出会う 奈良県歴史文化資源データベース

鳳閣寺廟塔 ほうかくじびょうとう

記入年月日 2016/12/05

所在地
奈良県吉野郡黒滝村大字鳥住90 鳳閣寺境内
区分
彫刻 | その他
指定内容
国指定

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
○ 総高268・0㎝、石造宝塔、南北朝時代・正平24年(1369年)。花崗岩製。塔身、受座、亀趺、台座からなります。塔身部分は二重垂木、扉部など細部に至るまでこの時期の木製廟塔の建築的な諸特徴を極めて精巧に写したものです。保存状態良好。当時の廟塔建築様式を知る上で貴重なものです。作者は薩摩権守行長。行長は鎌倉時代初期、東大寺再興にあたって来日した中国明州(現浙江省寧波)出身の石工のひとり、伊行末の末裔。
○ 地元では聖宝・理源大師の墓と伝承。聖宝は、大峯修行路に棲息して修行者を悩ませていた大蛇を退治せよという天皇の命を受け、南都の住人・箱屋勘兵衛を道案内として鳳閣寺に至りました。寛平7年(895年)7月16日大蛇と対面し、法螺貝を吹くと百の法螺貝を一度に鳴らしたような音がして大蛇も恐れおののき動けなくなったところを箱屋勘兵衛が刀で切ったといいます。それでその山を百貝岳といい、鳳閣寺の山号を百螺山といいます。そのときに吹き鳴らした法螺貝と退治した大蛇の頭骨は、寺宝として鳳閣寺に保存されています。また、退治したあと聖宝はしばらく鳳閣寺に滞在しましたが、箱屋勘兵衛は餅飯を持ってしばしば聖宝を訪ねてきました。それで聖宝は勘兵衛をたわむれに餅飯殿(もちいどの)と呼んだことから、勘兵衛の居住地を餅飯殿と称するようになりました。現在の奈良市餅飯殿町の町名の始まりです。鳳閣寺廟塔のそばには、餅飯殿講の人たちが建てた箱屋勘兵衛の墓(五輪塔)があり、今も毎年参拝しています。鳳閣寺本堂には、餅飯殿講が寄進した理源大師大蛇退治像が安置されています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
概要のとおり。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖宝・理源大師(832~909年)。理源大師号を受けたのは1707年で、それまでは聖宝尊師と呼ばれていました。
当資源と関連する文献史料
『黒滝村史』『黒滝村の仏像』
当資源と関連する伝承
概要のとおり。
他地域の関連する歴史文化資源
東大寺・東南院。京都・醍醐寺。奈良市餅飯殿町。
問い合わせ先
黒滝村 教育委員会
電話番号
0747-62-2314

近くの歴史文化資源

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