えない、また国旗が掲揚できない入学式、あるいは卒業式、こういう教え方をしておれば立派な子供はできないと思って教育委員会の姿勢を糾したわけです。そういう校長を、なぜ学校の校長として認めたのかと追及した。
 その反面、教師は大変びびってますね、怖がっていますね、子供を指導するのを。なぜかといえば、親、あるいはPTAからあまりにも厳しくするといろんな批判を受けるようです。私は厳しい先生ほどいいのではないかと思っています。そういった先生が教育しやすいように、まさに先生の権威を教育委員会やPTAで守っていくべきだとつくづく感じています。我々の時は、先生は偉いものであって、怖い人だと思っていて、悪いことする生徒は誰もいなかった。
 残念なのは、奈良県全体が教職員の異動が少ないということです。もっと教師も巡回させていただきたい。異動の少ないのはなぜかというと、一人の先生を異動するのに大変抵抗があるらしいです。やはり地教委、あるいは県教委がもっと権限を持って人材を回すべきであると思います。とにかく、先生の権威、あるいは校長を中心とする学校の権威を作って欲しいと思います。

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(休憩)


【会長】それでは続けさせていただきます。最初に企業の立場から発言をお願いします。

(将来社会人となっていく生徒たちに、自分で自分をどうつくるかを教えること。恵まれすぎた生活は人間を駄目にする。社会の中での競争を意識して目標設定が欲しい、即ち、予見能力が必要。重要なのは今からどうしていくべきかを自覚できる場を与えることで、教えることではない。)
【委員】学校を出ますのが平均的に22歳です。人生80年と言われていますから、残り60年近くの間、社会人として働いていくわけです。社会人としてのあり方というのは、自分で自分をどうつくるかということだから、これをきちっと学生に教えなければいけない、ということをお互いに認識しませんか。
 そのためには、よく言われることだが、きのうまでは自分でお金を払って教育を受けていた。今日からは企業から金をもらう。しかし、はっきり申し上げてあなた方は使い物にならんよ。社会の荒波の中にどんなふうにして伍していけるかといったときに、余りにも偏った知見しか持っていないよ。だから、たくさんの知見を身につけて、社会でどのような生き方をしていけるかは、自分の器量の問題だよ、ということを最初にきちっと申し上げるんです。それが分からない人は、悪いけれどもどうぞ去っていただいて結構ですよということも申します。これが企業なのです。
 先程より、このパンフレットを拝見しておりまして、学校の経営と、経営目標というのが書いてありますが、目標というのは要は人間として社会人として生きていかなければならないのですから、生きていくためにはやはり誰かと競争しているのです。だれと競争しているのかということを明確に自覚する必要があります。それは他から自覚させる問題ではなく、自分で自覚することなのです。自分の生き方として責任を持たないと駄目なのです。それが社会人としての当然あるべき姿なのです。
 発展途上国というのはたくさんありますが、みんなそのことに目覚めて、今の自分たちでは駄目なのだと、もっと自己研鑽したり自我意識を持ったりして社会に君臨していけるような自分になっていくのだということを、中国の奥地の人であろうが、タイの人であろうが、ベトナムの人であろうが、みんなそう言っています。何も最高の教育を受けてきた人ではないのです。小学校しか行っていない、中退している人でも、社会に生きていくためにはそうならなくてはいけないのだとみんな言っています。このことが果たして日本では今どうなっているのかな。
 私なりに振り返ってみると、日本はここ何年かの間、恵まれ過ぎたように思うのです。ちょっと言い過ぎかもしれないが、私は1年半以上いい生活が続いたら人間は駄目になると思っています。だから、いい生活をどうして奪い取るか。つまり、いい生活から意図的にいい生活でない生活を本人に経験していただけるようにするかということが私の戦略のように思っています。どうもそれが教育ということとも関連があるような気がして仕方ないのです。
 自分の子供のころを振り返ってみればよく分かるのですが、日本には何もないよ、資源がないよ。だから能力を身につけて、技術を身につけてという言葉がありました。能力を身につけて、一人立ちできるような人間になって社会に君臨しようじゃないですかと、よく言われたんですね。またそれが当たり前だったんですね。だから、小学校1年生か2年生のときに九九というのがありましたね。九九なんかやめてと思ったけれども、九九をやめていたら社会人になられへんよと先生から叱られて、ああそうか、社会人にな、なるほどなと、社会人になるためには九九が必要最小限やらなければなと。九九をやっている間に九九からいろいろなことが応用できるようになりましたね。それはもう皆さん方もよくご存じのことです。
 社会の中での競争を意識して、競争の中で目標設定が欲しい。その競争のために大学ではどうあるべきで、高校時代はどんな生き方をしたらいいのか、小学校・幼稚園時代はどうなのかということを考えれば、それは出てくるのではないかというふうに思うのです。それは、予見能力という言葉に相通ずると思うのです。ということは、将来の自分のあるべき姿というものを想像して、そういう人間になるためには今からどうしていったらいいのかということを、自分で考えられるような場を与えてあげるということが一番大事ということです。それは、決して周りが準備したりあるいは教えたりすることではなく、そういう場を提供するということが一番大事なのです。
 資料の中の提言で言っておられることには何も間違いはない。皆正しいことをおっしゃっておられる。ただ実行していくとなると、もっと共感を得られる言葉が必要だと思う。本人の共感を得られるような言葉を、さらに議論していくと、私は奈良県の教育のあり方というものに対して、自ずと答えが出てくるように思う。ぜひ、企業の一員としての言葉としてお知りおきいただきたいと思います。

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(魂に触れるというか、生きた教育の手だてや方法はないか。どうしても勉強させていい大学へという傾向になってしまう。社会全体で子供に関わっていくという方向で教育が見えてはこないか。)
【委員】魂に触れるというか、生きた教育、親にはまる、県民にはまる、躍動感みたいなものを感じさせる手だてや方法はないだろうかとかねてより思っているわけです。不景気になればなるほど、世の中はどうなるかわからないから、しっかり勉強させていい大学へやらなければという傾向になってしまうのが親の現実なのです。偏差値あるいはもう学力は崩壊しつつあるというようなことを提言しつつも、あるいは教育というのは生きるための一つの手段だ、というようなことがどうしても奈良県の中で落ちにくい環境にあるように思います。
 それと並行して、母親は自分の子供だけを見てしまう傾向にある。我々が育った世代は、今よりはもう少し横のラインで本音を言うお母さん同士の中で育ったように思います。というのは商店街の行き来の中で声をかけ合ったり、けがをしていたら消毒してあげようかと、家に帰るまでの間で何かみんなが声をかけ合い、社会が、地域が、近所のおっちゃん、おばちゃんたちが何か心の掛け合いとでもいうか、そのような中で育った気がします。このように社会全体で子供に関わっていくという方向で、何か教育が見えてくるのではないかというような気がしているのですが。

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(日本人は目標に対して、どうするかのチェックが甘い。)
【委員】先程、イギリスの教育は、数値目標を含めた目標を設定して行われるということでした。私は実際に子供たちの教育に直接携わったことはないが、例えば幼稚園や保育園に入ったとき等それぞれの課程できちんとした目標を持って、子供にこういうしつけをしよう、こんなことを教えよう、またそうするために親はどうあるべきか、先生方はどうあるべきか、地域はどうあるべきか。日本人は目標に対してどのように取り組んでいくかということのチェックができていないように思うのですが。

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(就学前のしつけの基準を明確にする。)
【委員】専門委員会でも小学校に上がる前の就学前の教育について大分議論したのですが、基本的には小学校に上がるに当たって身に付けておかなければならないしつけを、奈良県ではきっちりやればよいという意見が多かったと思います。就学前には少なくともこれだけのしつけはしましょうということで決めていけば、いいかなと思うのですが。

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(しつけの基準を提示しても、母親たちがその重要性を認識できない。問題はそれをどうするかだ。)
【委員】就学前のときにはこのようなしつけが必要なのではないかというような視点に立ったらいいとおっしゃるが、そのようなしつけを必要だというに認識を母親が持てないのです。だから、他人事に終わってしまうのです。確かにこれは大事だと提示します。ところが今、子育てをしている母親たちが、そんなしつけよりも早よ塾へやらなあかん、英語も覚えささなあかんとなる。だから、お手伝いをしたりしんどい労働をしたりすることがいずれ真の教育につながり、生活力につながるのだというようなことを母親たちに落とすためにはどうしたらいいのかという論議をしていただくと非常に深まると思います。

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(学級崩壊の原因の子供を別教育というのではなく、ソフトランディングで親がしつけを再認識できる道を。)
【委員】今のご意見はよく分かるのですが、この議論のスタートが、学級崩壊を初めとする諸問題をどうすればよいかというところからスタートしたと思うのです。私もいろいろな方に聞いてみたのですが、やはり先程の自由保育のあたりから起きているという認識で皆さん大体コンセンサスができつつある。そういう中でどうしたらよいのかという議論があったと思います。実は、教育改革国民会議でも大分議論されているのですが、学級崩壊を起こしている原因の子供は、もう別教育をして親に対してはっきり突きつけようと言っているのです。私は突きつけるのもよいけれども、もっとソフトランディングできる道もきちんと我々責任を持って作らなければいけないと思っています。ですから、先程申し上げたような就学前のしつけをはじめ、幼稚園や保育園でのしつけもできることはきちっとやろうではないかと考えているのです。親の教育はまた別の次元の話だと思います。

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【会長】懇談会の意見をある程度出して、こういうことをしたいのですが県民としていかがですかというような5,000人アンケートにしたいと思うので、できるだけ具体的なわかりやすい方法・施策に関わるご意見をお願いしたいと思います。

(親の啓発については、幼稚園の先生に意見を聞いてアンケート項目の設計を。)
【委員】私、ある市の教育委員であったとき、幼稚園に行きました。確かに幼稚園の先生たちは、子供さんたちを育てる前に母親の教育をしなければ駄目です、とおっしゃられるのです。聞いていて常識外だなと思われる話がたくさんあるわけです。だから、幼稚園の先生に幼稚園を運営していく上で親をどうしたらよいかのご意見を伺ってアンケート項目に取り入れればよいと思う。

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(教職課程の単位として子供会で働くという単位を設立するのも、良い教師を作る妙案。)
【委員】先日の全国子供会会長会議の席上で報告があったのですが、群馬の教育学部で教職課程の単位として子供会で働くという単位が設立されたそうです。これは地域の教育力の一助につながるだろうし、また親の考え方を新しい先生として認識できるだろうという目的のようです。今後、奈良県でもそういう方法が取れれば良い教師ができるのではないと感じています。何といっても、直接かかわる学校の先生の質というのは大きな問題だと思うのです。その中でそういう取組みはすごいなと思います。

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(親が学校批判や先生批判をする、これは子供には決して良い影響を与えない。)
【委員】いろんな立場の方々の発言が聞けるので、難しい問題も見えてきたと思うのだが、やはり根のところは子育て、家庭教育の部分だと思う。教育改革国民会議でも教育の原点は家庭であると、最初に押さえているわけです。その中で特に気になるのは、親たちが学校批判や先生批判をする。これは、子供が育っていく中では決して良い影響を与えるのではなく、家庭教育の問題として取り上げなければならない観点と思う。

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(最近の中学生の考える力や心の弱さは、しつけの不十分さ・物が豊かなところから。自由保育も、今手直し中。不登校の指導の中にも自由保育の名残りが残っている。これからは習熟度別学習を。就学前のしつけを大事にするアンケートを。)
【委員】最近の中学生の現状からお話します。考える力が非常に希薄になっているのが一つ目。特に創造性が大変弱い。失敗や挫折感に弱い。何かを積極的にやろうとする姿勢も見られない子供が増えている。これの原因は、様々な社会の変化、親御さんの3歳児までのしつけの不十分さ、それと物が豊かになり過ぎて欲しいものは親がすぐ買え与えてしまい我慢することをしない等にあると思う。
 それと、私の市のほうでも、この十何年前に自由保育ということに関わって、要領が出てきた段階で、小学校、中学校、幼稚園の園長さんも含めて、この件について論議したことがあります。今17歳、18歳になっている子供が、ちょうどこの要領が試行の段階で学習してきた子供なのです。昔は積み木遊びなら7、8人力を合わせて、その中でけんかもしながら遊びました。時間が来れば途中であっても終わりましょう、ということで片付ける。最後に不十分な片付けの仕方をしていればもう一度やらせる。また、チャイムが鳴れば必ず手を洗いましょう、ということで並ばせて、そして順番を待っていすにちゃんと座らせる。人の話や、先生のお話を聞くときにはやっぱりきちっとした姿勢で聞くのだと。
 ところが、この自由保育が始まってきた段階で、子供が積み木で遊んでいるのは多くても二、三人、大体は一人、自分のしたいように遊んでよろしいと。チャイムが鳴っても、もう少し遊びたければ遊んでよろしいですよと。あの4歳、5歳の年齢の中で、ほんとうにそのことが個性の伸長につながったのかどうかわからない。むしろ、自分のしたいことはするが、したくないことはしない、ということを子供たちに植え付けてきたのではないか。この自由保育に関わっては、先日も文部科学省で自由保育のねらいとしてはよかったが、非常に現場の中で浸透しにくかったとお話しされていました。私の市でも5年ほど前からは、やはり人の話を聞くときには聞く、ピアノに合わせて踊るときにはみんなで協力してやる。そういうことを再度見直していく必要があるのではないかというのが今の段階のようです。
 私、特に思うのですが、今の中学生は非常に心の面でもろいのです。だから、そういう意味では不登校の子供も全国的に13万人、カウンセラーの先生もそんなに学校に行きたくなければ、本人が行けるようになるまで待たれたらどうですかと。それに便乗して登校しない子供も出てきています。
 私は心の充実ということも含めて、少人数指導に期待します。奈良県の高等学校でも習熟度別学習ということで、やっておられる。先日ある高校の校長先生とお話しさせていただいた中で、今の2学級の生徒を少人数でいただいた1人の先生によって、3つの学級にして、子供に学級を選ばせて、子供が大変意欲的に取り組んでいるというお話もお聞きしました。できる子を伸ばし、遅れがちな子も伸ばすために、習熟度別の学習形態を取り入れて工夫していく必要があると思う。
 小学校へ入るまでに、ちゃんと先生の話は聞くことができる、椅子に座ることができる、順番に手を洗うことができる等のそういう基本的なことはきちっとしつけることを大事にしていくという内容を、アンケートしてもらえれば大変ありがたいと思います。

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【会長】  ありがとうございました。そのほかどなたかございませんか。

(今、日本に必要なのは、迫力と強さではないか。)
【委員】スチュワーデスは暴れている子供を物の見事に言葉でちゃんと座らせました。だから、子供が走り回るスピードよりも速いスピードでスチュワーデスは走った。子どもが何か言う前にここは公共の場なのだから、これとこれを守らないことには飛行機は落ちるよときちっと中国の子供に言った。それはやはりすごいことだなと思いました。そのすごさというのか強さというのが、今日本に必要なのではないでしょうか。だから、僕はアンケートというのは何も反対はないが、アンケートをやる前にここでこれだけ議論したんだから、この方向とこの方向だけはやるよということを決めてもいいのではないか。あと、アンケートとしてこれとこれをどうしますかということで載せればよいのではと思う。

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【会長】アンケートをそういう方向で作るという方法もありますね。

(幼稚園というのは基本的な生活習慣を集団生活を通して身につけていくところ。)
【委員】幼児教育のことですが、幼稚園というのは基本的な生活習慣を団体生活を通して身につけていくところだと思いますから、やはり、じっと座るとか、手を洗うとか、そういう基本的な生活習慣をまず幼稚園できちっと身に付けるような教育であって欲しいと思います。

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【委員】基本的生活習慣をなぜおうちで付けないのですか。

(しつけは家庭と園の双方で、効果が上がる。無関心で難しい子どもが低年齢化している。)
【委員】もちろん、おうちと幼稚園と両方でしつけます。だけど、家庭では自分の子供だけですが、初めて集団生活に入らせて、その集団の中でも共に生活習慣を付けていけば、なお定着すると思います。
  私たちの団体は小学校の1年生から高校生までを見ているのですが、今まで一番難しいのが中学だったのですが、今はそれが小学校6年生に降りてきて、6年生の子供もだんだん扱いにくくなっている。つまり、自分たちの気に入ったことはキャーと言ってするのだが、こちらから問いかけとか、しましょうということに対しては無関心の子が多いのです。どうしてそうなのかなと、今私たちでいつも話をしているところなのです。

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(他人の存在を意識しない人間がふえている。)
【委員】他人の存在を意識しない人間がふえているわけですね。自分だけ生きているのだと。明石でこの前、大変な事故があった。あれ、昔の人だったら同じような条件のところにあれだけの人が集まっても、あんな事故になっただろうかという声も聞きました。

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(譲り合ったり、助け合ったりということも教えないといけない。)
【委員】確かに我々はあのようなときになったら譲り合ったり、助け合ったり、あるいは規制し合ったりしただろうと思うのですが、今は前に進むことはするのだけれども、後ろに下がったり、譲ったりするということをしなくなったから大事故に結びついたという人がいるのでしょうね。そのようなことも自然のままに覚えるからと放置しないで教えないといけないのかと思うね。

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(小さな子は小さな子なりにちゃんと先生を評価をしている。子供から先生への通信簿で、分かってもらう。)
【委員】教員の評価ということに関して、私、以前新卒で公立中学校の英語教師を3年程やり、今は小2、小6、高1の3児の母親として、いろいろな先生を拝見してきました。自分も教員をやっているので分かる点もあります。子供と話してますと、子供は先生を実によく見ているのですね。小さな子は小さな子なりにちゃんと評価をしています。だから、それをすくい上げないのはもったいないのではのないかと思う。教員の評価を是非生徒、学生の評価という形でやっていただきたいと思います。
 私は、今大学生や一般企業の方に英語を教えていますが、必ず評価、アンケートという形で中間と最後に私の授業評価をしていただいています。ですから、最後に通知表をいただいたときに、自分ではこういうつもりでやったことが結構違ったふうに受け取られてしまっていたり、あるいは逆にどうかなと思ってやったことがうまくいったということがあったりします。授業を受けてくれた方に聞くのが一番だと思います。先生方にいい教師になっていただくためには、子供の意見を聞いていただきたいと思います。でも、子供に聞くというのは難しいと思うのだが、小さな子は小さな子なりの質問で聞いてみるのがよいと思う。教師というのは教科指導と生活指導、大きくこの2点だと思うので、それぞれの質問をしてみるのがよいでしょう。
 40人ぐらい子供がおりますと、先生がいつもよく見ている子もいればほとんど見ていない子もいるんですよね。うちの子の場合ですと、例えば4年生のときは生き生きとしていた子で、それは先生が本当によく見ていてくれたのです。次の5年生になれば、何だか投げやりに学校に行っている感じになりました。それで参観日に行ってみますと、先生が、一部のお子さんしか見ておられないというのが分かるのですね。だから、それを子供は敏感に感じとっていましたね。ただ、先生はご自分でそれを分かっておられない。やはり、長年やっておられて、どこからか外から言われなければ気付かない。相手である子供から聞いていただきたいなと思います。ですから、子供からの先生への通信簿を作っていただければと思います。

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(教員の評価は子供と校長がするもの。)
【委員】今の話に関連して、私現職の校長をしているときに、異動内示を示したところ、「私はこの学校で必要な教員です」とさかんに抗議してきた。「君がここで必要かどうかは子供と校長が判断する」と言ったことがありますね。

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【委員】それは正しいです。我々企業から見たら、そんなことは当たり前の話です。

(最終責任を持つ人間に決定権がある。これを明確にする。)
【委員】先程も話に出ていた校長の権威についてですが、私も学校にいたときに教員から「最終決定権は誰にあるのですか」と質問が出たとき、最終責任を持つ人間に決定権があるのだ、校長が最終責任を取るのだから校長に最終決定権があると突っぱねたことがあります。それで納得したが、それを言わないからややこしいのです。「職員会議で決まりました」、冗談じゃないというのです。職員会議で話し合っても決定するのは校長なのです。それをしない校長が増えているのですね。この辺も考えるべきだと思うのです。

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(「親がすべきこと」と「園・学校が取り組まなければならないこと」を整理する。)
【委員】幼稚園の先生方が「親の教育が先決だ」と、親の問題を指摘されるということですが、すべて家庭の問題だと言われてしまうと、それでは幼稚園でどうしていくかということが落ちてしまう。これは、学校についても一緒だと思う。親と学校とが責任の押しつけ合いをするのではなく、子供たちを目の前にして親に返す部分と、幼稚園や学校がどうするかという部分とをきちっと整理して取り組む必要がある。また、小学1年生の学級崩壊、即ち小1プロブレムを家庭の責任だけにしてしまえば、幼児教育の担当者の力量がつかなくなる。以上の観点で、親のすべきことと、園や学校がすべきことの整理をアンケートに反映させたいと思います。

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(保護者と学校、学校間の信頼感をどう作っていくか。これには、学校がどんな教育をしようとしているのかを保護者にきちっと知らせる。学校をオープンにして、教育に一緒に携わっていただく。)
【委員】今お話をお聞きしながら、試案を拝見しその通りだなとつくづく感じました。私は、信頼感をどう構築していくのかというのが教育の根本にあるような気がして仕方ないわけです。小学校の立場でいいますと、子供たちの様子を見て、どうして幼稚園で、あるいは家庭でもう少ししつけてくれないのかというふうに思います。幼稚園の先生も同じように思うでしょう。しかし逆に、小学校でもう少しちゃんとやってくれれば、幼稚園であれほどしつけたのにあんなふうになってと言われることもあるように思うし、それは中学校と小学校の関係でも同じではないかと思います。そういう関係である以上、私はなかなか教育というのは前へ進まないといつも思っており、こういうことも含めた教育についての信頼感を保護者も学校間もどう作っていくのかというのが問われていると考えています。
 そこで、その信頼感をまず保護者との関係から言いますと、学校がどんな教育をしようとしているのかということを保護者に、きちっと知らせていくことが信頼関係を構築する上で大事なことではないか思います。学校の教育方針や目標を説明する責任は今後ますます重要になってくると考え、私は私なりに校長として機会あるごとに説明しているつもりであります。
 先程も話が出たと思いますが、学校を開く、オープンにして保護者、親、あるいは地域の方々に来ていただき、ボランティアあるいは教育サポートとして活動していただく教育の在り方を探っていく必要があるのではないかと常々思っています。学校を開くということについて、6月8日のあの池田小学校での事件があって、少し我々の中でも腰が引けたりするわけですが、私は自信を持って我々は地域の方々や保護者に学校を見ていただく、そして提言をいただくことが必要と考えています。
 具体的に一、二お話いたしますと、この夏休みの期間中に、私は地域の自治会長、民生委員、育友会の過去からの会長方々、そして現在の育友会の本部役員をお迎えして、私以下学年主任全員が出て学校の今年1年の教育の中身や現在の取組状況を説明し、ご意見を伺って2学期に備えようと考えています。その他に、保護者に毎週1回ぐらい千字程度で校長からの手紙というものを書いて、私の教育への思い、学校の教育の内容、子供たちの動き、行事等を伝えています。このような形で、学校を知っていただく、あるいは来ていただいた方々にはそれこそ心から歓迎して子供たちの教育に一緒に携わっていただくという姿勢を続けていくことが、結局は信頼関係を構築することになるのではないかと思っています。
 少し気になることが一つだけあります。最終的に最低ラインに到達するまで繰り返す、そういうシステム作りとしての教員の頑張りも絶対に必要だと考えてます。小学校1、2年生が基礎の徹底、それから高学年はクラス担任制の打破というご意見については、小学校は6年間通して、基礎・基本の徹底を続けていくことが大事ではないかと思っています。小学校高学年でクラス担任制の打破という提言が試案にありますが、教科によっては高学年に限定しないで低学年でも可能だと思います。

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(平素からアドバイスを積み重ねることも校長のリーダーシップであり、信頼感の構築。生徒諸君のニーズに合った学校づくりを。スクラップ・アンド・ビルドの発想を大事に。しつけは、事あるごとにきちんとかくあるべしと指導を。)
【委員】結局は校長と生徒、地域の方々、親御さん、生徒とどう信頼感を構築していくかということが教育の詰まるところになってくるのではないかと思います。先程、話がありました職員会議のことであっても具体的にもし9割以上の職員が反対している話はなかなか苦しさがあります。ですから、平素からそういうことを当然察知しますので、アドバイスを積み重ね望ましい方向に向けていくというのも校長のリーダーシップではないかと思います。
 高等学校という視点での話ですが、生徒が行きたくなる高等学校というのはどんな学校なのだろうかと。まさしく進学を目指している学校の一部については、生徒の目的意識が随分はっきりしているのですが、多くの生徒諸君は何とはなしに高等学校に来ているというのが実情です。文化・体育・芸術等のクラブ活動に情熱の燃やせる人は随分幸せです。ですから、何かに集中できることが持てる、そういう学校づくりをしなければならないと思います。それこそ、生徒諸君のニーズに合った学校づくりをしていかなければならないと思います。つまり、よくないところはどんどんスクラップし、よいものはどんどんビルドしていくという発想は絶対大事にしなければと思っています。
 最後になりますけれども、物が豊かになってくるとほんとうに生徒の気持ちというのは変わってくるのですね。仮にボール一つでも自分の買ったボールであれば非常に大切にするが、クラブで買ったボールであれば草むらに入ってしまえば拾いに行かないという傾向があります。例えば、体育の授業が終わるときに、担当教員が「だれだれ君、後始末頼むね」とおっしゃると、きちっと終わります。ところが、「はい、これにて終了」となれば、ボールはグラウンドにころがったままで帰っていくことになります。この辺でしつけができていくかどうかが分かれます。ですから、事あるごとにきちんとかくあるべしということをしっかりと指導していくことが、今、大切なことと思います。

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(学校開放とは、学校はもっと胸を開くということで施設の開放とは別。)
【委員】大阪の池田小学校に関連して学校を開くという話ですが、世間が学校を開けと言っているのは胸を開けということであって、施設管理とは別の話なのです。それを新聞論調などでも混同して議論されているわけですが、学校はもっと胸を開くべきだと言われているわけで、施設の開放とは別の話なのです。その辺をちょっと明確にしておく必要があると思うので補足しておきます。

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【会長】それでは予定の時間がきましたので、第5回懇談会を終わります。長い間ありがとうございました。



〔文責は奈良県教育委員会事務局〕

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