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史跡大塚山古墳群 しせきおおつかやまこふんぐん

記入年月日 2020/06/20

大塚山古墳群航空写真(垂直・平成元年撮影)
大塚山古墳群航空写真 (南から・平成元年撮影)
大塚山古墳と九僧塚古墳
所在地
奈良県北葛城郡河合町川合、穴闇
区分
遺跡 | 古墳
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 史跡大塚山古墳群は、河合町の北東部、奈良盆地の諸河川合流点に位置します。前方後円墳3基(大塚山・城山・高山塚1号古墳)、円墳4基(丸山・高山塚2号・高山塚3号・高山塚4号古墳)、方墳1基(九僧塚古墳)の計8基からなる古墳群で、5世紀後半から6世紀初頭にかけて築造されたと考えられています。 古墳群中最大の大塚山古墳は墳丘全長197mを測り、同時期の古墳では奈良盆地内で最大級の規模です。また、周囲には周濠が巡り、さらに、一部で堤及び外濠(史跡指定地外)が遺存しています。 大塚山古墳の北東に位置する城山古墳は、群中最も遅い6世紀初頭の築造と考えられています。同古墳も同時期では、奈良盆地内で最大級の規模の墳丘全長約108mを測ります。 昭和31年12月28日、8基の古墳が一括で国指定史跡に指定されています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
河合町内最大の古墳である大塚山古墳を含む8基の古墳がまとまって残っています。
 大塚山古墳は地域の古図には王塚山あるいは王墓山と記され、王の墓として親しまれてきました。大塚山古墳の東隣には昭和38年まで小学校があり、授業の一環として、あるいは授業の合間に墳丘に登って遊んだといわれています。前方部頂上には地域住民によって建てられた明治天皇の記念碑もあります。周濠部は水田として、墳丘部は里山として利用され、これまで日常生活の一部として存在してきました。
 城山古墳は吉田山城主義辰の河合城であったと伝えられ、吉田氏の滅亡という哀史の舞台として地域で語り伝えられてきました。大塚山と同じく周濠部は水田として、墳丘部は畑として利用され、ふるさとを離れた人の思い出の中にも、家の裏山の畑でサツマイモを掘ったことを思い出すなど、郷愁を誘う存在でもあります。高山塚1号古墳は地元では中良塚(ナカラヅカ)古墳と呼ばれていますが、これは古墳が存在する地域の地名である穴闇(ナグラ)の塚の転訛と考えられています。地域を代表するものとして長く親しまれてきた証です。
 九僧塚古墳にも9人のお坊さんが埋められているとの伝承が残っており、代々語り継がれた地域の歴史の欠くことのできない要素となっています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
「該当なし」 被葬者として具体的な個人名は特定されていませんが、葛城氏や大和川水運を掌握していた豪族などが候補に挙げられています。
当資源と関連する伝承
 それぞれの古墳の被葬者を物語るような伝承はありませんが、大塚山古墳は絵図等に「王塚山」「王墓山」と記されています。また、戦国時代に城山古墳が「河合城」として利用されたと伝えられていますが、大塚山古墳も砦として利用された可能性があります。
他地域の関連する歴史文化資源
馬見古墳群(北葛城郡王寺町・河合町・上牧町・広陵町、香芝市、大和高田市)
問い合わせ先
河合町 教育委員会事務局 教育部 生涯学習課
電話番号
0745-57-2271

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。