序章

『古事記』を編纂したとされる太安万侶。彼を中心にした国家の一大プロジェクトチームは、後世に胸をはって伝えられる書物にしたいという熱い思いをもって取り組み、完成させたことでしょう。まずはその思いを受け止めることから、『古事記』の世界への旅を始めましょう。

太安萬侶神坐像
[室町時代 多坐彌志理都比古神社蔵]
展示期間:10/18〜12/14

太安万侶ゆかりの多神社本殿の第二殿に祀られ、『古事記』を編纂した太安万侶の像と伝える。立烏帽子風の垂形の冠に、袍と呼ばれる貴族の装束をつけている。
笏を左手で握り、右手の手のひらを笏の上部にそえてる構えは珍しい。大きくはねた眉、二重まぶた、小さなあごひげなどに写実性が感じられる。桧の寄木造。
表面は彩色されていたが、現在は両袖の内側の朱色がわずかに残っている。本像の箱厨子のふた裏に、明和4年(1767)に「多朝臣安万侶御神像」を開扉されたことが記されている。

伝落別命坐像
[平安時代初期 小槻大社蔵 重要文化財]
展示期間:10/18〜12/14

落別命は、『古事記』に登場する「落別王」で、第11代垂仁天皇と山代の大国之淵が女、刈羽田刀弁との間に生まれ、「小月の山の君(小槻山君氏)・三河の衣君の祖先である」と記される。一木造。黒い幞頭冠をかぶり、筒袖風の古風な袍を着る。『日本紀略』に、延喜11年(911)に「小杖神」に従四位下の位が授けられたことが記されている。この身分の衣は、朝廷の衣服令によると深緋色とされ、この木像の袍もまた朱色に彩色されている。滋賀県栗東市に残る神像の中では最も古いもののひとつで、古代における小槻山君氏の強い勢力がうかがえる。