第7回奈良県教育懇談会討議の概要

◇日時   平成13年10月22日 13:30〜16:00
◇場所   奈良市法蓮町「春日野荘」(天平の間)
◇発言のポイント
T 意見交換

※議事資料


教育懇談会トップページへ


◇議事概要

T 意見交換

【会長】只今から懇談会の討議に入りたいと思います。それでは、次第に従い討議を進めさせてもらいます。最初に、9月17日に出されました県立高校将来構想審議会の答申の概要につきまして、県立学校企画調整室より説明をお願いします。

【県立学校企画調整室】(「県立学校将来構想答申(本文)」及び「今後の県立高校の在り方について(概要)」の冊子(以下掲載のホームページ参照)により、答申の特徴を説明。)
※県立学校将来構想答申(全文)のホームページへ
※今後の県立高校の在り方について(概要)のホームページへ
【会長】それでは、只今ご説明いただいた答申をもとに、高校教育と職業教育について討論をお願いします。

(2006年度問題についての考察はどうか。)
【委員】中学・高校の教科内容が削減されたゆとりある教育という視点で新学習指導要領が策定され、2006年度問題という形で報道されているようですが、この問題について構想の中ではどのように、また具体的な運用等々についての考察等は、触れられていないのでしょうか。
トップへ
(高校教育としての基礎・基本を徹底して充実していくことが第一。)
【県立学校企画調整室】概要版の一番下の部分に、今後の県立高校の目指すべき方向の視点が書かれております。その中で「高校教育における基礎・基本の一層の充実」が挙がっています。高校教育を受けて、そしてそれを十分に自分のものとしていくために、高校教育としての基礎・基本をきちんと身につけさせることを第一と考えるべきではないかと議論もしていただき、基礎・基本を徹底して充実していこうということが大前提になると考えています。
トップへ
(大学における学力低下をどうクリアするか。)
【委員】先程お尋ねした2006年度問題というのは、新学習指導要領での世代が入学するのが2006年度ということで、いわゆる大学における学力低下を危惧するという議論なのですが、この問題についてどうクリアするかという意味での触れ方というのはどうなのでしょうか。
トップへ
(自分の学習ニーズに応じて高校を選べるシステムなので、興味・関心や意欲が高まり、学力の充実は図れる。)
【県立学校企画調整室】具体的に2006年度問題ということまで踏み込んでは書かれていませんが、今回のこの答申の柱が、従来のように縦軸の普通科とか職業学科あるいは専門学科というような括りではなくて、それぞれの子どもたちが自分の学習ニーズに応じて高校を選べるシステムとしているので、自分の学習に対する興味・関心や意欲が高まり、学力の充実を図っていけるのではないかと考えています。
トップへ
(高校時代までは幅広く学ぶ機会を与えるというのが大事で、絞り込んでいくのは大学からでいいのではないか。)
【委員】生徒の学習ニーズに応じて分野をわかつということなのですが、結論的に申しまして、私は高校時代ではまだ早過ぎるのではないかと思います。つまり、高校時代は小学校、中学校に引き続き、あらゆる分野についての基本的、基礎的な知識とそれについて具体的に考える力、すなわち教養を養う時期だと思います。
 というのは、私の法律関係の仕事においても様々な事件が目の前に現れます。例えば原子力の問題であるとか、医療過誤の問題であるとか。このときに、やおらこれらの勉強を始めなければならないのです。事件が来たときにチャレンジする力やパワーはどこから出てくるかというと、興味を持てるかどうかなのです。時には、食いついても絶対駄目だということもあり、仕事ができなくなるのですね。そのときに関心や興味を持ってチャレンジできるというパワーは、高校時代までの幅広いあらゆる分野の勉強なのです。基礎的な知識、これによって好奇心の芽が植え付けられているわけです。これが社会人になったときに、具体的な力となってあらわれてくるのではないかと思います。この意味で、絞らずに幅広く学ぶ機会を与えるというのが高校時代までは大事で、絞り込んでいくのは大学からでいいのではないかと思います。
トップへ
(一点集中主義によって特定の学習に意欲を持つことから、他のいろいろな科目に対する学習の意欲へと広がることもある。)
【県立学校企画調整室】基本的には只今おっしゃっていただいた通りだと思います。ただ、現在、97%の生徒が高校へ進学する中にあって、広くあらゆることに対しては学習意欲をなかなか持たせにくいという状況があります。そこで、一点集中主義によって、生徒が本当に関心あることに努力をしてその学習に意欲を持つことが、他のいろいろな科目に対する学習の意欲へと広がりを見せてくれることもあるのではないかと考えております。従って、本当に自分のやりたいことがまず見つかり、さらに大学へ行って高度な勉強をしたいというときには、それに応えられるシステムをどの学校も持つべきだという観点で提言はまとめられています。 
トップへ
(日本の若者は欧米に比べ自分の進む方向を考えておらず、高校生が自分で自分の道を見つけていける教育が必要だ。)
【委員】私は某農業高校の200名程の3年生の生徒に、企業の立場での進路指導の講演をこの4月にさせてもらいました。その折に、「自分で卒業後の進路の方向を決めている人は手を挙げてみなさい」と聞いたところ、3人ぐらいしか手を挙げなかったのです。このように、今の高校生は本当に自分で自分の行く方向をまだ考えられないのかと思いました。私がスポーツを通じてお会いするヨーロッパやアメリカ等の人たちとお話をしていますと、それぞれ自分は将来このような仕事をしたいと決めている人がものすごく多いです。従いまして、将来構想の答申の中でも示されているように、高校生が自分で自分の道を見つけていける教育をしていかなければいけないと思います。 
トップへ

(高校での職業訓練教育が不徹底、講義の基本的なところが理解できない学生を入学させる大学の無責任さ、やるべきことを中途半端に終わっているのではないか。)
【委員】大変多面的に議論して答申をまとめられ、感心しながら拝見しています。先日、ある商業高校から頼まれ、「3年生に講義をしてくれ」と言われて行ってまいりました。その時に、商業高校でも進学する人たちが非常に増えていることと、卒業してもフリーターが非常に多いということをお聞きして本当に驚きました。これは、職業訓練というのが中途半端になってしまっている結果ではないのかと少し心配になっています。むしろ商業高校であれば、簿記なり、国際ビジネスなり、そういう本当の専門家をきちんと育てるという視点がもっとあっていいのではないかと思います。 
 それから、私が教えている大学の委員会でも、少し苦言を呈してきたのですが、一芸入学というのが最近増えていて、勉強はできないけれどスポーツ等ができるということでどんどん入ってきているのです。私のところにも時々そういう学生が質問に来るのですが、要するに学力がないのです。一芸に秀でているというのはそれでいいのであって、入学させるのであれば学生が一定レベルに達するまでは基礎的な教育は徹底的にやるべきで、そういう場をきちんと与えて、講義が聞けるようなレベルにまでもっていかないと無責任ではないかと申し上げたのです。とにかくやるべきことを、中途半端に終わってはいけないのではないかと感じています。
トップへ

(教師は、自分の教科がきっちり教えられて初めて一人前。それには、インテリジェンス(知性)よりも、とりあえず、スキル(教える技術)が必要。「何を言っているかわからないわ、この先生」という授業がなくなるような研修を。)
【委員】私は高校生の子どもを持つ母親の立場で少し話をさせてもらいます。うちの子が高校に入学して一、二カ月たったころ、「○○高校といっても、先生みんな教えるのが上手なわけじゃないのね」とぽつんと言ったのです。「えーっ、どういうこと」と聞きますと、やはり一言で言うと、分かりやすい授業と先生が何を言っているのか全く分からない授業とがあると言うのですね。ただ、○○高校には中学校では勉強のできた子たちが来るので分からない授業でも、自分で勉強して何とかついていっているという状況らしいのです。私は英語が専門ですので、「じゃ、英語の先生は」と聞きますと、リーダーの先生は読んで訳す、読んで訳すという教授法で、25年前に私がアメリカの大学に行きましたときに、一番悪い教授法が訳読法だと習いました。それがいまだに○○高校でされているのかと思いました。よく予備校等ではカリスマ先生なんていう話を聞きますが、別に公立高校にカリスマ先生は必要ないと思うのですが、やはり最低限分かる授業ができるための基本的な資質が必要ではないかと思います。
 将来構想の答申の「ニーズを踏まえた高校の枠組み」を読みまして、本当にすばらしいなと思います。ただ、これを具体化していく上での教師の資質といいますか、器量が必要だと思います。これは、インテリジェンス、知性ではなくて、スキル、教える技術だ思います。知性では読んで訳すだけの授業をおやりになっておられる先生も高いのだと思うのですが、スキルがないのだと思うのです。やはり、教師というのは生徒指導もありますけれども、自分の教科がきっちり教えられて初めて一人前だと思いますので、「何を言っているかわからないわ、この先生」という授業がなくなるような研修をしていただきたいと思います。
 この答申の「教員に関すること」という項目の中にも、「教育委員会が計画的に行ってきた研修の内容をさらに充実する」とありますので、教育委員会からも分かる授業というのがどういうものなのかという研修をもっとしていただけるようにお願いします。ただ、私も教師をやっているので分かるのですが、やはり教える教師というのは、上からの研修だけではなくて、教師同士の研修の場がより有効だと思います。例えば、近隣の学校の先生方が教科毎に自主的に集まって、日常の授業をやっていくレベルで話し合えることが、結局は子どもたちに分かる授業を展開できることになるのではないかと思います。とにかく、講義調で一方的にしゃべってしまうというのではなくて、どうしたら子どもの興味を引き出せるかという研修の場の設定をお願いしたいと思います。
トップへ
(授業研究等、スキルを高めることもやっているのが実情。)
【学校教育課】教員の研修につきましては、一つは、教育研究所のほうで計画的にやっているのと、それから教科等研究会といいまして、英語でしたら英語教育研究会というのを作り、そこでは実際に授業をやっての研究発表とか、あるいは自分たちが研究したことを発表したり、あるいは冊子にしたり等々で自分たちのスキルが高まることもやっております。また、校内での研修、授業研究をやって、校内の先生方でお互いに批評したり、あるいは討議したりということをやっているのが実情です。
トップへ
(教育研究所のほうでも、自主的な研修の場を今年度から設定。)
【教育研究所】教育研究所のほうでは先程の教員の自主的な意欲に応えるために、今年度から月曜から金曜までのトワイライト研修、土曜日昼からのウイークエンド研修といった形で、全く自主的に教員が集まって研修していただく場を今年度から設定しております。コンピューター関係のことや小学校の先生の英語の英会話の学習等いろいろな内容となっています。今のところ定数を超える申し込みがあるという状況です。
トップへ
(将来構想の高校は、今あるものを特性化していくのか、それとも新しいものを創造していくのか。)
【委員】大変基本的なことなのですが、少しこの答申についてお教えいただきたいと思います。将来構想の高校は、今ある高校とは違う新たなる高校あるいは学科・コースを作ろうとされているのか、それとも今ある高校がそれぞれの判断で、例えばスペシャリストを目指す高校を目指す等の意気込みで特性に応じてやっていくという意味なのか、どちらでしょうか。
トップへ
(社会のニーズに応え切れなくなっているものは新しいものを、従来の考え方で対応していける部分についてはこれまでのものを発展。)
【県立学校企画調整室】今あるものか、あるいは新しいものを創造していくのかというご質問でありますが、職業教育あるいは専門教育ということがやはり今日の社会の変化の中で、そのニーズに応え切れなくなっているのではないかというところでは、やはり新しいものをつくっていく必要があると考えています。そして従来の考え方で対応していける部分については、当然その部分を今までの成果を踏まえて発展させながら、これからの教育をつくっていこうという方向で考えていただいたものと理解しております。
トップへ
【会長】それでは、高校教育、職業教育について他にはご意見がないようですので、次の大学教育、生涯学習についての意見交換をお願いしたいと思います。それでは、大学関係の委員にまずご意見をお伺いしたいと思います。

(大学の一番の問題点は社会のニーズと合わないこと。社会的な経験を積んだ方々を教員として招聘する。生涯教育との関連から講義を公開する。切磋琢磨の中での厳しさが必要。)
【委員】今、大学の一番の問題点は、まさに社会のニーズと合わないことが根本的な問題ではないかと思います。それでは、なぜ合わないのかを単純明快に言ってしまえば、大学の自治に名を借りてすべてが動かない。要するにすべての教員が拒否権を持っていて、何か新しいものを作り出そうとしても、全会一致でなければ前に進まないという体質が大学の改革を遅らせているのではないかと思います。
 大学教育に向けて、この懇談会が一体どういうリコメンデーションを出し得るかが問題になると思いますが、私は全部に共通した問題としては、生涯教育との関連からすればできるだけ講義を公開するという方向にもっていくべきではないかと思います。
 それから、大学の自治とも関連するんですのですが、外国人も含めて社会的な経験を積んだ方々をできるだけ多く教員として招聘していくことが、まさにこれから開かれた大学でありかつ競争に耐え得る大学になっていくのではないかと思います。
 また、大学教育の方向は、結局企業が何を求めているのかということと密接に連動しているのではないでしょうか。私自身の考えを申しますと、大学はただ単に与えるというだけの講義の形よりも、授業の半分くらいをゼミナール形式にし、非常に少人数の中で切磋琢磨するというのが本当の意味での大学教育につながるのではないかと考えています。私の見た外国の大学では、1学年入った400人の方々が2学年に入るときにもう250人に減ってしまうということもあります。私の考えでは、入るのは易しくして出るのは難しいという厳しさがあってこそ、大学という勉学の場所としては相応しく、決してモラトリアムの場所ではないのだという認識が日本には必要なように思います。そうでなければ競争力のある大学を作ることはできないと考えております。
トップへ

(講義の中身と社会や学生の求めているものがずれている。大学間や学部間の壁が非常に高い。高度に専門的な高等教育をする設備が日本では貧弱である。これらが問題点。)
【委員】最初に、先だって上智大学の学長のウィリアム・カリー先生に日本と海外の大学との比較をお聞きしたのでご紹介をしておきます。
 1つは、高度専門家養成の大学院が日本にはない。2つ目が大学院生への経済支援がない。3点目は、転職者の再教育が日本は少ない。4点目は、教養であるところのリベラルアーツの教育が日本は十分でない。5番目は、創造性を育てる訓練が少ない。6番目は、最近でこそ増えてはいるが、インターンシップが少ない。7番目が教員のリクルーティング。外国では、世界中から優秀な先生を連れてくるという努力をしておられます。8番目が学生の授業評価。外国の場合は、学生が授業評価をやっていると。9番目が学位取得が日本は易し過ぎる。10番目は、入学者選抜のあり方が向こうは比較的バラエティーに富んでいる。11番目は、社会問題、政治と学生との関わり合いの問題。12番目が個々の学生への指導。外国の場合、個々の指導が非常に丁寧であるが、日本はマス教育になっている。
 確かにその通りだと思います。私が感じていますのは、先の委員も言われましたが、自分も大学でもう8年間教鞭を執り学生と話をしていて、講義の中身と社会あるいは学生の求めているものが非常にずれているのではないかと思います。従って、よくできる学生は本当に欲しいものを大学の外の塾へ、例えば法律をもっと勉強したければLECへ行っているなど、甚だおかしなことではないかと私は思います。
 それから、もう一つ大きい今の大学の問題は、幾つかの大学は既に壁を破っていますけれども、大学同士の壁、または学部間の壁が非常に高くて、他の大学や他の学部の授業をなかなか聴講できない。私のいたドイツなんかは、いろいろな大学に行って、いろいろな先生について学ぶことができるわけです。日本も、私が関わっている阪大の大学院は神戸大学と講義の交換をし始めておりますが、もっともっとそういうのが必要だと思います。特に、例えば先の委員が先程おっしゃられましたが、法律を学ぶ者にとっても、例えばバイオの新しい技術とか、そういったものをもっと勉強しないと仕事ができないという時代になっていますので、全く違う学部のことも聞けるような制度にしていくということが必要だと思っています。
 それから、カリー先生も言っておられましたが、高度に専門的な高等教育をする設備、例えば、ロースクールやビジネススクール等とか世界のトップレベルを目指したものが、日本では相対的ににはまだまだ貧弱であると。その視点に立つならば、奈良県では世界一流のものが幾つかの点であると思いますから、そういったところから突破口にして、非常にハイレベルのものを教えるというところに焦点を当てたら私は良いものができるのではないかと思います。
トップへ

(青年期のモラトリアムや大学に地域からどういう期待を向けるかが課題。大学は今、民間の競争原理や外部評価の導入等を取り入れ、大きく改革の方向で動いている。)
【委員】先程の高等学校とも少し重なるのですが、青年がある意味でモラトリアムになっているということを一つの大きな青年教育の課題として考えたいです。それから、大学に地域がどういう期待を向けていくかということも大きな課題としてあるように思います。
 それで、インフォメーションも兼ねてですが、簡単に3つ申し上げます。一点目は、大学は今、全国的に改革の方向で動いています。特に国立はその動きが激しいです。それは、大きく変えるために文部科学省から6月に3つの原則が出されました。1つは、国立大学の数が今の99のそのままではなくて、大胆に統合再編していきたい。2つ目は、民間の競争的な発想等も大学経営では取り入れてもらいたい。3つ目が外部評価とか、第三者評価、これは懇談会からは義務教育の学校でもと提言で出す予定ですが、大いにこれを大学で取り入れていきたいと。
 二点目に、そういうことを受けながら、大学改革の共通した方向というのがあるように思います。例えば、大学できちっと専門基礎とか教養教育とかをしていこうという方向です。それから、社会が変わってきていますから、国際的なことにしろ、先程のバイオにしろ、新しい課題に対応できる教育体制を組んでいこうという方向もあります。次に、少子化との関係があるのですが、若者だけではなくて、社会人の方も対象にしていこうという方向もあります。学部では教養的な教育をして、専門的なものは大学院でしていこうという方向です。それから、地域ともっと連携していこうという方向です。これは別に本省が言っているわけではないのですが、全国の大学が共通した動きをしています。教員養成系の学部とか大学をもう少し規模を大きくして教師教育を充実したいということでこれも再編統合するという方向です。以上が大体の大きな傾向だと思います。
 三点目に、そういう状況の中で、奈良県としてどう考えていくかが、今確かに必要なことだと思いますので、大学等にどういう期待があるかという辺りを少し意見交換していただけると大変考え易いと思います。
トップへ

(若者が自分の人生を自分で考えるという立脚点が弱く未熟化している。だから、今、大学のアドミッションポリシーを高らかに掲げることが必要。ファカルティ・ディベロプメントを進めるうえで、自己点検や第三者評価は大変重要なこと。)
【委員】私も時代の流れとともに学生と先生方を見させていただいております。大学がエリート大学から大衆大学へ変わったというのは大変に大きなことです。親のニーズはとにかく大卒であって欲しいと未だに思っているだけで、中身も何もありません。ただひたすら幸福の切符と思っての小さいときからの塾通いというのはどのように美しいことを言おうとあまり変わっていません。
 私自身は、思春期の精神科医ですから、ずっと35年間、思春期の子ばかり見てきましたが、先生方おっしゃいましたモラトリアムというよりも、まさに未熟化しています。自分の人生を自分で考えるという立脚点がこんなに弱いというのはやはり否定しようがない。「将来何になりたいか」と聞いて、大抵の国では20人のうち、まあ、夢も含めてほとんどの子は答えますが、日本人は20人に1人ぐらいしか答えられないと誰かがこの前調査しました。大学に来るのも、来てから将来を考えて、その結果進路変更をすぐやります。
 このように大学生が非常に未熟ではあるが、子どもたちのまず能力的なものや人間的な土壌を耕していくというようなことも含めた大学の使命というのは本当に何だろうと考えさせられます。その中で何が言えるかといいますと、1つは、大学のアドミッションポリシーみたいなものを高らかにお出しになることです。うちはこういう学生が欲しいのだと。そして、こういう学生が来たらこういう出口があるよ、と入口と出口を示すことです。出口のほうは実業界とつながりながらのインターンシップや企業からも講師にどんどん来てもらったりしている等のアドミッションポリシーを持ちながら、どういう学生が欲しいかということをやはり高らかに言うことだと思います。今はまだ偏差値で考えてしまうという潮流ではあるかもしれないが、こういう刺激を親や子にも与えながら、幸福の切符は必ずしも偏差値による順位ではないよと問いかけることが、大学の新しい努力かなと思います。
 それから、やはり教員の質の問題が高校の話にもありましたが、それは自己点検・自己評価とか外からの評価・第三者評価とか大変重要なことです。それを今、大学側ではファカルティ・ディベロプメントという言葉を使いながら、教員も職員も大学全体が新しい社会の潮流の中で本質的に自らが教授法や学生とのつながり等をどう検討するかという時期を迎えています。 
トップへ

【会長】大学にお勤めの委員の方々からいろいろご意見をいただきましたが、何かご質問等ありましたらお願いします。

(子どもが大人になっていく過程でどのような時期に何を子どもたちに悟らせ、そして習得させるかという基本的な方針や多様な教育の在り方の議論が必要。)
【委員】大学に通う息子の母親という立場で発言させてもらいます。息子は今バイオの勉強をしているのですが、大学入学当時は専門分野の先生方との接点を持てて非常に気持ちをわくわくさせていたのですが、実際下宿による学生生活をしてみると衣食住の生活が非常に大変なのだといいます。今は3年生になり、大学生活にも慣れてきましたが、1・2年生の時はバイオの勉強よりも先輩や仲間との生活とか関係の中から教えられたことが多かったようです。今は、1年生、2年生の下級生が「先輩、先輩」と言ってくるので、面倒をかけてここまで3年生になったのだから、自分も面倒を見なければとバイトもしているようです。そのような中で、最近は不安から非常に安堵感といいますか、ひょっとして世の中の縮図を体験しているのだと思うようになりました。
 この奈良県の教育懇談会の中で、幼・小・中・高・大を通しての教育とはどうあるべきかという話を皆さんと一緒に学ばせていただいているのですが、私は、自分のこのような子育て経験から、子どもが大人になっていく過程でどのような時期に何を子どもたちに悟らせ、そして習得させるかという基本的な方針とともに、多様な教育の在り方の議論を重ねていかなければならないのではないかと思います。
トップへ
(教育実践の理論的な裏付けをするのと、教員研修に大学の門戸開放を。)
【委員】私は中学、高校の教員をした経験から大学へのお願いを2つできたらと思います。1つは、県の教育委員会あるいは教育センターでも仕事をしたことがあるのですが、教育研究あるいは教育実践で行き詰まってしまうことがあるのです。例えば、絶対評価とは何かというような研修は最終的には学問的な体系に裏づけられた理論というものが必要なのです。ですから、今は教育研究所になったので、そういう評価であるとか、教育心理とか、教育原理とかの部門も置かれるのではないかという期待もしているのですが、そういうときには大学の先生に手を貸していただければ、指導にも裏付けができ非常に有り難いと思います。
 それから、もう一つは、教員をしておりましたときに、奈良女子大の附属中・高におりました。週1回の研究日があって、絶えず大学の先生の研究室を訪ねた。大学の研究室の雰囲気は非常にアカデミックで好きでした。そして、テーマをもらって研究をしても、やはり仮説に基づいた実験をやらなければいけないというご指導を受けたりもし、中・高での現場では得られないものがあります。だから、もっと教員の研修にも大学が門戸を開いていただいたら、中学、高校の教育にも大きなプラスになるのではないかという感じをしています。
トップへ

(「教育は産婆術」の如く、子どもが自らの力で切り開いていくときのそばづえ役が教育。大学教官も、もっと教育術にたけるべき。)
【委員】先程、クラスの人数を半分にしてゼミ形式で切磋琢磨をというお話がありましたが、私も全く同感です。ソクラテスが「教育は産婆術である」と言っています。つまり、上から教えを注ぎ込むというよりは、紆余曲折しながらも自らの力で切り開いていくときの、いわゆるそばづえ役をするのが教育だとソクラテスがいってるわけです。今の日本の大学の形態を見てみますと、先程出ましたように、マスによる講義、内容もいわゆる抽象事象を扱っている。特に今、学力の低下とか、大衆化とかいう中で見ますと、このような抽象事象をマスの講義形態では、ついていくのも大変であり興味も抱かせない。そういう意味で、今、産婆術と申し上げましたが、もっと具体的なケース研究のような形の、ゼミ形式による教育、これが、いわゆる社会のニーズにも応える実力をつけていくのではないかと思います。別に即戦力とまでは言いませんが、いわゆる具体的に案件が出てきたときに、具体的に対応する力もつけていかなければならないのではないかと思います。
 そのことで少し気になるのは、例えばアメリカなどの場合には、教官がものすごく教育術にたけていると聞きます。学生のアンケートとか評価によって、いつその地位から引きずりおろされるかもわからないそうです。そういう中での教官生活ということで、教育術にたけたシステムがあると聞いています。ところが、日本の大学教育の教官を少し見てみますと、まず研究あり、自分自身の研究あり、片手間に教育を行う。このパターンが、ケース研究というような教育形態を踏めずに、いわゆる抽象事象を扱うマスの講義形態というものにつながってしまっているのではないかという思いがします。だから、大学の教官のサイドとしても、研究はもちろん大事なことなのですが、もう一つ教育術にたけるということも見直されてはどうかという思いがします。 
トップへ
(奈良のもつ魅力や独自性を教育内容に盛り込むことが大事。)
【委員】私も数年前まで大学で美術教育に携わっていた経験から感想を申し上げます。物づくりの立場から全国を見れば、やはり京都、含めて奈良や近畿圏にも随分魅力を感じるわけです。そして一方では、東京にも魅力は感じています。それは土地柄に対する魅力、それからそこにそれなりの作家群が集められているということが、地方から見て随分憧れであるようです。先日も高知県へ行ったときに、陶器に携わっておられる方に出会ったのですが、その方は自分が奈良県の芸術短期大学を卒業したということを随分誇りにされていました。このように奈良県という地域の持つ魅力に着目して、地域に根差した大学を目指して独自性のある教育内容をしっかり押し出していくことも一つの視点として大事ではないかと思います。 
トップへ

(技術だとか、研究だとかいう前に、社会の人が一体何を期待していて、将来に向けてどのようなことをしておかなければならないかをまず考えた上で、研究や開発が行われる必要がある。)
【委員】私は企業の立場から少し話をしたいと思います。中国あるいはインドその他の開発途上国を見る機会がいろいろあり、そのとき強く感じたことは、我々日本の場合にはバイオテクノロジーあるいはナノテクノロジー等をなぜやるのかという、「なぜ」というところがはっきりしていない。ところが、中国やインドの人たちは、中国には14億人の人間がいて、インドにも、沢山の人口がある。そのときに、みんなが生きられるだけの食べ物があるかどうか。あるかどうかというよりも、なければならないから我々はバイオテクノロジーなりナノテクノロジーを研究するのだということを非常に明確に話をします。
 それから、私は今、社会とか世界とかいうことについて、いろいろなことを感じています。例えば、世界というのは、今グローバル社会と言われています。グローバルというのはいつの間にかごく当たり前の日本語になってしまっているのですが、グローバルとは一体どういうことなのかを、一度真剣に考えてみなければならないのではないかという気がしてならないのです。その理解の程度には、かなりの個人差があるのではないでしょうか。大学教育や生涯教育の中で、地球というものを我々は一体どう捉え、人間と地球が共存できるために人間生活の在るべき姿を考えていく必要があるのではないかと思うのです。そうすると、技術だとか、研究だとかいう前に、社会の人が一体何を期待していて、将来に向けてどのようなことをしておかなければならないかをまず考えた上で、研究や開発が行われるようになる必要があるのではないでしょうか。そんなことを昨今考えさせられることが多いです。今申したことを頭に置きながら、大学教育や生涯教育をいうテーマに取り組んでいきたいものだと思っています。
トップへ

(卒業後も、もっと簡単に大学に通えれば、大人にとっては有効な生涯学習となるばかりでなく、若い学生にも良い刺激となる。)
【委員】大学教育、生涯教育にも関わる意見なのですが、是非大学をもっと広く一般に開放していただきたいと思っています。アメリカの大学や大学院に行っておりました時の経験からですが、授業の中に専門家としてやっておられる40代、50代の方がおられ、学生としましてはそういう方たちがいると、とても刺激を受けるのです。それに比べ日本人の大学生というのは、お行儀の良い学生さんではあるのですが、今一つ覇気がないと感じますので、そういう真摯に学問に打ち込む大人を見せてあげることによって、少しでも成長するのではないかと思います。また、大人たちの方にしてみても、やはり大学を出てしまったら、40、50歳になって専門分野のことで興味を持った場合、なかなか勉強しにくいという現状がありますので、入学までしなくとももっと簡単に大学に通えれば有り難いと思います。
もう少し具体的な例で申し上げると、私が行っていましたアメリカの大学は、キャンパスは田舎の方にあったのですが、一般の方のために大学の教室がダウンタウンの中のデパートの上で、そこでナイトクラスが行われていました。そこに行きますと学生のポーッとしたのとは全然違って、地元の中学、高校、幼稚園、小学校の現場の先生方が受講しておられました。授業の雰囲気も全く違い、そういう雰囲気の中で学べる若い学生にとってもメリットは多いと思います。また、現場で働いている方々にとっても新しい知識をどんどん得ていく上でとても有効だと思います。生涯教育の一環としても、できたら受けやすい場所もご提供いただき、是非、大学に門戸をもっともっと開いていただきたいと思います。
トップへ

(社会人学生は確かに良い影響を与えている。大学生にも国際人としてのマナー教育が必要。資金調達を文部省だけに頼るのではなく、企業をはじめ外部へ拡大を。)
【委員】私も大学で教えていまして、最近、社会人学生が非常に多くて、良い影響を与えていると思います。というのは、学生同士だとうまくいかない場合も、お父さんみたいな人が「もっとおまえらちゃんと勉強せえ」と言うと、先生が言うよりも聞くのだと言っていましたが、そういう意味では非常にいい影響を与えています。それから、私、オフィスが東京駅の真前なのですが、東京駅周辺には今や大学の大学院のコースがいっぱい、多分京都大学もつくると言っていますし、埼玉大学もできています。いろいろな大学がそういう便利のいいところに大学院のコースを作り始めています。私の部下も今3人そういうところに行っていますし、それからそこへ行かなくてもインターネットで単位を取っていける制度もいろいろ発達してきていますので、そういう意味では非常に開かれてきていると思います。ですから、先程奈良県の魅力のお話がありましたが、奈良には例えば月に1回しか来れなくても、全国で受けられるような授業を奈良の大学から提供できたら良いのではないかと思います。
 それから、日本の大学でしつけというと変ですが、国際人としてのマナー教育ぐらいは是非きちんとするべきではないかと感じています。ある大学の入学式に来賓で招かれてスピーチをしたことがあるのですが、終わってからそこの学長と副学長に「まずあなたの大学は学生にしつけをしなさい」と言ったのですが、やはり国際的な場に出ていく機会がこれからは多いと思いますので、最低のマナーぐらいは是非お願いしたいと思います。
 それから、いろいろな研究をやったり、良い授業をやるためにはお金が要るわけで、ファンドレージング(資金調達)を文部省だけに頼るというのは私はよくないと思うので、地元とか、OB会とか、企業とかに、大学はこうありたいというのがあったら、それについてファンドレージングの努力をすることもこれからは重要なことだと思います。実は、3年前にある国立大学の大学院のアドバイザリーボード(助言委員会)の委員になり、そういう意見を言いましたら、この3年間にそれをかなり実行に移すことができました。その結果、外部資金を大分入れて研究もいろいろと受託し、かなり成功してきています。
トップへ

【会長】主に大学教育についてかなりご意見が出ました。時間になりましたので、生涯教育は、次回に少し時間をとって意見交換したいと思います。最初にありましたように、この会議として大学についてどのような提言ができるかということでございますが、この会議の守備範囲、役割もございますので、また今日のご意見を参考にして、専門調査委員会のほうで検討してみたいと思います。後半に中間提言がございますが、それは今までのところの提言でございます。今日の討議につきましては、最終提言に追加ということにしたいと思います。 

(休憩)


【会長】次第の2番目の「教育懇談会から教育委員会への中間提言」について審議を行います。資料は2あります。一つは「教育懇談会中間意見(具体的な施策案)〔第7回教育懇談会資料〕」で、もう一つはこの中間意見の各項目を二〜三行程度の簡潔な文でまとめた「教育改革のための中間提言(案)」です。前回(第6回)の懇談会でいろいろご意見をいただいた点につき、専門調査部会で2回にわたりいろいろ検討し、この案を作成しました。前回の案との主な変更点について説明します。
(※説明は省略。以下の資料を参照。)
※資料
 説明は以上ですが、只今の提言は一応今まで何回かの懇談会で討議して、おおむね意見の一致を見たと思われる点についてまとめてたものです。できましたらご了承をお願いしたいと思います。もう少しお目通しいただいて、ご意見がございましたらお願いしたいと思いますが、現時点ではこれからお伺いするご意見は記録に残しておくということでご了承願えたらと思います。

(スポーツのすばらしさをもっと体験できるような提言も欲しい。)

【委員】大変立派にまとめていただいたことを前提にして申し上げます。実は私は奈良県の体育協会の副会長という立場でこの委員に選ばれています。実は、日本体育協会のほうからも生涯スポーツや地域スポーツの持っている利点が叫ばれており、人間関係や人格の向上のためにスポーツが見直されています。最近の子どもは非常に骨が弱くなったとかいろいろな問題点を聞きますが、栄養学なども含め子どもの成長の過程にスポーツというものをもう少し取り入れ、いわゆる団体競技のすばらしさ、思いやり、相手を尊重する等の体験をもっとさせて、スポーツマンシップが養えるような提言が入らないかという気がします。
トップへ
(ドウ・アンド・リサーチ! まず実行し、問題点はまた議論をしよう。)
【委員】1番の家庭と就学前教育というテーマ、これは皆さん方から大変ご議論が出ました内容で、私も大変必要なことだと思っています。今、世の中で言われていますのは、リサーチ・アンド・ディベロプメントではなく、ドウ・アンド・リサーチという言葉なのです。要するにやってみて、なぜその問題点があったのかを分析し、うまくいかなかった原因を修正してでもやるのだという姿勢の方が大事だということが、昨今よく言われています。ということから見ますと、この1番に書いてもらっているマニュアルの作成、配布、概要版の作成、それから活用に至るまで、是非これらを実行していただいて、そしてうまくいかなかった場合には、あえてそれをご報告いただき、ここでもう一度議論をして、なぜうまくいかなかったのかを本音で話し合いたいものだと思っています。そこまでやろうではありませんかということを今日は申し上げたいと思います。 
トップへ

【委員】私も、今のご意見と同感です。3番目の「公立幼稚園の子育て支援の推進と子育て支援ボランティアの組織化」は、非常に願ったりかなったりだと思います。例えば場の提供とありますが、皆さん場を探していますし、非常に会員も増えてきています。つまり、お母さんがしっかりしていかなければいけないわけです。組織化という活動をするときに、例えばどれぐらいの場所で、どうすることが子育て支援につながるのかというのを今の委員がおっしゃったドウ・アンド・リサーチでやってみればよい思います。 

(懇談会のテーマ、中学1年の英語、教員が自己評価、これらはどうか。)

【委員】第1回目の教育長がご挨拶された文章をもう一度読み直したのですが、懇談会で教育の筋書きをつくるために懇談をしていくということだったように思うのですが、こういう教育改革のための中間提案あるいは最終報告という形に持っていくのかどうかという点が1つ疑問にあります。つまり、今後の将来の奈良県の教育の目指す方向を見出すというところまでのテーマであって、改革というところまでいって良いのかどうかという感じがします。次に、中学1年の英語がなぜ急に出てきたのかという点を教えていただきたいと思います。それから、3番目の自己評価の中で、特に教員が評価をして地域に公表するというのは、どうすればよいのかと思います。つまり、学校長として学校の経営全般についてするのであれば分かるのですが、個々の先生が地域にどのようにして公開するのかと思います。提言としてこれを出されると、我々教育委員会としてもその示し方について非常に難しい面があるのではないかと思いますので、個々の教員についてまでは言わなくてもいいのではないかという感じがします。以上が疑問ですので、お教えいただきたいと思います。  
トップへ

【会長】懇談会の方向についてですが、それについてはこの会議ではあまり議論していないのではないかと思います。中学1年の英語の件ですが、やはり中学1年生の英語くらいは全員マスターすることが、これからの世の中では必要なことではないかと、専門調査部会で議論されました。自己評価は、校長と教員との2本立てになっているわけですが、確かに個々の教員の自己評価の公表については、そのような懸念があると思います。私の一存では判断できませんので、また専門調査部会で検討したいと思います。


(人間としてどう生きるべきなのかを教えるのが教育なので、ここに書かれている以外にもそれを加味して欲しい。)
【委員】よくできている中間提言と思うわけですが、私も、先の委員からも話があったように、教育とはいかなるものかという原点から考えていく必要があると思います。これをずっと見させてもらうと、いわゆる教科教育に非常に重点が置かれていると思います。しかしながら、我々が子どもたちを教育するためには、やはり人間としてどう生きるべきなのかを教えなければいけない。いじめとか、いろいろな問題ありますが、その原点になるのはやはり人権です。それをどのように守らせていくのかという視点もやはり教育の中に入れておいてもらいたい。いわゆる学力向上とか、あるいはまた学校の経営改善とか、高校入試とか、そういったものがずっと並べられてていいわけですが、これ以外にもそういったものも加味されて初めて知・徳・体の、いわゆる円満な人間を養成していくのだということになるのではないかと思います。以上一つお願いします。
トップへ

(「父親学・母親学マニュアル」は大変重要なことだが大変難しい。作成において、親もこれから育つのだというセンスが必要で、作成スタッフ中に親を入れること。)
【委員】きちんとおまとめになっておられ敬意を表します。1点だけお願いというか、意見を申させていただきたいのは、「父親学・母親学マニュアル」についてです。これは大変重要なことで、作成と活用ということで施策につないでいかれると思うのですが、これほど難しいものはないのです。この世には、この類がもう死ぬぐらい出ていますが、それは何の役にも立っていないということをどうぞお考えになってほしい。
 そして、私どもが見ている学生がもう二、三年後には未熟な親になるわけです。彼らが悪いわけでも良いわけでもないが、育つ土壌がなかったのです。そして、全く他者である子どもに出会うわけですから、親も育つのだというセンスが必要になってきます。昔は意識さえしっかり正しく教えさえすれば大抵親になる準備ができていましたが、今は、親は親なのだからしっかりとして責任を持たなければならぬというセンスでは、通用しないと思います。今は、思春期の若者たちがほとんど自分の人生を自分の足で歩いて考えてきたことがないので、自分探しはしても、他者とともに生きるという共存の訓練がほとんどできていません。家族というのは自分探しではなく、これと反対の共存ですから親になるということは、自分探しと共存のバランスをいかにとるかという成熟さを要求されることです。だから、このマニュアルでは、あなた方も今から育って良いのだよというスタンスで臨んで欲しいと思います。そうでないと、全く聞く耳を持たないと思います。このことを「父親学・母親学」の中では、「あなた方もまだまだ人生80年〜100年なら今、端緒についたところだから・・・」というような何らかの文言で、親に対する一つのメッセージが入らねばならないというのが1つです。
 それから2つ目に、作成事業の中で私は親を入れなければならないと申し上げます。今の親たちは独特の言語とか文化を持っており、特に心配なのは、私も含めまして超ベテランと言われる、かつての教育をしてきたほとんどの人たちとは、ずれています。ただ、言語や文化が全然違ってきているという認識を持ったときには、指導的な親は沢山います。グループを立ち上げた元気のある親をメンバーにお入れになることで、親のメッセージが生きたメッセージとして伝わっていくかと思います。
トップへ
(知・徳・体、この3つのバランスのとれた教育を進めるために、道徳を大事にしていこうという提言が必要。)
【委員】大変うまくまとめていただいておりますので、私も感心しているのですが、私も教育の理想というのは不易であると思うのです。いろいろ教育改革と言われる中でも、時代が変わろうとも、先程からお話出ております知・徳・体、この3つのバランスのとれた教育を進めていかなければならない。教育改革国民会議においても、やはり小中学校を通じて道徳をもっと大事にしていきなさいと提言されています。就学前教育のところでは、家庭のしつけを規範意識も含めて触れられているのですが、できれば小・中学校でも徳育を大事にしていくという意味から、道徳をもう少し大事にしていこうというご提言をどこかで入れていただくことも一考してもらえれば大変ありがたいと思います。
トップへ

【会長】いろいろご意見ありがとうございました。一応中間の提言としては、このようなことでよろしいでしょうか。そうしましたら、教育委員会への中間提言ということで、私のほうから後日改めて藤原教育長に手渡したいと思います。
 それでは、最後になりましたが、県民「5,000人アンケート」調査について審議をします。A4、3枚の綴りに、アンケート項目の原案が書いてありますが、只今の中間提言の順番に設問を設けています。これを簡潔に、説明します。・・・
(※以下、各設問の説明は省略。資料の「県民『5,000人アンケート』調査質問項目(案)」を参照。)
 ・・・各設問の説明は以上です。何かご質問などあればお願いします。

【委員】13番の補充授業の設問についてお尋ねします。中学校では選択教科の学習の中で、よくできる子については発展的な学習、それから、遅れている子については補充的な学習ということで、授業の中に位置付けた形での補充授業をしますが、その補充授業を示しておられるのか、それとも、遅れがちな子どもを放課後残して、教科担任が授業が終わった段階で行う補充学習を示しておられるのか、どちらなのでしょうか。

【会長】小学校と中学校を区別して考えたわけではありませんが、小学校の場合は、例えば放課後とか、あるいは夏休み中とか、とにかく基礎学力の劣っている子どもについて何らかの手だてをしてほしいという、そういう意味の補充授業でございます。
 それではこのようなアンケートをしたいと思いますが、業者の選定は事務局で行うことにいたします。それから、この原案をもとにして予備調査したり、あるいは専門の業者の目で点検してもらいまして、若干の修正が加わると思います。ホームページに登載して、ホームページを見ていただいた方の意見も集めたいと考えています。もちろん、この集計は、5,000人のアンケートとは別にいたします。できましたら、年明けには調査の結果が出るように作業を進めていきたいと思っています。
 最後に、次回の懇談会の予定ですが、このアンケートの集計ができた段階で、事務局から日程調整の連絡をしてもらい開催日を決めたいと思います。内容は、多少変わるかもしれませんが、1つは、本日残りました生涯学習、それからアンケートの集計とそれの分析、それから教育改革の実際の施策に向けてということで開催したいと思います。
 大体時間どおりに進めていただいて、ありがとうございました。

【教育長】最後の挨拶では、いつも「本当に本日は熱心なご議論をありがとうございました」と申し上げるのですが、今日はお聞きしていて、本当にすばらしいご議論をいただき、私どもがしっかりと身につけなければいけないと心から思いました。これは本日に限ったことだけではなく、この会が本当に大きな羽ばたきをしているという印象を受けさせていただき、感謝を申し上げます。
 少しお時間をいただいて、お話させていただきたいと思います。大きくは地方分権という流れの中で、行政サイドで独自に教育の改革に向けて個別的な取り組みを進めているわけですが、懇談会で教育の方向についてのご議論をしていく中で、教育改革の方向についてのご提言をいただけたというのは、タイミングの良いことで、教育委員会としては大変有り難いと思っています。
 内容的には、本当にドウ・アンド・リサーチで実践をしていくということの大切さをご指摘いただいたように、その点でまずは私ども努力しなければいけないと思います。しかし、現実に一つ一つの項目は皆、なかなかそれなりの難しさも持っています。しかし、その内容は今しなければいけない必然性があるのがほとんどだと拝見させてもらっています。つまり、今、考えなければいけない必要な事項を網羅していただいたと思っています。従って、私たちは提言を委員会内部でしっかり検討させていただき、来年の予算に結びつけて、できるだけつくり出していく努力をさせていただきたいと思っています。
 実は、私どもの内部の中ででも、大変多くのある意味では改革に結びついた事項を検討したり作業を進めたりしています。例えば、2002年からの新しい学習指導要領のための教育課程への動き、その基礎・基本の徹底、あるいは習熟度指導のための少人数授業を今年から展開しています。また、高校入試も一部ですが改革をしつつ、今年から実施をしていくということで今取り組んでおります。さらに、学校評価についても、評議員制とかいうような形の一部の取り組みを、さらに幅広くしていかなければいけないということで、内部では検討会を持っています。あわせて、教員研修と家庭教育には引き続き努力をしているところです。それに計画としては県立高校の将来構想。それから教育委員会全体で今話をしているのですが、5日制になったあたりで、どのように7日の間で子どもに接していく体制づくりをしていくのかという内部の課を超えた検討会を持っています。あわせて、不適格教員対策というので、この11月から1年少しですが、人事管理についてのあり方を具体的に検討していくことになっています。このような状況の中で、やはり基本的な考え方を整理しておきたいと思っていたところに、実は今回の中間意見と提言をいただけたと思っています。
 やはり、子どもたちには、どの時期に、どのようなことを学ばせ、教えるのかという教育の流れみたいなものをしっかり押さえておきたいと思っています。そうしない限り、いつまでたっても未熟であるし、モラトリアムであるということになってしまい、こういう大きな社会の変化や子どもたちの生活環境の変化の中では、そこの辺りをきちっと押さえて教育というものを展開していかなければならないと思います。
 そのためにどのような仕組みを用意するのかということですが、中間提言にも書いていただいている
教員の教育術、スキルの問題、あるいは習熟度別指導等の指導の形、評価、学力検査などが、この仕組みに当たると思います。これらをもとに教育委員会としても幼稚園から小・中・高までのシナリオをしっかりと書けるようにしていかなければいけないと改めてご提言をいただき、確認させていただいたと思います。
 本日の議論の中で、子どもの「モラトリアム化」、あるいは「未熟化」という問題が提起されていました。
しかし、新学習指導要領では、教える項目は確かに3割減っていますが、その残りの部分でしっかりと基礎をつけ、もう一つは、子どもへの判断力とか、思考力とか、問題を解決する力といった考える力をしっかりつけようというのが大きなねらいです。そうすると、小学校のときには何を考えてもらうのかといいますと、私は、やはり集団性とか、人間性とかの社会性を身につけることだと思います。中学校では、習熟度別指導も入れて取り組むとしたら、やはり高校に入るぐらいの時期になれば、ある程度自分はこのようなことをしたい、このような道に進みたいというようなことを少し考えられるところまでに育てられないかと考えるわけです。
 こういうことを前提にして考えますと、次にはそれを受けるための体制を作らなければなりません。それで、県立高校の将来構想では多くの特色ある学校群をつくっていこうとしているわけです。そのときに、偏差値で学校に格差ができているというのは、もちろん好ましいことではありませんし、普通科と職業科という間でも学校格差があっては、それ自体極めて現代的な不自然さがあるわけです。そういうのをなくすためにも、特色化というのはもう一つの意味があると思っています。すべての高校から大学へ行けるというための体制を学校の中でつくっていくという将来構想答申の特色を、もう一度紹介させていただきたいと思います。
 本当に本日は、長時間ご議論いただきまして、ありがとうございました。また今後ともよろしくお願いいたします。
トップへ

〔文責は奈良県教育委員会事務局〕

教育懇談会トップページへ